第三十四話:声なき声を辿って
澄んだ空気が街道に満ちていた。
簡素な小屋で一晩を明かし、体力も戻ってきている。
空たちは本部へと向かう道を再び歩き出していた。
「レイスさん…少しいいですか?」
レイスがシィロを振り返る。
「空さんが外に出たことがバレていませんよね…?バレてしまったら折角与えられた猶予も、取り消されてしまう可能性があるのでは」
「そのことか…」
シィロたちはレイスの言葉の続きを静かに待った。
「おそらく、バレてはいないだろう。時間が稼げるように、レスルに随行者選定に時間が掛かっていると報告するよう頼んでおいた」
「いつの間に…」
シィロが驚いた表情でレイスを見る。
「それに…そもそも、自分から牢獄に足を運ぶような連中でもないさ」
その言葉には、わずかに苦味が混じっていた。
レイスの瞳は、ほんの少しだけ過去を見ているようだった。
「レイスさん、どうしてそこまでしてくれるんですか…?」
「…空。君の強い想いを聞いて、今回行動も共にした。記録者としては逸脱した行為だったが、私はすでに君に力を貸したいと考えている」
「レイスさん…ありがとうございます」
胸の奥に、じんわりと温かいものが広がっていくのを感じた。
心細さと、不安と、張りつめていたものが少しだけほぐれていく。
「何か知らない間に仲良くなっています。良いことですけど…」
ぽつりとつぶやいたシィロの声に、空は小さく笑った。
* * *
本部の扉が開いた瞬間、ふわりとした香のようなものが鼻腔をかすめた。
空は一瞬足を止めたが、シィロに促されて中へ入る。
「お疲れ様です、レイスさん」
中に入ると声が掛かり、空は身を固くした。
「レスル」
レスルの姿を捉え、レイスは声を返して彼の元に近づく。
「すまなかったな、面倒なことを頼んで」
「気にしないでください…いえ、貸し一つということで」
レスルは冗談めかして言った。
「…わかったよ」
レイスの声は少し硬かったが、どこか安堵がにじんでいた。
「…上の連中はどうしている?」
「レイスさんの予想通り、特に動きはありませんでしたよ」
ああ、でも。とレスルは続ける。
「ハンゲツ様が戻ってきたのでバタバタと慌ててはいますかね」
「…お帰りになられたか」
レイスはその報告を聞くと空に向き直った。
「空、申し訳ないが牢獄に戻って、しっかり身体を休めろ。あとは我々に任せておけ」
「はい、ありがとうございます……」
空はレイスたちに別れを告げて、シィロと共に牢獄に向けて本部の廊下を歩いていく。
「シィロ、レイスさんたちも言ってたけど随行者って何をするんだ?」
「随行者ですか?随行者とは、今回、空さんが朝陽さんを取り戻すために力を貸す存在…と認識してもらえたらいいかと思いますよ」
「ふうん…」
「ただ、随行者についてもですが、取り戻す方法についても記録上、存在していないため、手探りにはなってしまいますが…」
「それでも、ノエリウムにも詳しい記録者が助けてくれるなら嬉しいよ」
空は笑顔でシィロに言った。
「それで、結局。随行者には誰が選ばれたんだ?」
「…そうでした!随行者に選ばれたのは私です!」
シィロは胸を張って答える。
「シィロが?そうか、心強いな」
「そ、そうですか?」
シィロは照れながら空を見た。
「うん、シィロなら俺や朝陽を知ってくれているし、何より一番信頼してる仲間だから」
「一番…信頼」
シィロは空の言葉を小さな声で呟いて、気合いを入れるように声を上げた。
「よし!空さん、私に任せてくださいね!部屋に送ったら、取り戻すための情報も集めてきます!」
空はそんなシィロを見つめ、ふっと小さく微笑んだ。
「うん、頼りにしてるよ」
二人はエレベーターに乗り込み、地下へ向かった。
人気のない廊下を通って、牢獄までたどり着いた。
「シィロ、ありがとう」
「すぐ出れるようになりますから、もうしばらくだけ辛抱を…」
「わかってるよ、俺も大人しくしてる」
「それでは、また来ます」
牢獄の扉を開けて中に入る。
シィロが手を振って部屋から離れた。
* * *
シィロが去った後の牢獄は、ひどく静かだった。
空はゆっくりと腰を下ろし、深く息を吐いた。
そして、外の世界で起きた一連の出来事が、少しずつ現実味を帯びて心に沈んでいく。
朝陽のこと。ノエリウムのこと。ミミのこと。
そして、これから待ち受ける、未知の過程。
