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そらのかけら  作者: 夜と雨
第七章
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第三十三話:揺れる火と心

 シィロが完全に泣き止むのを待つ間、レイスは倒れている記録者(トキビト)に声を掛けていた。


「お前たち、大丈夫か?」


「…うう」


 何度か声を掛けた後、二人はようやく目を覚ました。


「災難だったな…」


「レイス様…あのトガビトは…?」


「…何とか我々で撃退することはできた」


「そう…ですか…」


「私たち助かったんですね…」


 二人の記録者(トキビト)は安堵の息を吐いた。


(だが…あのトガビトの様子…まだ手放しには安心できん…)


 レイスは小さく溜息をついた後、腕が折れている記録者(トキビト)に護符を貼って、添木をする。


「よし、気休め程度だが少しはマシになるだろう」


「ありがとうございます…」


「我々はそろそろ本部に戻るが、お前らは動けそうか?」


「…なんとか、動けます」


「私は、まだ…レイス様、先にお戻りください、もう少し休んでから帰ります」


「そういうわけにもいかないだろう…」


「俺が肩を貸します」


 泣き止んだシィロを連れた空がレイスの元にやってきた。


「大丈夫か?少年」


「はい、やらせてください」


「…わかった、頼んだ」


 レイスは頷き、空は記録者(トキビト)に肩を貸して立たせた。


「…うう…ご迷惑をお掛けします…」


「いえ…俺のせいでごめんなさい…」


「…とりあえず、今は全員の無事を喜ぶとしろ。行くぞ」


 レイスは空と記録者(トキビト)の会話を切り上げさせて、方角を見ている。


「また…森を通るんですか?」


 空がレイスの横まで来て尋ねる。


「幻影の森は危険だ。遠回りにはなるがあちらの方にある古い街道を使おう」


 空たちは舗装された古い街道を使い、本部に戻ることにした。

 地面には乾きかけた泥の跡が残り、草むらの奥からは夜の虫の声が聞こえる。


「……すこし、寒くなってきましたね」


 シィロがぽつりと呟いた。

 レイスは無言のまま周囲に視線を配りつつ歩く。

 その肩越しに、空はふと夜空を見上げた。


「星……きれいだな」


 誰も応えなかったが、その静けさが、今は心地よかった。

 ほんの少し、世界が戻ってきたような気がした。


 また少し進んだ先。

 街道の脇に、使われなくなった石造りのあずまやのような小屋があった。

 屋根は草臥れてはいたが、雨風はしのげそうだった。


「……皆、そろそろ一度、休もう…疲れも溜まっているだろうしな」


 レイスの言葉に、誰も反論はしなかった。

 空は記録者(トキビト)のひとりをそっと座らせ、シィロは小屋の端に腰を下ろすと、膝を抱えて静かに夜を見ていた。


「……」


 虫の声が続いている。風が草をなでる音も。

 けれどその中に、微かに──“何か”が混じっているような気がした。


「……草の音、なんだか違って聞こえませんか?」


 シィロがぼそりと口にした。

 空もまた、違和感を肌で感じていた。


(風の匂いが……変わった?)


 鼻の奥にひっかかる、濡れた苔のような、少し懐かしい匂い。

 風に紛れるように、誰かに名を呼ばれたような──どこか懐かしくて、けれど言葉にはならない感覚が通り過ぎた。


「……レイスさん。ここって、誰か住んでたんですか?」


「いや…随分前から廃屋となっていたはずだが……」


 その言い回しが、少し引っかかった。

 レイスは、何処かこの場所を知っているような口ぶりであった。


 その瞬間、ふわりと風が抜けた。


(……なんだろう、この感じ)


 胸の奥が、ほんの少し、あたたかくなるような気がした。

 夜気は冷たいのに、不思議と心は穏やかで──まるで、誰かが「だいじょうぶ」と静かに囁いてくれたような気がした。


(……この匂い、どこかで……)


 苔と草の匂い。湿った土と風の香り。

 懐かしい、というにはあいまいだけど、どこか心に触れるにおいだった。


 それが誰のものかはわからない。けれど、嫌な感じではなかった。


(……まるで、誰かに包まれているみたいだ……)


