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そらのかけら  作者: 夜と雨
第六章:アズールヘヴンへの扉
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第二十四話: 夕立の記憶、君の声

「神社にトガビトがいなくて助かったな」


「ああ…この調子で次の場所に行ってみよう」


 そして、二人が向かう先は、あの日、空と朝陽が一緒に雨宿りをしたバス停。


「…バスなんか普段使わないから、知らなかったけど、ボロいな…空、ここであってるよな?」


 伊織が立ち止まり、周囲を見渡した後、空の方へ振り向いた。

 住宅街の外れ。少し傾いた古いバス停の屋根は、どこか懐かしい空気を纏っていた。


「……ああ、間違いない。ここだよ」


 空は一歩前に出て、屋根の下に立った。

 何も変わっていないようで、どこか違っている気がする。

 記憶の中の雨の匂いと、濡れた制服の感触が、鮮やかに蘇った。


「ここで……手を握って、走ったんだ。何でだろうな、すごく自然に……咄嗟だったのに」


「へえ」


 伊織は隣で腕を組み、微笑みを浮かべる。


「そういうの、いいよな。……言葉じゃなくても、通じた瞬間っていうかさ」


 空は、ポケットからノエリウムを取り出した。

 ぬくもりを持った、ノエリウムがそこにあった。


(……ここにも、痕跡は残ってるよな…)


 ノエリウムのビビから放たれた光が、心臓の鼓動のように“トン、トン”と柔らかく揺れる。


 伊織はその様子を見て、ぽつりと呟いた。


「やっぱここも……朝陽との記録が、残ってる場所なんだな…」


「ああ……ノエリウムがほんの少しだけ、震えてる気がする」


 空は頷いた。


 一際、大きく揺れたとき、辺りに空気中に小さな光の粒が舞った。


 バス停に朝陽の姿があった。

 朝陽は空を見上げて、口を開く。


『……雷、鳴るかもね』


 素直さが混じった声。

 空はバス停に着く前との怖色の違いに驚いたことを思い出す。


 朝陽はちらりと横を見て、視線を逸らした。


『……俺も、ちょっと怖い。音が響くとさ、空が割れそうで』


『ふふ……空が割れる、か。名前みたい』


 そして朝陽が、ほんのわずかに笑い、姿がぼやけていく。

 ——完全に姿が消える瞬間、風が吹いたみたいに、ほんの一瞬だったけれど、朝陽がこちらを見て微笑んだような気がした。


(……!今こっちを…?)


「朝陽!いるのか?朝陽!」


「お、おい…どうしたんだよ?」


 空の突然の狼狽に、伊織が声をかける。


「い、今。消える前に、朝陽が…」


「…まじか…俺には見えなかったけど…」


「わからない…けど…朝陽は何処かで見てるのかもしれない…って」


 二人はあり得ないとは、とても言い切ることが出来ずにいた。


「…もしかしたら、見てんのかもな…何にせよ、空には見えたんだろ?」

 

 空はそっと目を閉じた。


 ——あのとき、たしかに隣にいた。

 不器用で、素直になれなくて、それでも少しずつ距離を縮めてくれた少女。


(また少し朝陽に近づいたかな…)


 バス停の空は、もう、あの日のように沈んではいなかった。


 * * *


「……随分、暗くなってきたな」


 夕焼けはもう跡形もなく、街灯の光がじわじわと足元を照らし始めていた。


「まだ、探したいけどな……でも、トガビトの件もあるし……」


 空の声に、かすかに焦りが滲む。


 ——あいつらに痕跡を奪われたら、すべてが無駄になる。


「焦る気持ちはわかる。でも今は、下手に動いて逆に痕跡を失うリスクもあるんじゃね?」


 伊織の言葉に、空は唇を噛む。


「……そうだな。そうだよな……」


「あとさ、シィロに今集めた痕跡を見せて、後どれくらい鍵が作れるか確認するのもアリだと思うんだよな」


「……うん。そっちの方が確実かもな。次にどこ探すかも、一回ちゃんと考えたいし」


 夕暮れの通学路。

 二人は黙って並んで歩きながら、夜風の中、家路へと向かった。


「じゃ、またな」


 伊織と別れた後、スマホを見た。


(やばっ!早く帰らないと!あかりに恨まれる…!)