(俺に、本当に取り戻せるのか……いや、取り戻すんだ)
何度目かの決心。
けれど、不安は完全には消えない。
胸の奥底で、静かに、確かに渦を巻いていた。
(ミミ……トガビト……伊織、大丈夫だったかな……)
地球で別れた親友の顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
「大丈夫。うん、大丈夫だよ……」
自分に言い聞かせるように、小さくつぶやいた。
でも、その言葉にはどこか自信がなかった。
ポケットに手を差し込み、ノエリウムを取り出す。
ミミと対峙したあの瞬間――確かに、こいつが俺を守ってくれた。
(あの時……“どういたしまして”って、聞こえたような気がしたんだよな)
思い返せば曖昧な記憶。でも、たしかに心に残っていた“声”のようなもの。
「ノエリウム……聞こえてるなら、応えてくれないか?」
そう呼びかけても、ノエリウムはただ、沈黙を保っていた。
掌の中で、ひび割れたままの姿を保ち、ぴくりとも動かない。
(まあ……そうだよな。石が喋るわけないか……)
乾いた苦笑をこぼしかけた、そのときだった。
——空 ——いに来て——
不意に響いた“声”。
ノイズの混じった、かすれた囁きだった。
けれど、確かに耳に届いた。
何処かで聞いたことのある声だった。だが、それが誰なのか思い出せない。
空ははっとして顔を上げ、辺りを見回す。
牢獄の中は相変わらず薄暗く、人の気配などどこにもなかった。
「……今の、ノエリウムなのか?」
もう一度、手の中の結晶に問いかける。
だが、それ以上は何も聞こえてこなかった。
「なあ、さっきの……もう一回、言ってくれないか?」
呼びかけた声は、ただ虚しく空気に溶けていった。
沈黙だけが、また部屋を支配する。
けれど空の胸には、妙な感覚が残っていた。
(……思い違い、かな。疲れてるだけかもな)
それでも、あの“声”が夢ではなかったという確信が、どこかに微かに、確かに残っていた。
曖昧で、輪郭のない気配。
けれど、それが“何か”の始まりであることを、空は無意識に感じ取っていたのかもしれない。
少しの違和感を抱きながらノエリウムを、そっとポケットへ戻す。
掌に残る冷たさが、妙に記憶に焼きついた。
* * *
さっきの声が、ただの幻聴じゃないとしたら――
それが何かの“導き”なのだとしたら。
空は、胸の奥に微かに残るざらついた感覚を振り払うように顔を上げた。
今は、まず朝陽を取り戻す手がかりを探さなければならない。
だが、手探りであったとしても、トキビトたちの記録にすら載っていないというその方法を、一体どうやって探せばいいのか。
(誰か、知ってる人はいないのかな)
思考が回り始めたそのとき、軽やかな足音が廊下から近づいてくる。
扉がノックされ、シィロの顔が覗いた。
「空さん、牢獄から出ていいって言われました。仮の部屋も用意してあるそうです」
「ほんと?ありがとう、助かったよ」
「では行きましょう!」
二人は牢獄を後にした。
「仮の部屋って、どこにあるんだ?」
空は部屋に着いて尋ねた。
「えっと…本部を出たところに記録者たちの宿泊施設があるんです、そこの一室ですよ」
「そうなんだ?っていうか記録者の宿泊施設なんてあるんだな」
「はい、ほとんどの人はここに泊まるんです。例外もいますけどね。あ、でもそれはちょっと特別な人たちで……」
「特別?」
隣にいるシィロの顔を覗き見た。
「…例えば、レイスさんとかは本部の敷地内に部屋があります!後はアジク様とか…上級以上の記録者はそちらに部屋を貰うか選べるんです。あ、乗りますよ」
二人は昇降機に乗り込んだ。
シィロは一階のボタンを押して扉を閉める。
昇降機が上昇する感覚がする。
「それ…結構、本部の敷地が広いってことだよな?」
「んー…確かに敷地は広いと思いますが、上級以上の方はそこまで数が居ないですし、断る方もいますからね」
「断るの?部屋貰えるのに」
「まぁ…縛られるのが嫌だと言う方も一定以上いますからね」
「そんなもんか…」
「そんなもんですよ」
シィロが空の口調を真似して笑った。
一階に到着して、昇降機は停止した。
「こっちですよ」
シィロは昇降機の扉から出て、案内を続けた。
無機質な廊下を抜けて、本部の入り口から外に出た。
本部に来たときには余裕がなく、空はその存在に気づけなかったが──今は異質な雰囲気を持つ建物に気づくことができた。
