第二十九話:揺らぐ光と影
牢獄扉の結界のことを少し加筆しました。
記憶の塔を後にした空は、記録者本部の地下にある簡素な牢獄に連れて行かれた。
「現在貴方に、随行する記録者を決定しています。少なくとも随行者が決定するまでは、ここで待っていてください」
「…わかりました」
牢獄に案内した記録者は空が頷いたことを確認して牢獄を後にした。
空は牢獄に備え付けられていたベッドに座って、記録の塔であったことを思い返していた。
“…判定は一時保留とし、記録者の一部が随行する形で“猶予”を与える”
(…まだ、何も解決していないよな…このままじゃ、全てが終わってしまう…そういうことだよな…)
猶予──この猶予が、朝陽を取り戻す時間でもある。
空は牢獄を見渡す。
時間が過ぎていくことを感じて焦りを覚える。
(でも…また誰か傷ついてしまったら…)
“侵略者”
“特異なトガビト”
“町の人や記録者の死”
(特異なトガビトってあのときの…だよな…だけど…)
理由はどうであれ、誰かを傷つけた事実がまだ胸に鉛のように沈んでいた。
(――違う。俺が来たから、あいつも来れたんだ。
俺がここに来なければ、トガビトを越えられなかった。
記録者も、町も、誰も、傷つかなかったかもしれない)
(……朝陽を助けたいって、それだけで動いて。
それで結局……誰かを犠牲にしてるんじゃ、意味がないだろ……)
空は、無意識に拳を強く握りしめていた。
爪が手のひらに食い込む感覚も、遠く感じる。
一体、どれくらいの時間が経過しただろう。や空はグルグルと同じことを考えてしまっていた。
「お食事をお持ちしました」
牢獄の扉が開いて、金髪の少女が食事を持って入ってきた。
(そう言えば…お腹空いたな…今って何時くらいなんだろう)
アズールヘヴンに来てから、現在まで何も食べていないことを思い出した空は、食事の匂いをかいだことで空腹を感じた。
配膳してくれた少女は、髪と同じ色のポンチョのようなものをすっぽりと纏いながらも器用に食事を運び、牢獄のある机に置いた。
「ありがとうございます」
「……記録の塔の事、聞きました、あの…頑張ってください」
少女はそれだけ伝えると、にっこりと笑って牢獄を後にした。
「……頑張って…か…」
少女が出て行った扉を見つめながら呟いた…
(…そうだな…それでも…)
誰かが応援してくれていると知ったことで少しだけ活力が戻った気がした。
空は椅子に座り食事を摂ることにした。
「いただきます」
(…温かい…)
温かい食事に少しだけ涙が溢れそうになった。
* * *
「…ごちそうさまでした」
空っぽになった食器に手を合わせて、ベッドに向かった。
ご飯も食べたからか、今日の疲れからなのか急激に眠くなってきたからだ。
空はベッドに横たわると意識を失うように眠ってしまった。
* * *
物音がしたような気がして、空は目を覚ました。
(…何処かで音がしたような気がするけど、気のせいかな…)
牢獄内を見渡してみると電気は消えており、食器は片付けられていた。
(やっぱり、気のせいかな…なんだか、少し…頭がぼやけてるし…)
頭を振りながら空はベッドから体を起こした。
「…ソラ?」
そのとき、扉の方から空を呼ぶ声がした。
「シィロ…?」
扉がゆっくりと開くと、そこには食事を配膳してくれた少女であった。
「君は、さっきの…?一体どうしたの?」
「空さんの随行者に私が選ばれたので、まだ夜ですが急いで連絡しに来たんです」
「…君が随行者に…?」
少女はにっこりと笑って頷いた。
「私の名前はミミって言います、よろしくお願いします、ソラ」
ミミと名乗った少女は丁寧に頭を下げる。
「ああ…うん、よろしく、ミミ。一個聞いてもいいかな?シィロって言う名前の子が今どうなってるか知らないかな?」
ミミはシィロの名前を聞いて、一瞬固まったがすぐに答えた。
「…シィロですか…?…ごめんなさい…私も知りません…」
ミミは少しだけ、しゅんとしたが、バッと顔を上げて空に言った。
「そうだ!ソラ!大変なの!」
「どうしたの?」
突然の剣幕に驚きながらも返事をする。
「アサヒの残響が消えてしまう!」
「…!ミミ、どういうことか教えてくれ!」
空はミミの前でしゃがんで肩を掴む。
