第二十七話: 白き記録と、青の塔
「シィロ。何をしていると聞いている。地球での任務はどうした」
再び、低く冷たい声が響いた。
「レイスさん…」
レイスと呼ばれた女性は氷のように無機質な表情でシィロを見ている。
「……返答を」
レイスの声が鋭くなる。彼女の瞳は、光を宿さないガラス玉のように冷たい。
シィロは反射的に背筋を伸ばす。心臓が跳ね上がる音が、自分だけに大きく響いた。
「アズールヘヴンに戻っていると言うことは任務完了したと言うことか?任務完了報告は七十二時間以上前に予定されていた。未報告の理由は」
「……地上で予期せぬ現象が確認されました。調査のため、延長を――」
「未報告のままの延長は許可されていない。独断による観測の継続は、重大な規律違反だ」
レイスの言葉には感情がない。あくまで「規則」の代弁者として、冷酷に断じる。
「私は、まだ終わっていないと思ったんです。観測対象に……異常が」
「その異常をなぜ報告しない?通信制限は解除されているはずだ」
「……報告できる状態ではありませんでした。状況が……複雑で……」
「“言えない”理由でもあるのか?」
レイスの声に、初めてわずかな圧が乗る。冷気が場の空気を締めつけるようだった。
思わずシィロは視線を逸らした。
「…そこの少年か?」
「待っ!」
レイスが即座に、指を軽く弾くと、空の足元に氷が現れ、動きを抑制した。
「異物検知。空間侵入者を確認。拘束処理開始」
「ま、待ってください、彼は関係ないんです!偶然、巻き込まれただけで――!」
「“偶然”でアズールヘヴンに侵入できる人間など存在しない。シィロ、貴様もわかっているだろう」
レイスが一歩、空に近づく。
空の足元の氷が結界となり、身体中に広がり更に動きを封じていく。
「動け……ないっ……シィロ、これは……!」
足元から這い上がる冷気に、喉が詰まる。視界の端で、シィロが叫んでいるのが見えるのに、声が届かない。
(なんで……何も、できない……)
「やめて、レイスさん! 彼は関係ない、お願いします、レイスさん!」
「これ以上の干渉は“特級違反”となる。対象が人間であってもだ」
シィロの口が開きかけて、すぐに閉じた。
(今ここで……“朝陽さんのこと”も、“ノエリウムのヒビ”も……言えるわけがない)
「この人間……“何か”に触れた痕跡がある。記憶領域に微細な干渉反応を確認。ノエリウム……か?」
「っ……!」
「やはり報告されていない重大事案が存在するようだな。貴様の行動、この人間の存在、上層に正式報告させてもらおう」
「……それだけは、やめてください……!」
シィロが思わず叫ぶ。その声に、空が目を見開いた。
レイスの瞳が、少しだけ細くなる。
「理由を述べろ」
「……あの……彼は……」
嘘を吐こうとした。
けれど、喉が震えるだけで、言葉にならない。
その“責任”が、今にも首に巻き付いてくるような重さだった。
言えるはずがない。
けれど、言わなければ――空が、朝陽が、すべてが消される。
「…シィ、ロ……」
「空さん!あ、あ…」
レイスがため息をついた。
「もういい…どちらにせよ、この人間は捕えさせてもらう」
シィロは俯いて唇を噛んでいる。
「…シィロ、貴様も覚悟しておけ」
「…はい」
空とシィロは、記録者の本部があるトキレイムに連行された。
* * *
トキレイム。
建物は白く、例外なく規則正しく並んでおり、外見も違うことなく作られている。
全く同じものが並ぶという光景、連行されている、という状況でなければ、圧巻であったと思われる。
空は並んだ建物の先、唯一例外のような佇まい、高層ビルのような記録者の本部に到着した。
本部の前には数人の人間がいて、どうやらレイスを待っていたようだった。
「お疲れ様です、レイスさん!」
数人のうち、金属のような外套を纏った男性がレイスに挨拶した。
「ご苦労、これが先ほど連絡した人間だ」
レイスが手を水平に切ると、空の身体を纏っていた氷は消失した。
「助けて「黙れ」
空が外套を纏う男性に声を掛けようとしたが、口の周りだけ、氷が現れた。
「貴様をこれから、”記憶の塔”に連れて行く、選別を受けてもらう。そこで好きなだけ弁明するんだな…出来れば、だが」
レイスは冷たく言い放つとシィロに向き直った。
「ついて来い、シィロ。貴様には任務の報告をしてもらう」
「…はい」
「報告が終われば、記録者とは何かを改めて教えてやる」
シィロの肩がビクッと上がり、瞳に怯えの表情が見えた。
「んー!んー!」
空は必死にシィロの無実を訴えようとするが、声にすることが叶わない。
やがて、レイスとシィロは本部の中に入っていった。シィロは何度か振り返り、空に申し訳なさそうな表情をしていた。
「我々も行こうか。あ…逃げようなんて思わないでくださいね」
空の周囲には記録者が控えており、最初から逃すつもりはないようだった。
* * *
本部の中は無機質な壁が続いており、空は自分一人では迷子になってしまうと感じた。
天井に等間隔に並んだ灯りも、通路が永遠に続いていると錯覚させるほどだった。
(…これから何処に連れて行かれるんだ…)
(”記録の塔”って何なんだ…?)
