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そらのかけら  作者: 夜と雨
第八章:存在の交差点
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第四十六話:揺り籠

 空の胸元から、あの日の夕空のように優しく、温かく、どこか懐かしい光が溢れ出した。


 それは、小さなノエリウムへと静かに流れ込み、淡く脈動しはじめる。


「…そうか、あのときの…全部思い出した…」


 ──空と朝陽が交わした、最初の約束。


 その記憶が、ノエリウムの奥深くに染み渡っていく。音もなく、けれど確かな“祈り”として。

 ノエリウムに刻まれたひびも傷を癒すかのように消えていく。


 ひびが完全に消えた瞬間、ノエリウムが淡く震えた。


 掌に乗るほどのその結晶は、まるで息を吹き返したように波打ち、淡い光を空間に広げていく。


 草花の咲き始めた根の大地に、風が吹いた。

 半透明だった孤島に、まるで命が通いはじめたように色が戻っていく。


「これは……」


「…すごい」


 空とヒナタが、周囲を見て息を呑んだまま呟く。


『このような事は、記録にはありませんでした…まるで世界に祝福されているようですね…』


 剪定者も初めて見る光景に驚きを隠せないようだった。


「ノエリウムに力を感じる気がします…」


『…ノエリウムが本当に依代となったのでしょう……さあ、空。祈りを。』


 剪定者の声に、空は手の中のノエリウムを握って強くうなずく。


(ノエリウム……朝陽に、もう一度会わせてくれ──)