「私、聞いたんだ!他の記録者が、記憶の祭壇って場所でアサヒの残響を見つけたって話してるのを!でも、その姿がどんどん崩れていってるって!」
「記憶の祭壇!?そこには朝陽はいるってことか?」
「う、うん。本当はさっき、食事を持ってきたときに言いたかったんだけど、その記録者が、余計な情報を罪人に話したらどうなるかわかってるだろうなって……ごめんなさい…」
ミミは申し訳なさそうに俯いて、唇を噛んだ。
「いや…ミミは悪くないよ…教えてくれてありがとう」
(余計な情報だって…?朝陽のことが余計だって言うのか…)
内心で記録者に対して、怒りと不安が混ざっていく気がした。
(俺が…なんとかしないと…)
空はミミの頭を撫でて、扉の方へ向かう。
この場所で立ち止まっていたら、間に合わない。
そう思った瞬間、足が勝手に動いていた。
胸の奥で、焦燥が渦を巻く。
指先が震えている。けれど、それすら構っていられなかった。
「ソラ!何処に行くの?」
「…ここでこうしていたら、手遅れになるかもしれない…だから、行かなきゃ…!」
空が強く言い放ち、牢の扉に手をかけた。
「……道もわからないのに…すぐ見つかっちゃうよ!そうしたら、今度こそ処分されちゃうよ!」
ミミが慌てて空の腕を掴む。細い指先が、少し震えていた。
「…だったら、どうしたらいいんだ!」
空が振り返り、思わず声を荒げる。
怒鳴ったつもりはなかった。ただ、焦りがそのまま声になっただけだった。
「ヒッ…!」
ミミはビクリと肩を震わせ、俯いた。
その様子に、空もはっとして言葉を詰まらせる。
「あ…ごめん」
「だ、大丈夫………わかった、私が案内する…」
空が眉をひそめ、彼女を見つめた。
(……そんな簡単に?)
「でも、そんなことしたら、ミミが…」
「ううん、私のことは気にしないで!ソラのこと、応援するって、頑張って、言った、から!」
ミミは真っ直ぐ空を見上げた。その表情は――確かに“優しげ”だった。
だが、空の胸の奥に、小さな棘のような違和感が残る。
(さっきまで“しゅん”としてたのに、切り替わりが早すぎる…?)
「……ミミ、本当に大丈夫か?」
空が静かに尋ねると、ミミは少しだけ口元を強張らせたように見えた。だが、すぐに柔らかな微笑みに戻る。
「うん、大丈夫。大丈夫だよ、ソラ。信じて」
“信じて”という言葉が、ほんの少しだけ、強く響いた。
それは“願い”ではなく“念押し”のようにも聞こえた。
だが空は、それ以上は口にできなかった。朝陽の名前が、何より重かった。
「…わかった、行こうか。ミミ」
二人は牢獄の扉を抜けた。
「あ、ちょっと待ってね」
ミミが振り返り、扉に何事かを呟いた。
「…何してるんだ?」
「扉には結界が張ってあるの、張り直しておかないと、すぐバレちゃうからね」
扉に淡い光が拡がり、膜のようなもので覆われた。
「これで、大丈夫だよ」
ミミは空の方に向き直りにっこりと笑った。
「さぁ、ソラ、行こう。こっちだよ」
先行したミミは時折振り返り、小さい声で空を呼んだ。
空は無言で頷き、足音を殺すようにひっそりと進んだ。
角の向こうに、牢獄に向かうときに乗った昇降機を発見した。
昇降機の前には記録者が欠伸をしながら立っていた。
「…昇降機を使うのは難しそうだね、ソラ」
「そうみたいだ…階段で行こう」
二人は目を合わせて頷き合うと、こっそりと昇降機前を後にした。
* * *
昇降機に到着するまでに階段があったので二人はそこまで戻った。
「誰か降りてきたら、アウトだな…」
独り言のように呟いた空の言葉に、耳が反応した。
「今は夜中だから、たぶんほとんどの記録者はいないと思うよ」
「…いない?」
「牢獄がある場所と記録者が休む場所は離れてるからね、それに普通、夜は寝るものでしょ?」
空はなるほど、と頷いた。
そこからは目立たないように話すことなく二人は階段を登っていく。
ようやく階段を登り終えた二人。
階段の出入り口には扉があった。
「扉がありますね…先に見に行ってくるね」
ミミが静かに扉を開けて、誰もいないかを見に行った。
「……」
しばらく待っていたが、ミミが戻って来なかった。
(何かあったんじゃ…)
自分も様子を見に向かうべきか考えていたときに、扉の向こうで物音がした。
(………ミミ?)