(シィロは大丈夫なんだろうか…)
様々なことを考えたが、答えが出ないままであった。
「…君も運がなかったですね。レイスさんに捕えられたみたいですし。今はハンゲツ様もいないですからね」
突然、外套の男性が、少し事務的な口調でポツリと話しかけてきた。
「ああ…喋らなくても大丈夫ですよ。独り言です」
それっきり、男性は口を閉じてしまった。
やがて、昇降機に到達した一行は、昇降機に乗り込んだ。
昇降機の中は驚くほど静かだった。無音で滑るように下へと沈んでいく感覚だけが、かすかに耳の奥をくすぐる。
壁は青白く発光していた。無機質な光。それなのに、どこかあたたかい気配もある。
(……俺は、今どこにいるんだろう)
空はふと、靴の先を見つめた。
「……君は、何を“記録”されたいと思いますか?」
静寂を破るように、外套の男性がまた口を開いた。
「……え?」
「記録の塔とは、ただの保存庫ではありません。“想いの残響”を識別し、それに値するものを留める場所です。忘れていい記憶も、忘れてはいけない記憶も、すべて……選ばれる」
淡々と、けれどどこか皮肉を含んだ声音だった。
「……誰が、選ぶんですか?」
「“彼女”ですよ」
「彼女?」
男は一瞬、こちらを見た。
けれど、それ以上は何も答えなかった。
次の瞬間、ゆるやかに昇降機が止まる。
前方の壁が、音もなく横に開いた。
その向こうには、巨大な回廊があった。
高い天井、星空のような光がきらめく壁面。
幾重にも積み上がる“記録の書”たちが、空気を震わせるような静けさを抱えていた。
その中央に、ひときわ高く伸びる塔が、蒼い光を帯びてそびえ立っていた。
——「記録の塔」。
空は、思わず息をのんだ。
塔へと続く石造りの回廊を、空はゆっくりと歩き出した。
足音は吸い込まれるように響きもせず、ただ空気がわずかに震える。
壁のひとつひとつに“記録”と呼ばれる光の文字列が刻まれていて、それぞれが微かに瞬いていた。
「……これが全部、人の記憶…」
「ええ。ここに収められた“記録”は、願いと代償の物語です」
外套の男性が静かに答える。その足取りはまるで、ずっとここにいたかのように滑らかだった。
「願いと代償……」
「そうです。ここには数多の代償の記録があります。ですが…その多くは、結末を“記すことなく”終わっています」
空は黙って、進みながら塔を見上げた。時折、何処かで何者かが囁くような声が耳に届く。
近づくごとに、塔の表面に浮かび上がる記号のような文字たちが、かすかに共鳴していた。
空は手を伸ばそうとした。けれどその瞬間、後ろから別の声が響いた。
『触れちゃ、いけませんよ』
空が振り返ると、そこには見覚えのない少女がいた。
白銀の髪、琥珀色の目。どこかで見たような、けれど思い出せない“既視感”。
『あなたが……“空”ですね?』
「……誰、ですか?」
少女は静かに微笑んだ。
『私はアズールヘヴンの“剪定者”。記録するべき、”記憶の残響”を識別し、選択、剪定する者です』
「剪、定…」
「…失礼。剪定者、塔の中は既に準備が出来ていますか?」
話を遮って、外套の男性が剪定者と名乗る少女に聞いた。
『レスル。ええ、皆さん揃っていますよ』
剪定者がにっこりと笑って、記録の塔を指差した。
外套の男性——レスルが頷く。
「では、行きましょう」
空はレスルに連れられて、塔の内部に足を踏み入れた。
二人の姿を剪定者が感情を宿さない瞳で見つめていた。