 草むらの奥で、カサリと小さな音がした。

 けれどそれは、不思議と怖くなかった。まるで夜の中に、静かに寄り添ってくれる誰かがいるような──


「…念のため、私が見張りをしておく。お前たちは休め」


 レイスが静かに告げた。


「…いや、それは…私たちも見張りをします」


 レイスはゆっくりと首を横に振った。


「無理をするな…皆、疲労が顔に出ているぞ?…それに、私の見張りでは安心できないか?」


 レイスの声は柔らかく、夜に溶けるようだった。


「…わかりました…何かあったら遠慮なく起こしてくださいね」


 シィロたちは渋々頷いて、各々の横になった。


(……このまま、夢を見てもいいかな)


 空は、あたたかな気配の中、まぶたの裏に浮かんだ淡い光を見つめるように、そっと目を閉じた。


 * * *


 夢を見ていた。

 けれど、その内容は目覚めと共にすべて霧散してしまった。

 空は静かに目を開けた。


 古屋の中は薄暗く、夜気はさらに冷え込みを増していた。

 隣に眠るシィロの寝息が小さく聞こえる。記録者のトキビトたちも、疲れきった様子で浅く眠っていた。


 ……レイスの姿が、ない。


 空はそっと体を起こすと、音を立てないよう外へ出た。


 夜空には雲がかかり始めていて、星はほとんど見えなかった。代わりに、遠くで木の葉が風に揺れる、かさかさという音が耳にやさしく届く。


(……あれは?)


 小屋から少し離れた林の端、月明かりに照らされたその場所に、レイスの後ろ姿があった。


 彼女は一人、膝をついている。

 足元には──苔むした、小さな石碑のようなものがあった。


 空は息をひそめ、距離を取ったまま、そっとその様子を見守る。


「……お久しぶりです」


 静かな声が、夜に溶けていく。


「こんな形でしか、ここに戻ってこれなくてすみません…」


 レイスは石碑に手を添え、しばらくじっとしていた。


「……私も…少しは貴方に近付けたでしょうか…?」


 そう言って、ふと笑ったような気配がした。けれどそれは、ほんの一瞬でかき消えた。


「……師匠、空の下で見ていてください。昔のように、笑って。私が……いや、私たちが、道を誤らないように」


「──」


 風が吹いて、レイスの声はかき消された。

 石碑の周囲に生えていた薄紫の小花が揺れる。

 レイスは立ち上がると、振り返らずにその場を離れた。


 風に消えたレイスの言葉。

 空にだけは届いていた。


『……本当は、もっと話したいことが、山ほどあるのに』


 空は息を呑んだ。

 それは、まるで自分の胸の内を代弁されたような言葉だった。


 急いで視線をそらし、気配を消してあずまやの陰に戻った。

 胸の奥で、何かが静かに震えていた。


 あの場所は──墓だったのだろうか。

 レイスが、誰かを大切に思っていた証。


(……そうか)


(……あの気配も、きっと──)


(ずっと、見守っていたんだ)


 夜は、まだ静かだった。


 * * *


 小屋に戻った空は、かすかに開いていた扉の向こうに、既に戻っていたレイスの姿を見つけた。

 彼女は薪の火に背を向け、静かに座っていた。空の気配に気づいたのか、振り返る。


「……起きていたのか」


「……少し、目が覚めてしまって」


 空が答えると、レイスは火のそばに空間を空けて手招きした。

 促されるように隣へ腰を下ろす。薪の火が、ゆらゆらと揺れていた。


「眠れそうか?」


「……はい、たぶん。けど……頭の中がまだ、ちょっとぐるぐるしていて」


 そう言いながら、空は火を見つめた。

 しばらく沈黙が流れ、ぽつりと呟くように口を開く。


「……彼女は、自分のことを“トガビト”だって言っていました」


 その言葉に、レイスがちらりと目線を送る。


「レイスさん、トガビトって……一体、何なんですか?」


 言葉にしながら、空は自分の中の記憶が、どこか曖昧になっていくのを感じていた。

 あれが夢だったのか、それとも現実だったのか──確信が持てない。


「……それに、あのとき……レイスさんたちが彼女と戦っているとき、見た気がするんです。あかりの姿。はっきりじゃないけど、あの霧の中で、呼ばれたような……そんな気がして」