 父が帰ってくるため、食事も家族で食べる。

 だから、皆が揃わないと食事が始まらないのだった。

 あかりの恨みがましい視線が頭に浮かぶ。

 空は急ぎ足で帰り道を急ぐことにした。


 * * *


 伊織と別れて、坂道を一人で下っていく。

 空のポケットの中、ノエリウムが微かに脈打つように、ひときわ強く光る。


「……ここって、あの日……」


 足を止め、夕暮れの空を見上げた。


 街灯がまだ灯る前の、ほんの一瞬だけ訪れる、“昼でも夜でもない時間”。


 それは、確かに二人が並んで歩いた道だった。

 朝陽が、“少し楽しい”と、初めて空に言ってくれた時間だった。


(……絶対に、忘れたくない)


 光が、拡がりの蝉の声や風の音がふっと消える。

 ノエリウムの表面を水の波紋のように光が流れ、音もなく景色が“重なる”。

 空は眩しくなり、目を閉じた。


(今までとは違う…?)


 目を開けた先、顔を赤くし、真っ直ぐ前を見る朝陽が目の前にいた。


『そう、この町も、好きだよ。まだあまり知らないけれど、長閑で、独自の時間が流れてるような気がするから…』


 朝陽は赤い顔を隠すように辺りを見渡した。


『今度さ、この町の案内するよ、もっと良いところもあるし、朝陽に見て欲しい景色もあるんだ』


 朝陽は空の方に向き直った。


『…待ってるから、見つけてね』


 その言葉に違和感を覚える。

 薄れていく朝陽と目が合った。

 今度は気のせいじゃないと理解することが出来た。


「…うん、待ってて」


 空が返事をすると、朝陽の姿は光となりノエリウムの中に静かに収束していった。


 朝陽が消える前に見せた顔。

 それは、泣きそうなほど優しい笑顔だった。


 * * *


 少しの間、放心していた空だが、我に帰り、自宅へと急ぐ。


(シィロに聞いてみないと…朝陽の幻影や鍵のこと…)


 自宅にたどり着いた空は、玄関をそっと開けると、靴を脱ぐ音も静かに、小さくため息をついて上がった。


 廊下の奥からは、包丁の軽いリズムと、味噌汁の湯気に混じる鰹だしの香り。


 リビングのドアを開けると、ダイニングテーブルには四人分の箸や食器が整えられていた。


「…ただいま」


 あかりがソファで膝を抱えてテレビを見ている。空の声に気が付いて、むすっとした顔を向けた。


「遅い。めっちゃ遅い。もうお腹と背中くっついてたよ」


「……ごめん、ちょっと探し物しててさ」


「まぁ、許してあげてもいいけど……ほら、早く手洗ってきなよ」


「…ありがと、あかり」


 あかりの隣に座っていたシィロが気遣うように小さく鳴いた。


 キッチンには母の姿。

 エプロンをかけたまま、空の顔を見て、そして一言。


「おかえり、手を洗ったら、お父さん呼んできてね」


「うん、父さんは書斎だよね?」


「お父さんも帰ってきたと思ったら、書斎に行っちゃったの…」 


 母ではなく、あかりが答えた。


(父さんは書斎…)


 その言葉に、心のどこかが緊張を感じた。




 手を洗った後、静かな足音で書斎に向かう。

 一度深呼吸をしてから、書斎のドアをノックする。

 父は机に向かっていたが、ゆっくり顔を上げる。


「父さん……今、いいかな」


「空。ああ、もちろんだよ」


 父は手を止めて、開いていたノートを閉じた。

 空のために優しく椅子を引いて勧める。

 

 空は椅子に座り、しばらく沈黙した後覚悟を決めたように、ゆっくりと話し始めた。


「……ねぇこの前の、“アズールヘブン”の話、覚えてる?」


「もちろん。空の真剣な顔を見たのは久しぶりだったしね」


 空は少し苦笑しながら、手のひらに包むように、ノエリウムを取り出す。


「俺……この石で、誰かを巻き込んでしまった。でも、その人を、取り戻したいんだ」


 父は静かにノエリウムを見つめる。


「…空が誰かを大切に想う気持ちは、ちゃんと伝わってくるよ。——その人は、きっと幸せだったろうな。空と過ごした時間が、あったことだけでも」


「……けど、それだけじゃダメなんだ。全部“なかったこと”にされるなんて、俺は……」


「空の中に残った記憶が、証明してる。それが真実だよ。でも、真実っていうのは——守るだけじゃなく、たぐり寄せてこそ意味がある。空がどうしたいのか、その先を選ぶのは、空自身だ」


