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そらのかけら  作者: 夜と雨
第七章
32/71

第三十話:境界に踏み込む者たち

 記録者(トキビト)本部の牢獄——その場所は、静寂に満たされていた。


 空が収監された翌日、シィロは空に会うために牢獄に向かっていた。


(それにしても…見張りの方がいませんね…?寝てるのでしょうか…)


 そんなことはないか、と不思議に思いながらも、シィロは空の収監されている牢獄の前に到着した。


「……ノック……っと」


 軽く拳で扉を叩く。こつ、こつ。控えめな音が無音の廊下に吸い込まれていく。


 反応は、ない。


 数秒の沈黙。

 首を傾げるシィロ。


「……空さん?」


 もう一度、ノックと共に、少し大きめの声で呼びかける。けれど、返ってくるのは沈黙だけだった。


 ——嫌な予感がした。


 シィロは、そっと扉に手を当てる。


 金属ではない、けれど冷たく張り詰めた扉の感触が指先を這った。牢獄をまとっていた結界の膜のようなものが音もなく弾け、扉がゆっくりと開く。


「……え……?」


 そこに、彼の姿は——なかった。


「……どこですか、空さん?」


 静寂。

 中はきちんと整っており、隠れるような場所はない。

 布団はきれいに畳まれ、ノエリウムの残滓すら、そこにはなかった。


 一瞬、足元がぐらりと揺れたような錯覚。

 膝の力が抜けて、その場に崩れ落ちそうになった。心臓が喉元まで競り上がる。

自分の体温が、皮膚の表面から逃げていくようだった。

 ようやく、我を取り戻したシィロは目を見開いて声を出した。


「そ……空さんっ!?」


 思わず、声が裏返る。けれど返事などあるはずもなく。


 ざわり、と背中を冷たいものがなぞる。


 ——この世界で、ただの人間が一人で出歩くなんて…そんな危険なこと…。


 ありえない。

 しかし、どれほど頭で否定しようとも、事実としてこの牢獄に空の姿はない。


「……やはり、外へ……?」


 町の外。

 見習いのシィロでは持て余すような危険な生物やトガビトの存在。

 無力なただの人間である空。

 最悪の展開が頭を過ぎる。


「…………!」


 上手く息が出来ず、足が縺れながらもシィロの足は動き出した。

 振り返り、廊下を駆け出す。


 ——真っ直ぐ、レイスの元へ。


 呼吸が速くなる。胸が締めつけられるように痛む。


「……お願い、間に合ってください……!」


 祈るようなその言葉は、小さく、けれど確かにアズールヘヴンの静寂に溶けていった。


 * * *


 シィロは必死に走って、ようやくレイスの部屋の前に到着した。


 肩で息をするシィロ。

 上位者への報告、緊張など、様々な感情と一緒に大きく深呼吸して飲み込んだ。


「怖がっている場合じゃないです…」


 自分を鼓舞して、部屋の扉をノックしようと手をあげる。


「…何をしている場合じゃないんです、シィロ?」


「ひゃっ!」


 扉に触れる直前、背後から声が掛かった。

 涙目のシィロが振り向くと、そこにはレスルが立っていた。


「レ、レスルさん。脅かさないでください…」


「…別に脅かしてはいませんが…どうしたんです?レイスさんに用事があるのでは…?」


「…はっ、そうでした」


 再び、シィロは顔を強張らせて、扉に向き合った。


「…行きます」


 シィロがノックをしようとしたとき、部屋の扉が開いた。

 目を丸くして、開いた扉の先にいる人物を見た。


「…貴様ら、うるさいぞ」


 そこには部屋着姿で不機嫌そうな顔のレイスが立っていた。


「何か用事か?」


「…ほ、ほほ」


「シィロ…ふざけているのか…?」


 レイスから冷気が発せられて、周囲の温度が急激に低下する。

 シィロは声も出せなくなる。


「レイスさん。報告したいことがあるみたいですよ。私もですが」


 レスルはシィロの様子をしばらく眺めた後、レイスに告げた。

 シィロもその言葉に追従するように狼狽えて何度も頷いた。


「…入れ」


 レイスはシィロを見た後、大きく息を吐いて、部屋の中へと誘導した。


