第二十八話:その名を呼ぶために
一人での入室を命じられた空。
「私はここで失礼します。それでは―幸運を」
皮肉気に言葉を告げたレスルが一礼して外に出て行った。
近づくと前方の扉が自動で開いた。
空が塔の内部に足を踏み入れたその瞬間、空間が静かに震えた。
——塔の内部は、まるで巨大な円形講堂のようだった。
中心には、白く滑らかな床が広がっており、そこに一歩踏み出した空の足音だけが反響する。足元から天井までが一つの空洞となっており、その壁際には、放射状に円を描くように、無数の席が並んでいる。席は外側に行くほどに高く積み重なっており、まるで大学の階段教室のように、幾重にも積み上げられていた。
そこに、白や銀、青など、どこか現実離れした衣を纏った者たちが座していた。ひとりひとりが異なる光をまといながら、空を見つめている。
全員が“記録する者”、トキビトたちだった。
無言の視線。まるで記憶そのものに囲まれているかのような錯覚。
空の息が、少しだけ詰まる。
促された先、空間の中心に空は到達した。
「……そこで止まれ」
その声は、小さなさざ波のように、塔の内部を震わせた。
「…さて、アズールヘヴンへの侵略者よ。どうしてこの場に呼ばれたかわかっているな?」
声の主は、空間の一際高い場所に立って、空を見下している。
短髪に鋭い目つき、黒いコードを纏ったその男性は、空に話しかける。
「待ってください!俺は侵略なんて…!」
侵略。
そのような行為に心当たりがない空は否定の言葉を口にした。
「黙れ!!」
その圧力に空は声を出せなくなった。
「貴様が、アズールヘヴンに現れた際、周辺で特異なトガビトが発見された」
「……な」
「特異なトガビトの被害で周辺の町の民や封印に向かった記録者が数人、死亡した」
空は完全に言葉を失った。
「貴様がトガビトを持ち込んだことで発生した」
「……俺の…せい…?」
「貴様は何を成すためにこの国に現れた」
「…俺は…朝陽を」
耳鳴りが響き、立っているのかわからなくなりながらも続けようとする。
「アジク様、選別中に失礼致します」
そのとき、塔の入り口から、レイスとシィロが入室した。
「シィロの報告が終了しましたので、この場でご報告させていただきたく存じます」
淡々とした冷たい声が内部に響く。
シィロは力なく俯いていたが、”報告”の言葉に肩を震わせた。
「…聞こう」
アジクはレイスの声に答えた。
「以前、シィロにはある任務を言い渡しておりました…任務の内容は、地球に存在するノエリウムの監視です」
「地球のノエリウム…か…」
アジクは何かを思案するように顔を歪めた。
「ノエリウムの所有者は一人の少女。そこの少年はそのノエリウムを使用して、その少女を消失させています」
「…なんと、邪悪な…」
「…代償ということか?」
幾人かの記録者がざわめいた。
「違う…!そんなつもりはなかったんだ
…」
前のめりになる空を、控えていた記録者が抑える。
「…レイス、続けなさい」
抑えつけられた空を一瞥して、レイスに続きを促す。
「その後、少女を取り戻すべく、見習いのシィロを懐柔し、ノエリウムを使い、アズールヘヴンの鍵を作成しました」
「何と勝手な…!」
再び、周囲から声が広がる。
「取り戻すだと…?そんなことは不可能に決まっているだろう」
「シィロによると、自分が希望を持たせてしまったのが全て悪い、と申しております。どんな処罰も受け入れる、とも」
「待ってくれ!シィロは関係ない!全部、俺が勝手に!!」
「…シィロの処罰は。レイス、お前に任せる」
「はっ!」
レイスはアジクに頭を下げた。
シィロは何も言わずに、ただ立ち尽くしていた。
「他に報告はあるか?」
「…少年が鍵を使ってアズールヘヴンへ到達した直後、トガビトと思われる存在がひとつ、同時に侵入しております」
「…これで、はっきりとしたな、侵略者よ。トガビトを使い何をするつもりだったかは知らないが、これ以上、好きなようにはさせぬ」
「…そんなこと…」
空が言葉を返せずにいると、アジクはレイスに向き直り、尋ねた。
「…ところで、レイスよ。ノエリウムを所有していた少女の名は何と言うのだ?」
「…天音、朝陽と申します」
「そうか…」
アジクは再び、顔を歪ませた。