 空がじっと父の顔を見つめる。


「……父さん、こんな話…信じてくれるの…?」


 父は優しい顔をしてゆっくりと頷く。


「子供の言うことを信用しない親なんていないよ」


 父は微笑んで、一度だけ空の髪をくしゃっと撫でる。


「それと、「お兄ちゃーん!!!お父さんも!!」


 突然、書斎の扉が力強く開いた。


「遅いよー!何で、座ってのんびりしてるの!あかりを餓死させる気なの!?」


 空と父は目を見合わせて、苦笑した。


「さぁ、行こう」


 * * *


 父とリビングに向かうと、ムスッとした顔のあかりと呆れた顔の母が座っていた。

 シィロは既にご飯を食べたようで、ソファでごろごろしている。


「悪かったな、あかり」


 父はあかりの頭を優しく撫でた。


「うー…いいよ」


 あかりはむすっとした顔をしながらも、何処か嬉しそうにした。


「遅れてすまなかった。さあ、食べようか」


 父が頭を下げるようにして皆に告げた。


「はい、いただきます」


「いただきます」


 しばらくは箸の音と小さな会話が続いた。


「明日は晴れるらしいわよ。それに、そろそろ梅雨も終わる頃ね」


「仕事も一段落して、しばらくは休みが取れそうだし、夏休みにまた旅行でも行こうか。あかりが行きたがってた沖縄とか」


「ほんと!?やったー!お兄ちゃん!聞いた?沖縄だよ!楽しみだね!」


 あかりは空の方を向いて笑った。先程までの雰囲気は飛んでいってしまったようだ。


「あ、ああ、楽しみだな」


 あかりの言葉に答えながらも、箸少し俯き心のなかでつぶやく。


(——ごめん。たぶん、俺は……その頃には、ここにはいない。戻ってこれるかも…でも、それでも……行かなきゃ、ならない)


 ふと、隣で丸くなっていたしろと目が合う。

 あの目は、どこかで「ちゃんと、話さなくていいんですか?」とでも言いたげだった。


「空、ちゃんと食べてる?最近、ちょっと元気ないように見えるけど」


 母が空の顔を見て、微笑む。


「うん、美味しいよ。大丈夫だよ」


 空を心配する優しい声に、空は曖昧に微笑むことしか出来なかった。


 * * *


 食事が終わった後、空はもう一度書斎へ向かう。書斎では、父は資料に目を落としている。


「……父さん。話、あるんだけど、ちょっといい?」


「……ああ、入っておいで」


 父に促されて、椅子に腰を下ろし、空はゆっくり言葉を選ぶ。


「俺、行かなきゃいけない場所があるんだ。だから……しばらく、家を離れるかもしれない」


「……そうか。さっき言っていた、取り戻したい人のために、かな?」


「うん…このままじゃ、嫌なんだ…俺。我儘だけど…ごめん」


「……たくさん後悔をしたんだね、空。君が選ぼうとしている道はきっと困難だ。だけど——」


 父は一度言葉を切った。


「だけど、後悔や悲しみに溺れてしまわないように、希望を持って進むんだよ」


「…希望を…うん、わかったよ」


 父は何かを見透かしたように続けた。


「それに、その歩みを“記録してくれる誰か”も、きっと居るんだろう?」


 父はそっと手を伸ばして、空の肩に手を置く。


「……空が決めたなら、大丈夫だよ。僕と母さんの自慢の息子だからね」


 わずかに表情を崩して、それ以上は何も言わない。


「さぁ、やるべきことをやっておいで、空」


 * * *


 空と父が話をしている書斎。

 ——その扉の向こう。

 そこには小さな影があった。


「…お兄ちゃん。どこ行っちゃうの……?」


 あかりは心配そうに呟いた。

 先程のように書斎の扉を開けようと、ドアノブに手を伸ばすが、手は力なく落ちた。


(お兄ちゃん…)


