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そらのかけら  作者: 夜と雨
第七章
33/71

第三十一話:記憶は、名を呼ぶ。

 静寂の森の奥。

 誰の目にも触れない場所で、一人の少年が立ち止まっていた。


 ———。


 白い光が、風に溶けるように漂っており、その光はどこか懐かしく、優しい残響を持っていた。


「…どうしたの?ソラ」


「……誰かに呼ばれた気がしたんだ」


 空は呟くように言った。

 手のひらに握られたノエリウムは、静かに脈動する。


「…アサヒかもね?」


 ミミは笑いながら空を見る。

 少し前に感じた違和感はもう見当たらない。


「そうだったらいいな……なぁ、後どれくらいで着きそうなんだ?」


「んー……あ!見て見て、出口!森を抜けたら、きっともうすぐだよっ」


 ミミが前方、森の終わりを指差した。


「行こう!ソラ」


 空の方を振り返って手を握って走り出した。


 * * *


 幻影の森を抜けた先。

 突然、目の前が開けた。

 そこには、剥き出しの岩肌が広かった無音の岩場が広がり、その中央に、ぽっかりと巨大な“穴”が空いていた。


 穴の縁に立った空は、思わず息を呑む。

 光は、底へ届いていない。

 黒一色の深淵。

 吸い込まれるような暗黒が、まるで生き物のようにうごめいている錯覚すら覚える。

 

「…この下……ここが“記憶の祭壇”。アズールヘヴンの、いちばん奥だよ!」


「……ここ、が…?」


 空が、かすれた声で呟いた。

 ノエリウムが手の中で微かに震え、何かを訴えるように脈動する。


「この下にどうやって……降りるんだ?」


 足元が吸い込まれそうな錯覚に襲われてしまい、視線を落とすことすら恐ろしくなる。


「うーん……飛び込んでみる……?」

 

 ミミは空に笑い掛ける。

 その声は、冗談のように響く。

 だが、空気は凍るように冷たい。


「…バカ言うなよ…自殺行為だ」


「そうだね…とりあえず、降りるにしても、深さを見てみないとだよね!」


 ミミがそう言うと、突然、空の横で何かを引きずるような音がした。


 何の前触れもなく、そこに“人間の身体”が二つ、地面に転がっていた。

 着衣は記録者(トキビト)の制服。血は出ていないが、意識はないように見える。


「!!!」


 空は絶句した。まるで、それが最初からそこにあったかのように——現れた。

 思考が停止して、空は固まってしまう。


「どうしたの、ソラ?びっくりしちゃった?」


「そ、その人たちは…?」


「ああ…これは本部にいた記録者(トキビト)だよ!ソラを捕まえていた悪い人たち!」


「……どうして、ここに?」


「……どうしてだったかな…?」


 ミミは、まるで子どものように笑った。


「…もしかして、殺したのか…?」


 ミミはきょとんとした顔をして、地面に転がった記録者(トキビト)を見る。


「………?この人たちがいなくなると、ソラは困るの?」


 ミミが記録者(トキビト)を蹴飛ばすと、少しだけ動いた後、苦しそうにうめいた。


「たぶん、生きてるよ。良かったよね?」


「………その人たちをどうする気だ、ミミ…」


「んー…悪い人だからここから落としてみようと思ったけど…ソラはどうしたいの?」


 ミミは無邪気に近くの記録者(トキビト)を踏み付けながら、空に尋ねる。


「…ミミと同じ記録者(トキビト)だろ…仲間を傷付け「どうして?」


 ミミは首を傾げながらも踏み続ける。


「…え?」


「ねぇソラ、人間って“悪いことをしたら罰せられる”って言うよね? この人たちは、ソラに悪いことをした。じゃあ、罰せられるべきじゃないの?」


 ミミの瞳はいつもと同じ形をしているのに、どこか別のものが映っている気がした。


「…でも、だからって傷つけたり殺したりしていいわけじゃない」


「じゃあ、どうするの?傷つけるって何?殺すって?痛いの?怖いの?ねぇ、ソラ、教えてよ。どこまでが良くて、どこからがダメなの?」


 一瞬、何を問われているのか理解できなかった。

 空にとっては当たり前のことであったが、目の前の少女には理解ができないようであった。

 