「あの天音か…!」
「あれを攫った男か!」
塔の内部が、一際大きく騒めいた。
「…であれば、地球のノエリウムとは、あれのもの…ということか」
忌々しそうにアジクは呟いた。
「……?アジク様、天音と言う名前には何かあるのですか?」
レイスはアジクに尋ねる。
「…お前が知る必要はない。」
「さて、侵略者よ。貴様がこの国に訪れた理由もはっきりとした」
アジクが断罪者の瞳で空を見下ろす。
「貴様はノエリウムを悪戯に悪用し、トガビトをこの国に放った、よって全ての記憶を削除し、追放とする」
ハッキリとした声が響く。
シィロが息を呑む音がした。
下を向いていた空は、目を見開いて、アジクの言葉を聞いていた。
(それじゃあ…朝陽は…)
「……待ってください!」
空は顔を上げ、両腕を抑えられたまま、それでも身をよじって声を上げた。肩が軋むのも構わずに、言葉を放つ。
「俺は……あいつを助けたいだけなんだ!朝陽を……“ただの記録”じゃなく、“ただの喪失”じゃなく、ちゃんとこの手で……!」
空の拳は気付く握りしめられ、張り詰めた空気の中で、声だけが塔の天蓋に反響する。
俯いた顔を上げる。痛みを押し殺して、彼は全ての視線を受け止める。
「誰も覚えてなくたって、誰の記録にも残ってなくたって……俺は知ってるんだ!朝陽の笑った顔も、最後の声も……ちゃんと、この胸にある!」
言葉が、空間を揺らすように響く。
一瞬、周囲の記録者たちが息を飲んだような気配が走る。
「——だから……お願いです!罰を受けるなら、全てが終わった後で構いません!その代わり……!」
「朝陽を、諦めさせないでください……!」
その叫びは、塔の奥まで届いた。
静寂。誰も何も言わない、けれど塔の空気が、確かに揺れていた。
「…無駄だ…消失から戻ったものはいない、諦めろ」
アジクからは無慈悲な声が発せられる。
「俺に…時間をください!お願いします!」
空は頭を地面に擦り付けて懇願する。
「…アジク殿、一度保留にしても良いのでは…」
「少し性急すぎるかもしれませんね…」
「どうやら彼の想いも嘘ではないようだしな」
記録者たちのざわめきが塔の内部に拡がっていく。
「ダメだ。いくら想いがあろうと、記録は絶対だ」
アジクは記録者の言葉を切り捨てた。
「私からも、お願いします!」
レイスの横に立っていたシィロが、空の元まで走り寄り、頭を下げる。
「控えろ、シィロよ。貴様もこの男と同様に処分しても構わないのだぞ?」
「……それでも、構いません……!お願いします!時間を……時間をくださいっ……!」
声は震えていた。
けれど頭を下げたまま、シィロは続けた。
「…アジク様。今はハンゲツ様も不在のようです。一度、保留という形にしては?」
レイスがアジクに対して進言した。
アジクの瞳は硬く冷たかった、だがほんの一瞬、沈黙の裏に揺らぎの影が見えた——誰にも、気づかれないほどの。
静寂が続く。
程なくしてアジクは息を吐き、口を開いた。
「……では、判定は一時保留とし、記録者の一部が随行する形で“猶予”を与える」
誰かが息を止めた気配がした。
吐き捨てるように、アジクは裁決を言い渡して塔を後にした。
残された空とシィロは、レイスを見た。
「…レイスさん…どうして…」
シィロが少し怯えながらもレイスに尋ねた。
「……少年の想い…いや、ハンゲツ様の不在の中、下される裁決に疑問を抱いただけだ」
「…ありがとうございます」
感謝を伝える二人に、レイスは不愉快そうな顔をして続けた。
「…助けた、などと勘違いはするなよ?それに、少年の罪が許されたわけではないのだからな…だが…」
レイスは何かを伝えようとして辞め、去り際に近くの記録者に何かを告げた後、塔から退室した。
声をかけられた記録者は連行するための手錠を取り出して、空に近寄る。
「空さん…申し訳ありませんでした…」
シィロは、大人しく手錠を付けた空に声をかける。
「シィロが謝る必要はないよ…俺の方こそ、辛い思いをさせてごめん…」
「…行きますよ」
記録者が空の背中を軽く押して、塔の入り口へと進ませる。
「…空さん!私も諦めませんからね!朝陽さんを取り戻す方法を探しますからね!」
後ろで空に言葉を投げかけるシィロ。
その言葉を聞きながら塔を後にした。