 * * *


 空が書斎から出て、自室に向かうとそこにはシィロがいた。


『あかりさんとお母様には言わなくても良いんですか?』


「うん…必要以上に心配させたくないしな…」


『そうですか…その選択が良いか悪いかはわかりません…』


「そうだな…でも、俺、朝陽を取り戻して、絶対帰る。あかりや母さんに言わない以上は絶対に」


 空の瞳には小さな決意が灯っていた。


『…微力ながら、私も手伝います』


「頼りにしてるよ、シィロ」


 空はシィロの頭を撫でた。


「今日、トガビトに遭遇したんだ」


『え、大丈夫でしたか?』


 シィロの身体が強張った。


「う、うん…伊織がいてくれたおかけで、何とか…でも痕跡を一つ奪われた」


『それは…無事で良かったですが…』


「トガビトに奪われた痕跡が、俺たちが探している痕跡じゃなかったら良いんだけど…」


『トガビトから逃れた後も痕跡を集めたんですよね?』


「ああ、逃げた後に、警戒しながら集めたよ」


 ポケットからノエリウムを取り出すとシィロに見えるように床に置いた。


『…強い想い、この輝き…うん…どうやらトガビトが奪った痕跡は、空さんが探しているものとは違ったようですね…』


「ってことは…」


『ええ、このノエリウムの状態であれば鍵を作ることが出来るはずです!』


 シィロはノエリウムを見て、何かを呟くと、興奮したように空に言った。


「ようやく…ってより意外とすぐに集まったな…」


『もう少しかかると思っていましたが、これも想いの力ということでしょうか?』


 シィロも興味深そうに頷いている。


「シィロ。ここから、どうやって鍵を作るんだ?」


『記録では…ノエリウムに蓄積された想いを織り上げることで完成する…となっていますが…』


「織り上げる…?」


 空の疑問にシィロは頷いた。


『不可解なことに、すでに鍵への変化が始まっています』


 シィロはまたノエリウムをじっと見た。


『これは…朝陽さんのお母様の…?』


「…朝陽のお母さんがどうしたんだ?」


『…いえ、母の愛は強し、と言うことですね、このノエリウムにはお母様の”朝陽さんを護りたい”という想いが記録されています。その想いの力によって、変化が始まっているようです。』


「なるほど…」


 空は納得したように頷いた。


『後は空さんの想いを改めて、ノエリウムに込めて願ってください』


「わかった…やってみるよ」


 空はノエリウムを拾い上げると、手の中で優しく握る。

 掌にあるノエリウムは、ほんのりと体温を映すように、じんわりと温かかった。


 空はそっと、瞳を閉じた。


(…朝陽。君の声、君の笑顔、君のすべてを、俺は忘れない)


(君がいなくなったこの世界が、どれほど静かで、どれほど冷たいか…)


(だけど俺は、君が残してくれた光を、ちゃんと受け取った)


(だから今度は——)


 胸に残った想い、後悔、祈り、誓い。そのすべてを言葉にせずに、空はそっとノエリウムに込めた。


(……今度は、俺が君を連れ戻す)


 その瞬間——


 ノエリウムが、淡い青の光を放った。


 それはまるで、朝焼けの空を映したかのような、優しく澄んだ色だった。


 やがて光はその姿を変え、空の手の中で、小さな鈍色の“鍵”の形へと姿を変えていった。

 その鍵は小さいながらも、存在感があった。


「…鍵に、なった」


『…やりましたね、空さん。後はアズールヘヴンに向かうだけです』


「ああ…明日の朝に、あの神社に向かおう」


『なら、今日はもう寝ましょう。明日は長い一日になります』


 シィロの言葉に頷いて返答する。


『これは、記録者として見届けた中でも、特別な記録になりそうです』


 空は少し興奮しているシィロから視線を外し、窓の外に目を向ける。

 その先には、どこまでも広がる夜の空。

 星は瞬いているのに、不思議と“朝陽”を想ってしまう自分がいた。


(アズールヘヴンに。君に会いに行く。

——もう一度、君と「はじまり」を迎えるために)

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