 空は瞳を閉じ、静かに祈る。


 静寂が世界を包む。


 しかし、次の瞬間だった。


 ノエリウムが、ひときわ強く輝くと──

 まるで解けるように、様々な色彩が織りなす光の粒が天へと舞い上がっていく。


「ノエリウムが消えていく…」


「あの子の代わりになってくれるのね…」


 光の粒は空間の中央に集まり、ゆっくりと、ひとりの少女の輪郭を形づくっていった。

 肩まで伸びた黒い髪。優しい顔立ち。閉じられたまつげ。


 それは、確かに──


「……朝陽」


 空の声が震える。


 ──朝陽が、そこにいた。


 いつかの日と同じように制服姿であったが、確かに朝陽の姿であった。


 目を閉じ、静かに眠るように浮かぶその姿を、ノエリウムの光がやさしく包んでいる。


『どうやら再構築は……完了したようですね』


 剪定者が、静かに告げる。


 空は言葉を失いながら、光に包まれた朝陽の手にそっと触れた。

 そこには確かな体温があった。


 そしてノエリウムが光と共に天に登って消えていくのと同時に、朝陽はゆっくりと浮力を失った。


「わっ…」


 空は思わず、朝陽の体を抱き止めた。


「……朝陽、おかえり」


 震える声で告げると、とても大事なものを扱うように朝陽をおろした。


「ヒナタさん…朝陽が戻ってきました…!」


 空はヒナタを振り向いて声をかける。


「ええ…見ているわ…」


 ヒナタも微笑んで、小さく頷いた。

 そして、ゆっくりと朝陽の側に歩いてきた。


「…大きくなったわね…それに、こんなに素敵に…」


 ヒナタの瞳からは次々と涙が溢れ出した。


「いっぱい寂しい思いをさせてごめんね…朝陽……」


「ヒナタさん…」


 朝陽の頬に触れたヒナタの手が、そっと震えた。


 けれど──朝陽は、目を開けなかった。


 その胸には確かな鼓動がある。

 けれどまぶたは閉じられたまま、静かな眠りに落ちているようだった。


 空もそっと顔を近づけて呼びかける。


「……朝陽。起きて。もう大丈夫だよ、全部……終わったから」


 けれど、返事はない。


 空の声が少しだけかすれた。


「……そうだよな。すぐにってわけには、いかないか……」


 剪定者が、静かに告げる。


『再構築は完了しましたが……記憶と魂の安定には、まだ時間が必要なのかもしれません』


「……でも、ちゃんと戻ってきた。朝陽は、生きてる」


 空の手が、朝陽の手をしっかりと握る。


「──だったら、いくらでも待とう。ね?ヒナタさん」


 その言葉に、ヒナタはそっと微笑んだ。


「……ありがとう、空くん」


 彼女は立ち上がり、もう一度、朝陽の顔を見つめた。


「大丈夫。きっと目を覚ますわ……あなたの声が、ちゃんと届いてるから」


 そして、ふと空の方に振り返る。


 その瞳に、どこか懐かしい光が宿っていた。


「空くん……これから先、彼女をお願いね」


 ヒナタの足元が、かすかに光を帯びる。


 ──その姿が、淡く透けはじめていた。


 空がはっと顔を上げる。


「えっ……ヒナタさん……?」


「…そろそろ、時間みたい」


 ヒナタは自身の透けていく体を見つめる。


「……私はノエリウムに込めた想い…ノエリウムが依代になった今、私の役目も、もう終わりみたい…」


 ヒナタは柔らかく笑って言った。


「……でも、大丈夫。朝陽には、あなたがいるもの」


 ヒナタの瞳に、どこか安心した光が浮かぶ。

 一方で空の顔には、言葉にできない悔しさと寂しさが滲んでいた。


「そんな…俺、ヒナタさんが消えてしまうなんて…」


 空は、まるで何かを止めようとするように一歩踏み出した。


「……俺、朝陽を取り戻すって決めて……でも、ヒナタさんまでいなくなるなんて、そんなの……」


 空の声が震える。


 ヒナタはその言葉を、静かに、優しく遮る。


「いいのよ、空くんが責任を感じる必要はないのよ。これは、神様が与えてくれた猶予だから…」


 そっと朝陽の頬を撫でながら、ヒナタは続ける。


「……最後に、大きくなったあの子を、もう一度撫でてあげることができた……それだけで、私は十分」


 その手が、ふっとすり抜けるように透けていく。


 空は、剪定者を振り返る。


「剪定者……何か、方法は……! 彼女を、このまま……!」


 だが、剪定者はただ、まっすぐ空を見つめた。


『……それが“ヒナタ”という存在の選んだ帰結です。私にも、それを覆す力はありません』


 静かで、しかし揺るがない声だった。


 ヒナタはそれを聞いて、安心したように微笑んだ。


「剪定者……いいえ、カナタ。……勝手な姉で、ごめんね」


『それは私の名前ですか…?』


「ええ、私の自慢の妹の名前よ」


『……私の名前…カナタ…』


 ヒナタの言葉に剪定者が震えた。


『……また会えて嬉しかったよ、お姉ちゃん』


 一瞬、剪定者の琥珀色の瞳にわずかな揺らぎが走る。

 それは──光の反射でも、データの処理でもない。


 まるで、閉じられていたはずの感情の記憶に、ひと雫が落ちたような揺れだった。


『……私は今、なにを……?』


 一瞬の揺らぎは消えて、普段の色に戻った。

 剪定者が自分の声に戸惑ったように、胸元をそっと押さえる。

 そこには存在しないはずの“痛み”があった。


 空とヒナタの視線が交わる。


 ──剪定者に、いま確かに「何か」が戻った。


「剪定者…?」


「ふふ、それじゃあ……空くん、朝陽を、お願いね」


 そして──ヒナタは、朝陽にもう一度だけ微笑みかけた。


「……おかえりなさい、朝陽。

 ……どうか、幸せになってね……あなたが“空”に出会えたこと、本当によかった……」


 その姿が、光に溶けるように、静かに、静かに消えていく。


 風が一度だけ吹いた。


 まるで、ヒナタの最後の祈りが、空と朝陽に触れていったかのように。


 ──そしてその場には、沈黙だけが残った。


 * * *


『……いってしまいましたね……』


 剪定者が、かすかな声で告げる。


「うん……」


 空は静かにうなずいた。

 目を閉じて、ヒナタの残した気配を胸の奥で確かめるように。


「……不思議だね。消えてしまったのに、まだここにいる気がするよ。あの人の声も、ぬくもりも」


 剪定者は少しの間、沈黙した。


『……それが、“想い”の力なのでしょうか』


「そうかもしれないね…」


『私も、胸に違和感があります…』


 剪定者が胸に手を当てて、首を傾げる。

 それを見た空は微笑んだような、泣きそうなような顔をして、小さく息をついた。


「朝陽を……連れて帰るよ」


 空はそっと朝陽の体を抱き上げた。

 まるで壊れ物を扱うように、丁寧に、優しく。


 閉じられたままの彼女のまぶたを見つめながら、ぽつりとつぶやく。


「……目を覚まさなくてもいい、なんて思ってないよ。けど、今は……こうして隣にいてくれるだけで、もう十分だ」


 かすかに風が吹き、ノエリウムの残滓が彼らのまわりに光の砂のように舞った。


「……帰ろう。朝陽と一緒に」


 その言葉に、剪定者が小さくうなずく。


『それでは、祭壇まで、私が導きます。……今の空は、道を歩ける光を持っているから』


 空は頷いた。


 剪定者が虚空を見つめて、何かを小さく呟く。

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、空間が静かに、しかし確かに揺れた。


 空気が水面のように波紋を描き、そこに光の粒が集まりはじめる。


 やがて──

 その中心が音もなく割れ、やわらかな光に縁取られた“扉”のようなものが現れた。


 まるで夜空に浮かぶ星の道。

 風に溶けてゆく祈りの糸を束ねたような、淡く、幻想的な光の門だった。


『ここを通れば、記憶の祭壇まで戻れます。空、どうぞ行ってください』


 カナタの声が、静かに響いた。


「一緒に行かないの…?」


『私は記憶の塔からアクセスしているので、そちらに帰ります』


「そっか…ありがとう、剪定者……」


 空がそう言いかけたとき──


『……カナタです』


「えっ……?」


『私のことは、そう呼んでください。……できれば、もう一度』


「……ありがとう、カナタさん」


 カナタはゆっくりと頷いた。


 空は朝陽の体を抱き直すと、足元に広がる“光の扉”へと歩み寄った。


 その向こうに広がっていたのは、かつて彼らが辿り着いた記憶の祭壇──しかし、どこか景色が変わっていた。

 彼らが交わした祈りと代償が、この世界すら少しだけ変えてしまったのだろう。


 ──新たな祈りを胸に、朝陽とともに。


 空は、一歩、門の中へと踏み出した。

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