第四十二話:黒の契約
ようやく祭壇に着きました。
石段を降り切った三人の前に、祠がその姿を現した。
霧の中から、崩れかけた石柱と、中央に広がる環状の台座。
その中央には、水面のようにわずかに揺らめく空間があり、そこに触れれば何かが呼び覚まされるかのような──不思議な気配が漂っていた。
「ここが……記憶の祭壇……?」
空が呟くけれど、中心には何もない。
ただ霧が漂い、石畳に微かに、誰かが残した記憶の残滓のような模様だけが残っている。
それは複数が交差し、ねじれ、重なっていた。
「ようやく、到着しましたが…何か想像と違いますね?中央に行けば何か起こるでしょうか…」
シィロは祭壇らしき場所見つめると、進もうとした。
「待つんだ、シィロ…恐らく、この場所でこれを使うのだろう…」
レイスは取り出した儀式短槍を逆手に持ち、ゆっくりと石畳へ歩を進める。
「この紋様…ここが起点になっているな…ならば!」
石畳に刻まれた古い紋様の中心──その交点に、静かに槍を突き立てた。
紋様が淡く青白く光り始め、地を這うように光が走る。
空間が微かに震え、空気が変わる。
「…すごい」
シィロのつぶやきと共に、舞台の中央──何もなかった空間に、光の粒子が一つ、二つと浮かび上がった。
粒子たちは舞いながら、澄んだ鈴の音のような音を奏でていた。
やがて粒子は小さな結晶のかけらとなり、まるで意志を持つかのように旋回しながら集まっていく。
空気が次第に凛と張りつめ、世界から余計な音がすべて消えていく。
重なり合った光が中心で弾け、そこに──“記憶の祭壇”が現れた。
現れた祭壇は台座の上に浮かぶ透明な台のようなもの。
水面のように揺らぎ、内部には記憶の断片がちらつくような微光が宿っている。まるで誰かの心の奥を覗くような不思議な感覚。
「……よし、これで記憶の祭壇が起動した……!」
「やりましたね!」
シィロが一歩踏み出しかけたとき──
ふと、背筋を走るような違和感に足を止めた。
「……?」
その直後、突風が吹き荒れた。
記憶の祭壇。
台座の中央に霧が、静かに渦を巻きながら、一点に集まり始める。
「この気配は……!」
レイスが鋭く叫び、二人の前に立つ。
霧はやがて闇に代わり、中心に、黒い闇が生まれた。
それは、次第に少女の姿に変化していく。
「やっぱり、出てきましたね…」
シィロが顔を庇いながらつぶやいた。
黒い闇が次第に薄れていき、見知った存在となった。
特異型トガビトであるミミ。
かつて、空を騙して襲い、取り込もうとした存在。
けれど──今、そこに立つ彼女はまるで別人のように、静かで、凪いでいて。
「……また、会ったね」
冷たく、それでいてどこか寂しげな声が祭壇に響く。
空の胸が、ひゅ、と音を立てて縮んだ気がした。
「空さん、下がってください……!」
シィロが素早く前に出て、レイスと並ぶ。
「元気にしてたかな?ソラ」
ミミはシィロやレイスには見向きもせず、空に話しかける。
「……」
空は気が付かないままに一歩後ろに下がった。
「どうして、何も言ってくれないの?」
ミミは答えがないことに首を傾げて、一歩前に踏み出した。
「それ以上は近寄るな」
レイスは、ミミの視線を遮るように立ち、冷気を纏わせた自身の長杖を、新たに取り出して構えた。
「ああ、あなたたちもいたんだ」
そこで初めて気が付いたように、レイスに氷点下の視線を向ける。
「…そこを退いてもらおう」
レイスの額から汗が流れる。
「…また……邪魔するの?」
ミミは淡々とした口調から想像出来ないほどの凄まじい殺気を放った。
かつて見たあの狂気とは違う。
今のミミは、全身から本気の雰囲気を醸し出していた。
「…は……っ…」
一般人の空には耐えることは出来ず、息をすることを忘れてしまう。
「空さん!ゆっくり息をしてください!」
そう言った、シィロも白い顔をしていた。
「シィロ、空を連れて下がっていろ」
「でも…」
レイスの指示にシィロは抵抗を示した。
「…やつはどうやら本気のようだ…お前たち二人を狙われたら、庇い切れるかわからん…」
「…わ、かりました」
レイスはミミから視線を外すことなく答えると、シィロは悔しそうな顔をして従った。
「離れましょう、空さん…」
シィロは空を振り返って言った。
ミミの足元に、黒い闇がにじみ出し、地面を侵食する。
黒い闇を見た空が息を呑んだその瞬間、ミミの瞳に紅い光が灯る。
そして、霧が爆ぜた。
衝撃が走り、地面が割れ、空が吹き飛ばされそうになるのを、シィロがとっさに庇った。
レイスが放つ冷気が、長杖と共に光を描き、ミミの影とぶつかる──
霧の中で、冷気と闇が交錯する。
だが。
「くっ……この力、以前とは……」
ミミの力は、前とは比べものにならなかった。
「あはは、真面目にやってるのかな?」
ミミが闇を叩きつけると、レイスの体は吹き飛ばされてしまった。
「っ、がぁぁ…」
周囲の石柱に衝突したレイスは立ち上がり、すぐにミミに氷の礫を飛ばした。
ミミは目前に闇を大きく拡げて、礫を受けた。
「…くらえ!」
闇を拡げたことによってミミに生まれた死角。
その隙を逃すことなく、レイスは踏み込んだ。
