第十一話:探し物は見つからなくて
空は自分の席に座りながら、ぼうっとポケットの中を“かけら”について考えていた。しろを探しに行ったとき、偶々拾ったもの。でも、ここ数日でその存在は、ただの“拾い物”ではなくなっていた。
(……巻き戻ってるよな…)
そして、なにかが「変わって」きている気がしていた。
「……おはよう」
背後から声がして、空は振り返る。
朝陽だった。窓から入る光のせいで、少し眩しそうに目を細めている。
「あ、おはよう、あの…さ、今日、放課後……もう一回、行ってみない?神社。まだ、何か見落としてるかもしれないし」
朝陽は少し驚いたような表情を浮かべて、空の目をじっと見た。
「……いいの?一緒に来てくれるの」
「もちろん。約束しただろ、ちゃんと探すって」
その言葉に、朝陽は静かに笑った。けれど、どこかそれは“遠い”笑みのようにも見えた。
「うん。ありがとう。……天音くん」
それは、ほんの小さなやりとり。
でも、空の中にまたひとつ、疑問が芽生えた。
放課後、朝陽と共に神社へ向かう。
鳥居の向こう、坂を登ると、木々の隙間から差し込む光がまだらに石段を照らしている。木々は静かに揺れていたが、風の音よりも、自分たちの足音と息づかいの方がはっきり聞こえた。
境内には誰もいなかった。午前中の晴れ間から一転して、雲が空を覆いはじめていたせいか、薄暗い光が辺りを包んでいる。
「……見つかると…いいな…」
朝陽が小さく呟いた。
「大丈夫、今日こそ、見つかるよ」
空は境内の中心に立つ大きな御神木を見上げた。どこかで、あの夜を思い出す。神社の境内で“かけら”を拾った夜。
朝陽は、かけらのことを何も知らない。
彼女が探している「形見」とは関係がないと思いたい、形見さえ見つかれば、この”かけら”は関係がないものだという、証明にもなる。
空は純粋に力になりたいと思う反面、そんなことも考えてしまった。
「どの辺で落としたと思う?」
その思いを振り払うかのように、朝陽に聞いた。
「……正直、はっきりとは覚えてない。ただ、たぶん、このあたりで……」
朝陽は拝殿の脇に目を向けながら、草むらの中に視線を落とした。
空は、彼女の隣にしゃがみ込む。
「草が多いから、落ちたらわかりにくいな……」
「うん。でも……あの夜も、ちゃんと歩いたはずなのに……気づかないうちに、なくなってて」
朝陽の声には、焦りというよりも、不思議そうな響きがあった。まるで「失くした」という事実自体が、どこか他人事のように感じられているような——そんな雰囲気。
(前に聞いた時は、もっと必死だった気がする……)
空の中に、またひとつ、小さな違和感が積み重なった。
「……なぁ、朝陽。ペンダントのこと、どんなのだったか覚えてる?」
「え?」
朝陽は少し戸惑った表情を見せ、それから目を伏せた。
「……金の鎖に、ガラスみたいな……透明な石がついてて。中に小さな、……光が入ってるように見える、不思議な石だった」
ぽつりぽつりと語られる言葉の中に、懐かしさと、ほんの少しの迷いが混ざっていた。
「お母さんの形見だったんだよね?」
空がそっと尋ねると、朝陽は小さく頷いた。
「うん。小さい頃は、よくそれを触ってた気がする。高校生になってからはあまり触ることもなかったけど、この神社に来るとき、何故か持っていこうって」
空は、ポケットの中の“かけら”に触れたくなる衝動を抑えた。
「……朝陽、もしさ」
空が言いかけた瞬間。
背後から、葉を踏む音。誰かが、そこにいるような気配。
空はふと足を止めて、視線を上げた。
……白い影が、鳥居の向こうに立っていた。
(……しろ……?)
猫のように小さな影。でも、どこか人のような背丈。
次の瞬間、それはふっと消えるように、見えなくなった。
(今の……気のせいじゃ、ないよな……)
空は胸の奥にざわりとしたものを感じた。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
空はそう答えながら、消えた白猫の方角を見つめ続けた。
(また、あの猫……)
以前、神社で“かけら”を拾った時も、確かにしろはそこにいた。そして、今も——こちらを観察しているような、そんな気配だけが残っている。
「……今日も、やっぱり見つからないみたいだね」
朝陽が立ち上がって、空に向き直る。
「……ごめんね、付き合わせちゃって」
「いや、俺も気になってたから」
そう言いながら、二人は並んで石段を下りはじめた。
神社を離れて数分、道の途中で、ふとした会話の流れから、空が軽口を叩いてしまった。
「……にしても、朝陽って、意外とドジなとこあるよな。大事な形見、なくすなんてさ」
言ってから、すぐに後悔した。
「……ごめん、言いすぎた」
朝陽は一瞬、目を見開いて、首を傾げた。
「…どうしたの?突然、謝って」
ふとした違和感。
(……今、なんか変じゃなかったか……?)
たしか、さっきは——
「……いや、ごめん。やっぱり、気にしないで」
空は取り繕うように微笑んでみせた。
けれど、胸の内側には、拭えない“引っかかり”が残っていた。
(……前にも、こんな会話、した気がする)
けれど、違っていた。
朝陽の表情も、声の調子も——まるで、前とは違う世界の“朝陽”がそこにいるみたいに、微かにズレている。
(……まさか、さっきの発言で、俺、また……?)
ポケットの中で、“かけら”がじんわりと温もりを持っている気がした。
意図したわけではなかった。でも、きっと、また“巻き戻った”のだ。
それはもう、偶然とも、気のせいとも言えないものになりつつあった。
——何かが、確実に、狂いはじめている。
何処かで何かが軋む音がした気がした。
その後、朝陽を家の近くまで送り、自宅までの帰り道。
空はひとり、いつもの道を通っていた。
あたりには誰もいないはずなのに、ふと、背中に視線を感じる。
振り返っても、誰もいない。
けれど、空気が変わっていた。
風が止み、遠くで鳴いていた蝉の声すら聞こえなくなる。
世界が、まるで一枚の薄紙のように“音”を失った——そんな静寂だった。
そして、空の前方。夕暮れの光に染まった歩道の向こう。
そこに、白い影が立っていた。
小さな背丈。風に揺れない、真っ白な髪。目だけが、暗い湖のように静かだった。
「……君、誰……?」
問いかけた声は、自分の耳にもかすれて聞こえた。
その存在は、確かに“人の姿”をしていた。でも、違う。
目の前にあるのは、人の世界に属していない何か——“特異な存在”、そんな確信めいた予感がした。
「…かけらを、使うな」
その声は、風の中に混じるように、空の脳に直接響いた気がした。
「……なんだ…。君は…何なんだ…?」
「…身を滅ぼすことになるぞ」
言葉は確かに届いていた。けれど、それがどういう意味なのか、空には理解できなかった。
「……どういうことだよ……!」
そう言った瞬間、白い影は、ふっとその場から消えた。
まるで、最初からそこにいなかったかのように。
静寂が破れ、蝉の声と風の音が、ゆっくりと世界に戻ってくる。
空はポケットを押さえた。“かけら”は、そこにある。けれど、冷たかった。