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そらのかけら  作者: 夜と雨
第八章:存在の交差点
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第四十一話:忘れられた山道、霧の呼び声

 石碑を後にした三人だったが、ようやく、剥き出しの岩肌が広かった岩場に到着した。

 その中央に空いた巨大な“穴”。


 三人は、しばらく辺りを見渡した。

 かつての《ミミ》との戦いが繰り広げられたその場所は、今ではただ静かに、時の中に沈んでいる。

 空の色は高く澄み、けれど風はどこか湿っていた。


「……あのときは、もっと荒れてた気がするけどな」


 空が岩を一つまたぎながら、ぽつりと呟いた。

 ミミの闇が破壊した大地の形跡は見当たらず、あの時のことは夢ではないかと錯覚するほどだった。


「そうですね…でも、何もなかったように戻ってる…?地形は多少変わってるようですけど…」


「まるで記憶の祭壇に続く道を、閉ざさないようにしているようだな」


 シィロが地図を取り出し、山の地形を指差す。


「あそこから……この辺りに地図にない道がある気がします。下に向かってるはずの山道が……」


 そう言いながら、シィロが歩を進めると、やがて木々の隙間から、崩れかけた石段のようなものが覗いた。


「……あった。この道です!」


 けれど、その先はすぐに白い霧に覆われ、視界が途切れていた。


 踏み入れた瞬間、空気が変わった。


「わっ!何か変な感じですね…」


 湿り気を帯びた霧が足元から立ちのぼり、あたりの木々の輪郭がぼやけていく。

 まるで、世界そのものが輪郭を失い始めたかのようだった。


「……これ、普通の霧じゃないですね」


 シィロがそう呟いたのと、レイスが足を止めたのはほぼ同時だった。


「記憶の流出が近い……おそらくこの霧は、その影響だ」


「ってことは、もう近くに……!」


「いや。まだ距離はあるはずだ。ただ……この道が本来の進路ではない可能性もある。地図に載っていないということは、忘れられた道だ」


 その言葉に、空とシィロは顔を見合わせた。


「ここからは今まで以上に、慎重に進んだほうが良さそうですね…」


「うん…油断して崖下にって怖すぎるしね…」


 空とシィロは、転落する映像を思い浮かべてしまい、身震いした。


「私が先頭を行こう。シィロ、手を出せ」


「は、はい」


 シィロは訳が分からずレイスに向けて手を出した。


「逸れても面白くないからな。各自、手を繋いで行くぞ」


 そう言うとレイスはシィロの手を握った。


「わかりました、空さんどうぞ!」


 シィロが差し出した手を、空は静かに握った。


「…なんか、照れる…」


「遊んでいる場合ではないだろう…」


 照れる空に、レイスは呆れて言った。


「よし、ではゆっくりと進もう」


 前に向き直って、霧の中を三人は進んでいく。


 やがて三人は、霧が少ない拓けた場所に出た。


 そこには古い吊り橋があったが、片方はすでに落ちており、板も縄も風にさらされて朽ちかけている。


「…これは崩れていますね…通れそうにないですね」


 シィロは吊り橋の近くに行って観察した。


「岩場の方は綺麗になってたのに、吊り橋は直らないんだな…」


「どういう理屈なんでしょうか…」


 空たちの方に戻って首を捻っている。


「ここを無理に進むのは危険だな…いったん休みながら考えるとするか」


 レイスの言葉に、三人は橋の手前の岩陰に腰を下ろした。


「あ、そうです」


 シィロはリュックを漁ると長方形のバスケットを取り出した。

 蓋を開けると中にはサンドイッチが入っていた。


「後どれくらいかかるかわからないので、栄養補給しましょう!」


 シィロは笑いながら、空とレイスにバスケットを差し出してくる。


「シィロは準備が良いな…」


「空さんが準備しなさすぎなんですよ…」


 空とレイスは、礼を言ってサンドイッチを取った。

 サンドイッチにはトマトやレタスに似た野菜とベーコンに似た肉が入っており、冷めてはいるが噛むたびに素材の味が染み出して疲れた身体に染み渡った。


「急いで食べなくても、まだありますよ」


 喉を詰まらせた空にシィロは水を手渡す。

 水を受け取った空は一気に飲んだ。


「はぁ…危なかった…ありがとう、シィロ」


「どういたしまして!」


 シィロは嬉しそうに笑った。


「ごちそうさま、シィロ。とても美味しかった」


 レイスはシィロに


「しかし、朝もそうだが、シィロが料理を作れるとは意外だな…」


 レイスは感慨深そうに言った。


「これくらいのものであれば、誰でも作れると思いますよ?」


「…私も昔、遠征で皆に夕飯を作ったことがあったのだが…不思議と誰も口にしなかった…それ以降、私が作ろうとするとレスルに止められるのだ…」


「…あー、恐れ多かったんだと思いますよ」


「そうですね!レイスさんは上級記録者(トキビト)ですしね!」


 何かを察したように顔を見合わせて、二人は誤魔化した。


「…そうなのだろうか…中々に独特な味で、うまく作れたと思っていたんだがな…」


 レイスはそれに気が付くことはなく、当時を思い出して、残念そうな顔をして笑った。


「そうだ、この旅が終わったら、頑張ったご褒美に、二人に作ってやろう」


 素晴らしいことを思い付いたと神聖ささえ感じる表情で、二人に対して死刑宣告を告げた。


「え、あー、ははは」


「ん、嫌だったか…?」


 二人の反応を見て、レイスは少し残念そうな顔に戻った。


(どうする、シィロ…?)

(覚悟を決めましょう、空さん)


 二人は視線を交わして会話をした。

 このとき、地球人の空とアズールヘヴン人のシィロが、本当の意味で通じ合った瞬間であった。


「…嬉しいです!とても楽しみです!なぁ、シィロ?」


「そ、そうですね!あ、どうせならハンゲツ様やレスルさんたちも呼んで、パーティしましょう!」


 空はやけくそ気味に返事をした。

 シィロも無駄な抵抗は諦めて、犠牲者を増やして、自身の被害を減らすようにしたようだった。


「ふふ、楽しみだな」


 レイスは機嫌が良くなって何を作ろうかと考え始めた。


「よし、ちょっと食後の運動しないと…」

 

