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そらのかけら  作者: 夜と雨
第四章:欠けていく記憶
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第十二話:見えない綻び

 翌日。


 空は一日を通して、“かけら”に触れないよう気を張っていた。

 ポケットに入れてはいたが、意識して手に触れることすら避けている。

 前夜の白い影の言葉が、心のどこかに引っかかっていたから。


(……使うな、って言われたけど……そもそも、使おうと思って使ってたわけじゃないんだけどな)


 教室の窓から外を眺めながら、空はぼんやりと考える。


(でも、たしかに。昨日、朝陽と話してる最中……あの一言で巻き戻った気がする)


 思い出すたびに、妙な感覚が胸の奥をざわつかせた。


 気がつくと、朝陽が自分の席に座っているところだった。


「おはよう、朝陽」


「……」


 空は朝陽に挨拶をするが、まるで声が届いていないかのようであった。


「朝陽…?」


 空の声に、朝陽は一拍遅れて顔を上げた。


「……天音くん?ごめん。気づかなかった」


 空は少し眉をひそめる。朝陽の耳には、たしかに届いていたはずの声。


(……考えごとしてた、だけ?)



 昼休み。


 伊織が苦虫を噛み潰したような顔をして、空の机までやってきた。やってきた。


「あー、これ見てくれよ。実は肝試しの日にお前らの写真をこっそり撮ってたんだよ。その写真、ちょっと変なんだけど」


「写真なんて、いつ撮ったんだ?」


「あのヤバい音楽室に入ったとき、ちょっとな…」


「お前…勝手な…」


「まーまー、それはいいじゃん、素晴らしい青春の一ページだよ…って言いたいのはそこじゃなくてさ。写真だよ、写真。」


「あー…写真がどうしたって?」


 伊織が差し出したスマホを受け取り覗き込む。

 そこには、懐中電灯の光に照らされた教室の一角と、少し顔が強張った空と——空に寄り添っているように見える朝陽が写っていた。

 ……いや、“写っているはず”だった。


「……なんか、ぼやけてないか?ここ」


 空が指差したのは、朝陽の立っていた位置。

 写真のそこだけが、まるで霧がかかったように白く滲んでいる。輪郭も曖昧で、顔がほとんど判別できなかった。


「ほらな?俺の手ぶれかなって思ったけどさ、他のと比べてもこれだけなんだよ。なんか不気味でさ…」


「……うん、確かに」


「な、なぁ…これって心霊写真ってやつかな…?俺、この写真持ってたら呪われるんじゃないか…?消した方が良いよな?な?」


「伊織、落ち着けって。とりあえず心霊写真かもしれないなら、消しておけばいいんじゃないかな?」


「そうするわ…!助かった、空!こんなん相談できんのお前しかいないからさー…。よし、消えた…!呪われませんように!」


 伊織は本当に心配していたのだろう、心底、安心した顔をして笑う。


「うん…大丈夫だよ…たぶん」


 空は喉の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。


(…心霊写真ってより、“存在”が、ぼやけてきてる?)



 五時間目の授業が終わり、先生が課題の回収を依頼していたときだった。


「日直は集めた課題を職員室に持ってきてくれ」


「今日の日直って、誰だっけ…?」


 クラスメイトの1人がそう言うと、一瞬、教室がざわついた。


「…わかりました」


 朝陽が返事をすると、空はハッとして、朝陽の席を見る。ちゃんと、そこにいる。


 でも…声を聞く、その瞬間まで、確かに“いたこと”を忘れていたのだ。

 


 その日の放課後。


「朝陽、一緒に帰らないか?」


「天音くん、良いよ」


 空は朝陽と校門を出てから、ふと立ち止まった。


「なあ、朝陽……俺たちって、昨日も話したよな?神社で」


「……うん?ああ、うん。確か…行った…よね。……でも、なんで?」


 その“言い方”が、また引っかかった。


 昨日の話の詳細が、朝陽の中で薄れている——そんな印象。

 いや、それだけじゃない。朝陽自身もどこか、宙に浮いたような反応だった。


「いや……なんでもない」


(なんだろう、この感じは…何かとても嫌な…)



 空はその晩、寝る前にスマホのアルバムを開いた。

 肝試しの夜、記念に3人で撮った写真を何度も見返す。


 ——やっぱり、朝陽の姿だけがぼやけている。


 そして、もう一枚。数日前の教室での写真。伊織やクラスメイトを何気なく撮ったもの。

 そこにも、画面の端に朝陽の姿が写っている。いや、写って“いた”。


(……こっちも……?)


 ほんのわずかに、姿が薄い。

 色が抜け落ちているような、透明になっていくような——そんな違和感。


(なんで…朝陽にこんな異変が…?)



 翌朝。

 登校途中の坂道、空は自分でも気づかないほど小さな「後悔」をしていた。


(あ、ノート忘れた……)


 その瞬間——


 風が、一瞬止まる。


 耳の奥で、遠くの音が逆流するような違和感。


 ふと顔を上げたときには、すでに数分前の道を、空はまた歩いていた。


「……嘘だろ……」


 思わず立ち止まる。


 巻き戻った、たった数分。


(やっぱり”かけら”は時間を……?でもなんで勝手に…いや、無意識に……使われてる?)


 ただ、「困ったな」と思っただけだった。


 ただ、それだけで——


 ポケットの中の“かけら”が、妙に重く感じられる。

 石の質量以上に、何か“引きずられている”ような感覚だった。



 ふとした瞬間、指先がしびれたような感覚に襲われる。

 “かけら”に触れたわけでもない。


 なのに、その冷たさだけが、皮膚の奥まで染みこんでくる気がした。


 日常の綻びは、すでに目に見えないところで始まっていた。


(朝陽の声が、たまに届かないときがある。目の前にいるのに、ちょっとだけ遠くにいるような……そんな感覚)


 そう考えると、ポケットの中の“かけら”が、微かに熱を帯びている気がした。


(……やめてくれよ。何もしてないのに)


 空は無意識にポケットを押さえる。

 何かが始まりそうな気がして、怖かった。


 空はようやく気づき始めた。


 この”かけら”を使ったせいだ。

 あの白い影が言っていた、言葉。


 ⸻“身を滅ぼす”


 “かけら”の力を使えば、時間を巻き戻せる。

 だけど、そのたびに……何かが“薄れて”いく気がした。


 

 その日の夜、空は夢を見た。


 夢の中で、空はバス停にいた。

 あの夕立の日——屋根の下、肩を濡らしたまま、手を離したあの瞬間。

 手に残る体温、頬に落ちた雨のしずく。すべてが、現実と変わらないほど鮮明だった。


 隣には、誰かが立っていた。

 白いシャツ。濡れた髪。視線をそらしながらも、どこかで気にしてくれているような——


 (……朝陽)


 そう、呼ぼうとした。


 けれど、その名前が、口からこぼれなかった。

 声にならなかった。息さえも止まっているような感覚。


 視線を向けると、そこだけ霧がかかったようにぼやけていて、顔が見えない。

 輪郭すら、どこか曖昧だった。


 そして、目の前のその存在は——

 まるで風に削られるように、徐々に、輪郭を失っていく。


(……朝陽、朝陽っ!)


 叫んだはずの声は、雨音の中にかき消された。

 空は必死に手を伸ばした。けれど、その手は、何にも届かない。


 彼女の姿は、ゆっくりと、世界から剥がれ落ちるようにして——


 消えた。

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