レイスは長杖に氷を纏わせて、ハルバートの形に変えて斬りかかった。
「捕まえたぁ…!」
レイスの刃が届いたかと見えた瞬間、ミミの姿が霞み、ハルバートが通り抜ける。
「何!?」
無防備になったレイスの背中に、闇で出来た爪が襲いかかった。
時間が止まったかのような感覚。
空とシィロが呆然と立ち尽くす中、レイスは前に向けてゆっくりと倒れた。
「…レイスさん!」
空たちは慌ててレイスに駆け寄ろうとした。
「来るな!!」
倒れたはずのレイスは杖をついて起き上がり、肩で息をしながらミミを睨む。
彼女から血は流れていなかった。
「まだ動けるんだ?ならもう一回だね!」
再び、闇がレイスを通過する。
今度こそ、力なく崩れ落ちた。
「あぁ…美味しい…!」
ミミは幸せそうな顔をして笑った。
「レイスさんに何をした…ミミ!」
「…ソラが知りたいなら教えてあげるよ。ワタシの闇に触れたこいつの生命力をちょっとだけ奪ったんだよ」
ミミは無邪気な顔で言った。
「こいつは、しばらく動けないだろうから、次はソラの隣の白いのを潰しちゃおうか!」
ミミは体から闇を少し放った。
「…ひっ!」
「力もないくせに、こんなところまで来るから苦しむことになるんだよ?」
闇が少しずつ迫る。
シィロは歯を食いしばって、闇を睨みつけ答える。
「…それでも!そうだとしても!誰かのために生きたいんです!」
「…そっか…なら私のためにも死んでくれるよね?」
そして、ミミの闇が加速。
真っ直ぐにシィロに向かって伸びる。
「やめろっ!!」
闇の延長線上に空は身を乗り出して、シィロを庇うために両手を広げて立った。
「…ソラ、危ないよ?」
「空さん…!?」
空に触れる直前で、闇は停止した。
ミミは苛立ちが篭った表情で空を見た。
「ソラ、お願いだから邪魔しないでよ。こいつらを片付けたら遊んであげるからさ」
それは優しい声だった。
けれど──その先は確かな“終わり”があった。
空の脳裏に、朝陽の笑顔がよぎる。
(……嫌だ)
膝が震える。心も折れそうだった。
でも。
「──待ってくれ!!」
空は、震える声で叫んだ。
「……もう辞めてくれ、ミミ。俺を取り込んでもいいから……でも」
ミミの動きが止まる。
「その前に……俺に朝陽を、取り戻すための“時間”をくれないか」
「……“時間”? どうせ逃げるつもりなんでしょう?」
「逃げたりなんかしないよ…信じられないと思うけど…」
「空さん!ダメですよ!」
「…けど、これしか二人を助ける方法はないだろ!」
空はミミの目を見つめたまま、シィロに答える。
「ミミ、お願いだ。信じてくれ」
「……」
ミミはじっと空の顔を見つめる。
「ソラは欲張りだね…でも良いよ。ソラの頼みだもん。”時間”をあげるよ」
「…ありがとう!ミミ「…でもぉ」
ミミの口だけが裂けるように笑う形に変わる。
「逃げられないようにはしておくね?」
ミミは空は手首にそっと手を触れた。
手首に熱。そして、空の体から滲み出した闇が手首に向かって収束して、ブレスレットとなる。
「はい。これで、ソラはミミのものだよ!」
突然のことに固まる空。
ミミは愛おしそうに腕を絡める。
「空さんに何をしたんですか!」
「言う必要あるかな?……嘘だよ!気分が良いから教えてあげる。これはワタシの種子を変化させたんだよ!これが付いている間は逃げても、隠れてもワタシに見えてるからね!それに一定時間経過すると開花した闇に取り込まれて、ワタシまで運ばれてしまうの!」
それは──闇が実態を宿した漆黒の輪。
まるで、呪われた蔦が螺旋を描くように、空の手首に絡みついていた。
「俺が逃げたら……これが、俺を…」
「なんて、ことを…」
言葉を失くした二人が手首のブレスレットを見つめる。
その瞬間、ミミの瞳が細められる。
「……ふふ、面白いでしょう?」
ミミはゆっくりと空から離れて、顔を覗き込んだ。
「これが“契約”。それで──いい?」
空は目を伏せたまま、しばらく沈黙していた。
やがて、微かに息を吐いて顔を上げる。
「……わかったよ。”契約”だ」
空の声はかすかに震えながらも静かに、しかし確かに響いた。
その場に、奇妙な静寂が流れる。
「空さん!」
空の横顔を見たシィロは、止めることは難しいと悟った。
「シィロ、ごめんな。後、レイスさんにも謝っておいてほしい…」
「私の方こそ…力になれず、ごめんなさい」
シィロは泣きそうな顔で立っている。
「心配しないで、シィロはいっぱい助けてくれているよ」
空はシィロの頭に手を置いた。
「…じゃあ、行ってくるよ」
そう言うと振り向くことなく、祭壇の中央へと歩いていく。
シィロが、最後に空の背中を見つめた。
その背中は、どこか大人びて見えた。
「……いってらっしゃい、空さん…きっと、朝陽さんを!」
「──うん。必ず、連れて帰るよ」
空は、ゆっくりと微光を放つ、透明な台に手を伸ばす。
ノエリウムが反応。
淡く光を放って、記憶の祭壇も共鳴するように強い閃光が走り、祭壇の中心──“記憶の根”への扉が、静かに開かれた。
閃光が収まると、記憶の祭壇と共に空の姿は消えていた。