 部屋の中は程よく調度品が配置されていて、とても品が良い内装となっている。

 そして、レイスの存在感と相まって時間が止まったような静けさも醸し出していた。


 レイスは室内の椅子に腰掛けると、足を組んで二人を見た。


「…それで報告とはなんだ…?」


 レイスの前と言うだけで緊張してしまい、上手く話せる自身はなかったが、シィロは話し始めた。


「そ、空さんが…牢獄を……ぬ、抜け出してしまいました!」


 空気が凍るような音もしない静寂。吐いた息が白くなり、壁に飾られていた花瓶の水面が、ぱきりと氷った。

 レイスがそこに“いるだけ”で、世界が一段冷たくなった。


「…どういうことだ?見張は何をしていた?」


「きょ、今日、私が向かった時には…一人もい、いませんでした」


「まさか、あの少年にやられたと言うことか…」


「そ、空さんは…普通の人間です。記録者(トキビト)に手を掛けるのは難しいと、思います」


「…それについて報告があります」


 レスルが二人の会話に割って入った。


「本部内で見張りをしていた記録者(トキビト)数名が行方不明になっています」


「数名が…?」


 シィロは息を呑んだ。


「はい、そして極僅かですが、先日発見された例のトガビトの反応が見張りのいた周辺で検出されています」


「あのトガビトが!?では、空さんも見張りの方たちもトガビトに連れ去られてということですか!?」


 レスルに詰め寄るシィロ。


「その可能性も考えられますね」


「…あの少年と例のトガビトは繋がっている可能性もあるだろう?」


 シィロは慌ててレイスに否定する。


「そ、それはありえません!地球で私たちは、あのトガビトに何度か襲われたんですよ!?」


「…どちらにせよ、少年とトガビトが共に行動している可能性は高い、か…殺されて、取り込まれでもしていなければ…だがな」


「私…探しに行ってきます!」


「待て、シィロ一人で何が出来る…?貴様はまだ見習いだ」


「…で、ですが!」


「……一人で行くなと言っている。少しだけ待て、私も同行する」


「…え?…来てくれるんですか…?」


「ああ、だから少し待て。レスル、トガビトが本部から外に出たとして…反応はどこに続いていそうだ?」


 レスルに向き直って尋ねると、少し思案してから返答がある。


「…トガビトの反応は途中で消えていましたが…裏門から出た辺りにノエリウムの反応が残っていました。ですので、そちらの方向へ向かったと考えるのが良さそうですね」


「…そうか。聞いたな?シィロ。先に裏門に向かっていろ、私もすぐに向かう」


「…は、はい!」


 シィロは慌ててパタパタと走り始めた。

 レスルはシィロの様子をじっと見つめながら、目線だけで「がんばれ」と合図するように笑った。


(…やれやれ、二人とももう少し言葉の選び方を覚えるといいんですけどね…)


 二人だけになった部屋。

 シィロを見送ったレスルは、椅子に腰掛けたままのレイスへと向き直った。


「…珍しいですね?」


「…何がだ」


 レイスは少し不機嫌な顔をした。


「…私も少し、シィロとあの少年が何を成し遂げるのか、興味があるだけだ」


 そっぽを向いたレイス。

 レスルはその頬に赤みが指していた気がしたが気のせいと言うことにした。


「それより。早く貴様も出ていけ…準備が出来ん」


「…ふ」


 レスルは思わず吹き出したが、その瞬間に氷の槍が通り過ぎたため、急いで部屋から逃げ出した。

 

 * * *


 シィロは裏門へと走りながら考える。


 失踪した空。

 特異なトガビト。

 消えた記録者(トキビト)たち。


 どう考えても、いい結果が浮かんでくることはなく、焦りばかりが先行しているようだった。


(……あのときは“ただ記録するだけ”で満足していたはずだったのに……)


(どうして……この胸が、こんなに痛むんでしょう……)


(…無事でいてください…)


 裏門に到着した。

 当然だが、レイスの姿はまだなく、ただ待つ時間がとても長く感じた。

 それ以上に、一人で向かうことの出来ない自分の無力さが情けなかった。


(…私にも、レイスさんのような力があれば良かったのに…)