「着きました。ここです!」
「……かなり、大きい施設なんだな」
シィロが案内してくれた施設は、苔と蔦に覆われた、まるで時が止まったような石造りの建物だった。建物の一角には崩れた跡もあり、修復された部分が新しい材質で補われている。
しかし、トキレイムの雰囲気の中であっても不思議と悪くないと思える外観であった。
「外見は古いですが、中はかなり凄いですよ!」
そう言いながら施設の両開きの扉を勢いよく開いた。
施設に入ってすぐは広々としたホールになっていた。
天井は高く、光を通す青白い鉱石が並び、足音が反響して遠くまで響いている。
石造りの壁には微かに苔が残っていて、時折、どこかから機械のような音が響いていた。
右手には複数の扉が並ぶ回廊が続いており、左手には古びた階段と、半分機械に覆われた受付らしきカウンターがあっって、まるでどこかの研究施設と遺跡を融合させたような空間になっていた。
「確かに…中は凄いな」
何より目に入ったのは、ホールの中央だった。
ホールの大半を占めるほどの球形のオブジェとグリフォンを従えて、オブジェに向けて手をかざす人物の石像だった。
空は思わず立ち止まった。
光を受けて煌めく球体——そこに手をかざす人物の像。
圧倒的な存在感に、思わず息を呑んだ。
「……これは……すごいな」
「これは”エクシウス”という時計、と言われています!」
「時計なんだ?」
「……たぶん。実は詳しくはわかっていないんですが、時計みたいに決まった時間に音を鳴らしたり、光を発したりするので、そう言われています」
「そんなところに宿泊施設を建てて大丈夫だったの?」
「私が記録者になったときには、すでにここはありましたが…話によると、この人物が記録者の設立者でして、宿泊施設を建てた後にオブジェを設置したらしいです」
シィロは、首を傾げて、記憶を探りながら話した。
「ふうん…なんかスケールの大きい話だな…」
空はオブジェを見上げて、圧倒されて言葉をなくした。
「詳しくは説明できないのが申し訳ないです…」
そう言いながらも、シィロは何処か得意げにしていた。
「さぁ、そろそろ空さんの部屋に向かいましょう!」
* * *
「ここが空さんの部屋ですよ」
案内された部屋は施設の一階の一番奥にある部屋だった。
「案内してくれて、ありがとう」
「どういたしまして!」
空に感謝されて、シィロは嬉しそうに笑った。
「あ、レイスさんが、返しておいて欲しいとこれを」
シィロはカバンを漁って、空のスマホを取り出した。
「そう言えば、忘れてたよ。ありがとう」
空はスマホを受け取ってポケットにしまった。
「私は一度、部屋に連れて行ったことを報告してきますので、後でご飯でも食べに行きましょう!」
「わかった、そのときにこれからの相談をしたいんだけどいいかな?」
「もちろんです!朝陽さんを取り戻す方法を探さないといけないですからね!」
「うん、ありがとう」
シィロも同じ気持ちで考えていてくれたことが嬉しかった。
「それでは、また来ますね!」
シィロは手を振って、部屋の扉を閉めた。
空は静かになった部屋を振り返って眺めた。
白を基調にした壁に、柔らかい照明。 幾つかの家具に、シンプルな木製の机と、シーツの整ったベッドがひとつ。
簡素ではあるが、静かで落ち着いた雰囲気が漂っている。
床は石造りでひんやりとしていて、どこか地下のような空気を感じさせた。
空は部屋の真ん中に立ち、ふと窓の外に目をやった。
窓から見えるのは、深く青い空と、ゆっくり流れる雲。その静けさに、ほんの少しだけ心が落ち着いた。
「空さん」
控えめにノックされた扉を開けるとシィロが立っていた。
「ごめんなさい、ハンゲツ様が……時間が合えば、一度、話をしようっておっしゃってました」
「ハンゲツ様?」
「ハンゲツ様は現記録者を統括している最高責任者の方です!」
「最高責任者…それってかなり重要な要件じゃ…」
空がシィロを静かに見つめていたら慌てて弁解した。
「わ、忘れてたりはしてませんでしたよ?伝えるタイミングを見計らっていただけですよ」
シィロの目は動揺しているのか、空の顔を見ようとしない。
「つ、伝えましたので、後で行きましょう!ね!」
「……うん、わかった。行こう」
空は静かにうなずく。
「それでは!」
シィロは急ぎ足で部屋から離れていった。