空は突然の物音に扉の向こうに飛び出した。
「ミミ、大丈夫か?」
ミミは扉の向こうでしゃがんでいたが、空に気が付いて、きょとんとした顔をした。
「ソラ、どうしたの?」
「あ、ああ…いや、物音がしたから何かあったんじゃないかって…」
ミミは納得したように笑った後、少し照れたように頭を撫でた。
「心配かけてごめんね、ここにあった壺を落として割っちゃっただけだよ」
「そっか…良かった…」
「ありがとう、ソラ。もう本部の外に着くから早く行こう」
ミミは急いで先に進んでいった。
歩き出したミミの背を追いながら、空はふと、後ろを振り返った。
そこには、何もない——けれど、ほんの少し、風の匂いが変わった気がした。
(……なんだ、今の)
言いようのない違和感が胸に滲む。
けれど、ミミの姿は変わらず前を歩いている。足取りは軽やかで、振り返って小さく手を振ってくる。
「ソラ、急いで。あそこが裏門だよ。今なら誰もいないみたい」
ミミは門を指差して、空のほうを向いた。
「ああ、分かってる」
空とミミは周辺に誰もいないことを確認して、裏門を抜けた。
裏門の外はアズールヘヴンの中でも、ひときわ静かな場所だった。
天上に広がる空は群青のような色をしていて、星々は現実よりもゆっくりとまたたいている。空気は澄んでいるのに、どこか「透明すぎる」感じがして、呼吸するたびに自分の輪郭まで透けていきそうな錯覚すらあった。
「こっちに来たの、初めてかも」
ミミは振り返り、笑う。
空は、その顔にどこか微細な違和感を覚えたが、危険を犯して空を助けるミミを疑う理由がなかった。
「“記憶の祭壇”って、ほんとにあるのかな」
「……ううん。そんな名前の場所が、正式に記録されてるわけじゃないよ。でも、アズールヘヴンの奥深くには“記録にも残らない想い”が漂っているって聞いたことがある。もしかしたら——ね」
ミミは先を歩きながらそう呟いた。
道なき道を、音もなく進んでいく二人。
周囲の景色はどこか夢の中のようにぼやけていて、まるで“記憶”そのものを歩いているかのようだった。
木々は揺れているのに、風の音はしない。
花は咲いているのに、香りは届かない。
どこかが欠けていて、それでも美しい——そんな世界だった。
足元に浮かぶ、小さな光の粒。
それはかつて誰かがここに残した「想い」の欠片であり、願いだった。
「……ねぇ、ソラ」
「ん?」
「アサヒって、どんな子だったの?」
その問いに、空は立ち止まった。
「……そうだな」
空はゆっくりと息を吸う。
この空気にも、あの子の声は混じっていない。
それでも、胸の奥に残っている、確かな感覚があった。
「ちょっと不器用で、素直じゃなくて。でも優しくて……強がってるくせに、誰よりも人を想ってた」
空はふっと笑う。
「だから……俺、あいつを戻したいんだ。もう一度、ちゃんと、伝えたいことがあるから」
「……そう」
ミミは小さく頷いた。
その瞬間、空の隣でミミの顔がふと陰った気がした。
「なら、早く助けに行かないとね!」
視線をそらし、表情を崩すでもなく、何かを噛みしめるように先を歩き出す。
(……今の、なんだ?)
不意に、アズールヘヴンの扉を抜けたことで鍵の形を失った、ノエリウムがまるで“心臓”のように、淡く脈を打った。
光るわけでも、音を立てるわけでもない。
けれど確かに、“何か”がそこに宿っている気がした。
「……ミミ」
「なに?」
「……いや、何でもない」
空は気のせいだと思い直し、歩き出す。
その背後で、“ミミ”の形が一瞬、かすかに歪んだ——