 レイスの目が細くなった。炎の揺らぎが、その瞳の奥に一瞬、影を落とす。


「……アズールヘヴンにおいて、“トガビト”とは本来、記録に残った残滓──あるいは、歪んだ想念のようなものだとされている。

 形を持たず、意思も希薄。漂うだけの存在だ」


 そこでレイスは一度、火を見つめる。


「だが……そうした存在も、ノエリウムのような“力”に触れることで、目を覚ますことがある。

 強い記憶や執着に引き寄せられ、形を持ち、生命力を奪うほどにまで活性化する。

 つまり、条件次第では非常に危険になる──それが、我々の知るトガビトだ」


「……じゃあ、彼女は……」


「ああ、あのトガビトは違った」


 そこで一拍、レイスは言葉を切った。


「おそらく、あれはトガビトの中でも特異な個体。強い意思を持ち、形を選び、誰かになろうとしていた。」


「意思を…」


「そして、少年にも干渉しようとしていた。……私も初めて見たが、非常に稀で、非常に厄介なタイプだ」


 レイスの声に、淡い警戒の色が混じっていた。だが、そこに責めるような響きはなかった。


 空は火を見つめながら、小さく息を呑んだ。


「本部でも言われていたように“特異型”と呼ぶべき存在だ。何らかの要因で、トガビトが独自に進化し、通常の理から逸脱した個体……

 それらは、もはや我々の想定する範疇ではない」


 火のはぜる音が、小さく響いた。空は、ぎゅっと指を組んだ。


「俺……」


 ぽつりと、言葉がこぼれる。


「……俺のせいで、皆を巻き込んでしまった。シィロも、他の記録者たちも……レイスさんまで、危ない目にあわせて」


 視線は火から動かない。

 どこまでも悔しげで、どこまでも自分を責めるような声だった。


「俺は判断を間違えてばっかりです。ノエリウムを拾って、朝陽を…それで、今回も…」


 レイスはしばし黙っていた。火がパチ、と音を立ててはじける。

 その音に重なるように、彼女はゆっくりと口を開いた。


「……空。ひとつ、昔話をしてやろう」


「……え?」


 空が顔を上げると、レイスは遠くを見るように目を細めていた。

 その声はどこか懐かしげで、静かに、けれど確かに届くものだった。


「私にも、かつて“迷った夜”があった。……まだ幼く、記録者になって間もない頃だ。師匠と共に、ある地の断片を探索していた。そこで──私は、大きな過ちを犯した」


 火の影が、レイスの顔に静かに揺れる。


「そのせいで、一人の少年を危うく失いかけた。目の前にいたのに、私は怖くて、動けなかった。そのとき、師匠が私にこう言った」


 レイスの声が、低く、けれど優しく響く。


『恐れることを恥じるな。だが、止まることは罪だ。お前の足は、お前自身が動かすしかない』


「……その言葉だけが、私を動かした。あのとき、私は師匠の背を見て、ようやく一歩を踏み出せたんだ」


 しばらく、沈黙。

 空は何も言わず、ただ耳を傾けていた。


「お前も、あの場で動いた。後悔もあるだろう。だが……止まらなかった。その一歩が、いつか誰かを救う。自分を責めるのは、そのあとでいい」


「……でも、また失うのが怖くなってしまいました」


 空の声は震えていた。


「それでいい。怖くて当然だ。だが、恐れを知ってなお進める者こそ、本当に強い者だ」


 レイスの手が、そっと空の肩に触れる。


「君のその足で、進め。君の中にある想いが、どんな姿で現れようとも──君自身が、自分を見失わなければ大丈夫だ」


 炎が静かに揺れている。

 その熱が、空の胸の奥に、少しずつ沁みこんでいくようだった。


 空は、ようやく小さく頷いた。


「……はい」


「さぁ、もう眠れ。明日も早いぞ」


「レイスさん」


「ん?」


「ありがとうございます」


 レイスは少し照れたように手を振って、寝るように促した。

 空はその仕草を見て、微笑んだ後、再び、横になりに行った。


 * * *


 ──そして、翌朝。

 目覚めた空は、自分でも驚くほど身体が軽いことに気づいた。

 昨日の疲れが、すうっと消えているような感覚。


(……あの夜、誰かが見守ってくれてた気がする……)


 確かな理由はなかったけれど、そう思わずにはいられなかった。

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