 その空気を打ち消すべく、空がふと立ち上がり、崖の縁まで歩いていく。


 しばらく何も言うことなく、ただ下を見下ろしていた。


「空、あまり近づくと危ないぞ」


 レイスが空に声を掛ける。

 空は足元に転がる小石蹴った。

 カランと音を立てて、小石は崖を転がり落ちていく。


「……何を見てるんですか?」


 シィロがそっと声をかける。


 空は少しの間だけ黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。


「……下に、道がある気がする。霧でよく見えないけど、あれ……たぶん、古い登山道だ」


「……えっ」


 シィロも身を乗り出すようにして、空の横から崖下を覗いた。


「……本当だ。あれ、道の跡じゃ……」


 そこには、霧の隙間からわずかに見える、斜面を巻くように続く草地の段差。

 確かに、何かがあった痕跡のように見えた。


「あっちが…正規ルートと言うことか」


 レイスも霧に目を凝らして崖下の道を見た。


「よく分かったな、空」


「……何かに呼ばれている気がしたんだ、根拠とか全くないけど…」


 空は自信なさげにそう言った。


「降りて……みますか?」


 シィロが振り返ると、レイスが静かに頷いた。


「……そうだな。ここが行き止まりなら、あの下が次の手がかりだ。だが、この辺りにロープの代わりになるものがあれば良いのだが…」


「ふふふ、こういうこともあると思いまして…」


 そう言うと、シィロはリュックからロープを取り出した。


「…なんでそんなものまで持ってるんだ?」


「そのリュック、なんでも入ってそうだな…」


 レイスも空も呆れてと驚きが混じった声をあげた。


「私の地球での仮の姿は猫ですからね!色々便利なものが入っているんですよ!」


 シィロは胸を張って、得意気に笑う。


「シィロ、ありがとう。レイスさんこのロープを使って降りてみましょう!」


 シィロが青色などと言い出す前に、空は急いで遮った。


「う、うむ。そうしよう、慎重に降りよう。霧が深いからな」


 空の勢いに押されてか、レイスは頷いた。


 風が、崖の下から吹き上げてくる。


 三人は静かに、崖を降りる準備を始めた。


 霧の奥から、一羽の鳥の影が、音もなく舞い上がって消えていった。


 その先で、何かが待っている。


 それは、まだ誰も知らない“記憶のかたち”だった。


 * * *


 崖を降りることを決めた三人はロープを固定する場所を探した。


「しっかりと固定されている場所が良いですよね?」


「ああ、ロープが結べそうな太い木があれば一番だが…」


 吊り橋の周辺は拓けていることもあり、ちょうど良い場所には太い木は見つからなかった。


「木もあるにはありますが、ロープの長さが不安になりますね」


「結べたとしても、下の道に行けなければ意味がないからな…」


「二人とも!この岩なんてどうだろう!」


崖の近くを探索していた空が、頭を悩ませていたレイスたちを呼んだ。

 二人は空の方へと向かった。


「これです、この岩なら…」


 空は崖の近くのその岩を指差した。


「しっかりとしていますし、動きそうにないですね…」


「そうだな。空、よくやった。これになら安心して固定することが出来る」


 二人に褒められた空は嬉しそうだった。


「早速、ロープを固定しましょうか」


「私に任せてくれ」


 シィロが取り出したロープをレイスは

手に持って、慣れたように岩にしっかりと固定した。


「よし…これでいいな…」


 そう言って、レイスは何度かロープを引っ張った。

 問題なく固定が出来たため、二人を振り返ると、空とシィロは頷いた。