 少女はただ無垢に、知識を求めるように見えるが、その足元では記録者(トキビト)の身体が踏まれている。


「ねぇソラ、知ってる?記録者(トキビト)は観測者。でも、記録するだけじゃ何も変わらない。変えるには、行動しないといけないと思うんだ」


 ミミは足元にいる記録者(トキビト)を一瞥した。


「ソラの想いの力はとても強いの、だから、ワタシ欲しくなっちゃったんだ」


 鼓動が速くなる。

 目の前の少女が“本当に誰なのか”、空は一瞬わからなくなった。


「……」


 ミミは微笑んだまま、空の目をまっすぐに見つめていた。


「ねぇ、ソラ。ワタシね、最初はただ見ているだけだったんだよ」


 その声は、確かにミミの声だった。

 けれど……どこか、音の端が揺れていた。

 まるで別の何者かが、口の裏側から囁いているように。


「見てるだけって、つまんないよね。記録するだけって、意味ないよね。だから、ボク、思ったんだ。——壊してしまえば、全部ボクのものになるって」


 ゆっくりと、まるで人形が糸を引かれるように、ミミの首が傾く。


 その角度は、明らかにおかしかった。


 肩まで届く髪が首筋に貼りついたまま、少女は微笑んでいた。


「……ミミ?」


 空の声が震える。


 それでもミミは笑っていた。

 ひどく楽しそうに、まるでこれから素敵な遊びを始める子供のように。


 空は後ずさった。

 目の前の少女は、笑っている。

 それは「ミミ」の顔をしていた。でも——あれは、ミミじゃない。


「ねぇ、ソラ。さっき“殺す”って言ってたよね。あれ、どんな意味?」


 少女の声が、ゆっくりと、掠れるように低く変わっていく。


 ミミはしゃがみ込んで、足元に転がっている記録者(トキビト)の手首に手を伸ばした。

 バキィッ——鈍い、骨の砕ける音がした。

 掴まれた記録者(トキビト)の腕は不自然にひしゃげていた。

 肘から下が、逆関節に折れ曲がっている。


「ああああ!!!」


 意識を失っていた記録者(トキビト)が痛みで意識を取り戻した。


「……っ!」


 空が息を飲むと、ミミはそれに気づいたように、もう一度笑った。

 その笑顔は、先ほどまでの無邪気なものではなかった。


「いたいって、こういうのかな……?」


 ギチギチと音を立てながら、ミミは曲がった手首をぶらぶらと振った。

 記録者(トキビト)の腕を離して、今度は髪をわしづかみにする。


「…や、やめ…」


 髪を掴まれた記録者(トキビト)が声を上げて、身を捩る。


「——人間の身体、なかなか面白いよ。人間って、こうやって壊れるんだねぇ」


 少女の声は、どこか愉しげだった。

 けれどその目には、何の光もない。ただ、冷たい闇だけが渦巻いている。


「ミミ……お前、誰だ……?」


 空の問いに、少女は一瞬、首を傾げる。


「だれ……? うーん……そういえば、そうだよね。名乗ってなかった」


 にぃ、と裂けるような笑みを浮かべて、ミミは口を開いた。


「ワタシは《トガビト》、ソラが地球から連れてきてくれたトガビトだよ。あのときは名前も形も、もちろん自我もなかったけど、欲しかったんだ。誰かの記憶に残る、意味が——存在の証が。だからね、作ったんだよ。“ミミ”っていう子を。かわいくて、素直で……ソラのそばにいられるような存在を。」


 ふと、空はミミの足元に“影”が伸びているのに気づいた。

 それは太陽とは逆の方向に、不自然に。

 地面に吸い込まれていくように、靄のような黒が滲んでいた。


 見る間にその黒は、ミミの身体から染み出すようにじわりと広がっていく。


 そして、ミミ――トガビトはふわりと立ち上がった。


「…ああ、そうだった。さっき質問だけど…見張りは、持て余したから、持ってきちゃった。でも頑張ったんだよ?誰にも邪魔されないように、ちゃんと“黙ってもらった”んだ!

 だって、ソラにバレたら困るでしょ?ワタシがミミじゃないって」


 ミミは思い出したように、そして嬉しそうに話をする。


 空の脳裏に、あの夜の出来事がフラッシュバックする。

 真夜中、ひっそりと牢に来た理由——あれは空を「助けるため」じゃなかった。

 すべて、“ソラを連れ出して、取り込む”ためだったのだ。


「ソラ。ワタシはずっと探してた気がするんだ。“想い”の強い人を。

 その力を、自分のものにしたくて……ずっと、ずっと——」


 そのとき、ミミの身体から一際大きく、黒い靄が溢れた。

 靄は空気を歪めるほどに濃くなる。

 まるで、感情に呼応するように。


 やがて、その中で、少女の輪郭は少しずつ溶けていくように揺らめいていた。 それは“現実”の皮膚を脱ぎ捨て、本来の姿に還ろうとしているかのように見えた。


「——ねぇ、ソラ。一緒になろ?全部壊そ?ワタシと。ね?

 他のノイズなんて、もう要らないよね……?」


 トガビトが、歩み寄ってくる。

 足元には、ぐったりとした記録者たちの体が、影のように横たわっている。


 空の心臓が、恐怖に軋んだ。


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