 力さえ、あれば一人でも助けに迎えた。そんな考えで頭がいっぱいになる。


「待たせたな、シィロ」


 レイスが薄い水色とも言えるような外套を羽織ってやってきた。

 シィロを見て、レイスの金色の瞳が理解の色となる。


「例のトガビトは以前、中級の記録者(トキビト)を殺害している…ただ、力があったとしても一筋縄ではいかんぞ…」


「…はい」


 言外にレイスは”焦る必要はない”と言っているように感じた。


「だが…今は急いで向かうぞ」


「…はい!」


 二人はトガビトが通ったであろう裏門から本部の外に出た。


 * * *


 本部を出てすぐにレイスに尋ねる。


「……どうして、レイスさんは私に力を貸してくれるんですか?こんな……見習いの、ダメな記録者に……」


 レイスはしばらく答えない。風に揺れる枝の音だけがする。


「……自分が何者かを、決められるやつばかりじゃない」


 それ以上は続けずにレイスは先を歩いて行った。



 しばらくは街道を進んでいたが、レイスが立ち止まった。


 レイスはしゃがみこみ、そっと草を指先でなぞる。

 軽く土を擦り、湿り具合と足跡の重なりを確認したあと、顔を上げる。


「……こちらだな」


 その目には、揺るぎのない確信の光が宿っていた。


「…こっちは”幻影の森”…?」


 シィロは何故わかるのか?と言った顔でレイスを見た。


「トガビトのサイズなどはわからないが、あの少年の身長や大体の体重はわかるからな…この草の折れ具合などから、少年に似た体格のものがこっちに向かった痕跡がある」


「…すごいです…」


「貴様も追跡の講習は受けているだろう…」


 レイスは呆れたようにシィロを睨む。


「まぁいい…行くぞ」


 レイスは先に草を掻き分けて”幻影の森”の中に進んでいく。

 シィロは無言で後を追いかけた。


 * * *


 “幻影の森”

 森の所々が夢の中のようにぼやけており、何処かで体験した記憶を見せられているような感覚に襲われるため名付けられている。

 森の中を歩いていると方向感覚を失い、途方に暮れたところで魔物がやってくるという危険な森であった。


 森に入ると、すぐに空気が変わったことを感じた。


 耳鳴りのような音が耳の奥に響き、木々の隙間から差す光は、どこか粘ついているようにも見える。

 葉のざわめきが、遠くから誰かの囁きのように聞こえてくる。


(…これが、“幻影の森”……)


 次第に方向感覚が曖昧になり、どこまで来たのかすら定かでなくなる。


 視界の端。

 森の影に誰かの姿が見えた気がした。


「レ、レイスさん!あそこに誰かいますよ…!」


 シィロは影を見た方向を指差した。


「レイスさん!…レイ、ス…さん?」


 レイスからの返答はなく。

 影を見た方向から、目を離してレイスを探すが何処にも姿がない。

 

「レイスさん、どこですか?レイスさん!」


 周囲を見渡すシィロの後方から声が掛かった。


「あれ、シィロ?こんなところで何してるの?」


「あ…かりさん…?」


 振り返るとそこにはあかりが立っていた。


「…どう、して、こんなところに…?」


 シィロが尋ねると、あかりは優しく微笑んで、シィロの頭を撫でた。


「…随分、疲れてるみたいだね。ねぇ、あっちに行って、お兄ちゃんと3人でご飯を食べようよ、ね?おいで」


 頭に置いた手を下ろして、シィロの手を取って、森の奥に進んでいこうとした。

 シィロは慌てて手を振り解いて距離を取る。


「…シィロ?どうしたの?」


 あかりが、首を傾げてシィロを見る。


「…あかりさんは、私をシィロとは、知りません…あなたは何者ですか!」


 そう言った途端に、あかりの顔辺りが真っ黒に塗り潰されたように見えなくなった。


『どうしてぇえ…』


 あかりだったものが腕を伸ばして、ゆっくり向かってくる。


「来ないでください!」


 シィロは何者かを背にして走り出した。

 時折振り返りながら、距離を確認する。

 しかし、どれだけ走っても、振り切ることは出来ず、一定の距離で着いてきていた。


(私では…いえ…何とか撃退を…!)