「では、先に降りるから二人とも、私が下に着いたら一人ずつ降りてきてくれ」


 そして、レイスは躊躇することなく、先に身を乗り出した。

 崖の縁から下を覗き込むと、濃い霧がゆらりと揺れていた。


「足元に気をつけろ。苔が多い」


 崖下の道に到着したレイスが、空たちを見上げて言った。


「う、うん……こわ……」


 空がロープに体を預けながら、じわじわと足を滑らせるように降りていく。

 霧が体を包み、視界はすぐに白く塗りつぶされた。


「ゆっくりで良いからな!」


「わ、わかってます!」


 霧の中、風の音も、鳥のさえずりも消えた。

 聞こえるのは、足元で岩を擦るザラついた音と、ロープの軋む低い音だけだった。


「……ついた」


 ようやく足が地に着いたとき、空は思わず息を吐いた。


「私も行きますね!」


 シィロの声が上から届き、軽やかに崖の斜面を降りてきた。


「よく頑張ったな」


 レイスは二人を労うと次に進むべき道を見た。


 霧が漂うその場所には、確かに細い山道の名残があった。

 崖の中腹を巻くようにして、木々の間に続いている。

 足元には過去に人の通った痕跡がうっすらとあり、ところどころに崩れた石段のようなものも見えた。


「これが……忘れられた山道……」


 シィロが呟くように言う。


「おそらく、祭壇へと続くかつての参道だな」


 レイスが道の土をすくい上げ、指でほぐすようにして確かめた。


「今はもう、誰の記憶にも残っていない。けれど、道は消えていない」


 空はしばらく足元を見てから、静かに頷いた。


「じゃあ……進もうか」


 三人は再び列を組み、山道をゆっくりと進み始めた。


 霧は深く、左右の木々は輪郭を失い、森の奥行きすら曖昧になる。

 まるで、空間そのものが歪んでいるようだった。


「……なんか、音も……消えてませんか?」


「うん……自分の足音が、やけに大きく聞こえる」


 空が言うと、レイスも小さく頷いた。


「この霧は、“記憶の縁”だ。音も、匂いも、存在の境界すら、溶けていく。

気を抜けば、自分という輪郭すら──見失うだろう」


 その言葉に、シィロが更に強く空の手を握った。


「……迷子、嫌ですからね」


「うん…ここで一人は怖すぎるよな…」


 そう言って空も強く握り返した。


 そうして歩を進めていくと、やがて霧の奥に、淡く“影”のようなものが見え始めた。


「……あれは」


 レイスが立ち止まり、目を凝らす。


 霧の向こう、わずかに光を反射するような、石のような表面──

 人工物の輪郭が、かすかに現れていた。


「祭壇……ですか?」


「いや、まだ手前だろう。だが……近いな」


 そのとき、ふいに冷たい風が三人のあいだをすり抜けた。

 空が思わず肩をすくめると、どこからか微かな音が聞こえた。


 ──ぽつ、ぽつ、と、雫が石を打つような音。


 それは雨ではなかった。

 音だけが、空間のどこかで繰り返されている。


「……聞こえる?」


「……はい。何の音でしょうか……?」


 空とシィロが顔を見合わせたとき、レイスは静かに口を開いた。


「記憶の滴だ。……過去が、少しずつ染み出している」


 その言葉を最後に、三人は自然と言葉を失った。


 風は静かに吹いていた。霧の中、見えない記憶の残滓が、空気に溶けていく。


 この先に何があるのかは分からない。

 けれど、もうここまで来た。


 それは確かな足音と、繋いだ手の温もりと、胸の鼓動が証明していた。


 誰かが、待っている。


 それだけは──なぜか、確かだった。

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