 本部から出るときに携帯したカバンから小さいナイフを取り出したシィロは、踵を返して何者かに向かっていった。


「何処かに行ってください!」


 手に持ったナイフで切り付ける。

 刃先が何者かの腕に掠った。


『痛いよぉぉお、シィロぉ。なんでこんなことぉ、するのぉぉ?』


 何者かは怯むこともなくシィロに向かってくる。

 幾度がナイフで切り付けるが、徐々に追い詰められていく。


「わわっ!」


 何者かが伸ばす手を必死に避けるシィロであったが、遂には木の根に足を取られ転んでしまった。


(マズいです…!)


『一緒にぃ、行こぉお?』


 塗り潰されたあかりがシィロに手を伸ばす。

 近づいてくる手を見ていられず、シィロは目を瞑った。


(…ごめんなさい、空さん。助けに行けないかもしれません…)


 ———そのとき。


『目を覚ませ!シィロ!』


 何処かでシィロを呼ぶ声が聞こえた。

 直後、頬に鋭い熱が走った。

 瞬間的に目を開けると、シィロは地面に寝転んでいた。

 目の前にはあかりだったものはおらず、代わりにレイスが覗き込んでいた。


「…大丈夫か?」


「こ、ここは…あのさっきの生き物は…」


 シィロは辺りをキョロキョロと見渡した。


「恐らく、この森の魔物だろう…対象を眠らせて捕食する、単純だが鬱陶しいやつだ…」


 レイスは何処か不機嫌そうな顔をしていた。


「助けていただき、ありがとうございます」


「…先に私が対処出来ただけだ」


「でも、助かりました…」


 終始、不機嫌な顔のレイスが何を見たかが少し気になったが、決して聞ける雰囲気ではなかった。


「とりあえず…起きろ」


 レイスがシィロの手を引いて立たせる。


「…少し、休むか…」


「あ、いえ、まだ大丈夫です」


 シィロは問題ないことを訴えるが、レイスは首を横に振った。


「先はまだ長そうだ…それに今の貴様がそれ以上、何かミスしたら今度は命取りになるぞ…」


 そういうとレイスは木の根元に座って水筒から水を飲んだ。


「…はい」


 近くの切り株に座ったシィロも水筒を取り出した。


(……今、空さんは……)


 胸の奥が、ぎゅっと掴まれたように苦しい。

 息が浅く、何度深呼吸しても、心は落ち着かない。

 このままじゃ、走っていても前に進んでいる気がしない――そんな感覚に襲われていた。


「…少しずつだが、追いついている。落ち着け、シィロ」


 冷たい言葉の裏に、わずかに滲んだ“気遣い”を、シィロは感じ取った。


「…はい」


 言葉の後、黙り込んだレイスだが、シィロはその言葉に、ほんの少しだけ胸が軽くなるのを感じた。


 * * *


「…シィロ、少年とは付き合いが長いのか?」


 座って目を閉じていたレイスがシィロに声を掛けた。


「え、えっと…空さんの家で…半年程お世話になっていました…」


 シィロは言いにくそうに答えた。


記録者(トキビト)は他者と接触をするなという決まりはどうしたんだ…」


「で、ですので、ちゃんと記録者(トキビト)とバレないようにはして、いま…した…」


「……バレなければいいと言う話ではないな…後でそのことも報告書を提出しろ…」


 聞かなければ良かったと、レイスはため息を吐き、こめかみを軽く揉んだ。


 * * *


 休憩を挟んだ後、シィロがふと立ち上がり、あたりに集中した。


「……レイスさん、今、何か感じませんでしたか?」


「……」


 レイスが目を閉じ、風の流れに耳を澄ます。


「……ノエリウムの…脈動、か?確かに“痕跡”が、微かに残っている」


 森の奥、誘うように微かな痕跡が続く。


「……空さんのノエリウムの、痕跡……」


 心臓の鼓動とノエリウムの脈動が、ほんの一瞬だけ重なった気がした。

 シィロはそっと目を伏せ、掌を握りしめる。


「今、行きますから……無事でいてください」


 レイスがひとつ、ため息をつくように言った。


「……案外、お前みたいなのがいちばん強いのかもしれんな」


 二人は痕跡を辿りながら、空の後を追う。

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