別れの村、決断の朝
──誰にも届かぬ、約束の行方──
夕暮れ。
魔法国最南端、山間の静かな村。
風が細く吹き抜け、家屋の軒先に吊るされた草の束がかすかに揺れる。
街道の終わりにあるこの村には、旅人の気配も商いの声もなかった。
人の気配が薄いというより、“何かを遠ざける”ような静寂が漂っていた。
キオとユリスは、小さな宿の裏手に腰を下ろしていた。
薪の火がちろちろと揺れる。
誰も言葉を発しないまま、時間だけが流れていた。
やがて、キオが口を開いた。
「……ユリス。ここで別れましょう」
ユリスは焚き火の火を見たまま、無言だった。
「魔王城までは、村人の話によれば三日。
もし私が戻ってこなければ、あなたは共和国に戻ってください。
一週間以内に帰還しなければ、それは私が“魔王に支配された”ということ。
私には、止める術がない」
その言葉に、ユリスはようやく顔を上げた。
「ふざけるな。俺は使者であり、護衛でもある。
魔王が貴様に命じるなら、俺が止めて——」
「止められません」
キオの声は、鋭くも穏やかだった。
その瞳には、わずかな“迷い”すらなかった。
「あなたが命を賭けて止めようとしても、私が命令されたなら……
あなたを殺すかもしれない」
ユリスは口を閉じた。
「……俺は、あんたを信用してる。
あんたが支配されるなんて、どうしても想像がつかない」
「私もそうであってほしいと願います。
けれど“もしも”は、常に可能性です。
あなたには、生きて、共和国に伝えてもらいたい」
キオは立ち上がった。
手袋を外し、そっと右手を差し出す。
「握手は不要だと言われましたが……こういう時には、してみたいと思いまして」
ユリスは一瞬、照れくさそうに顔をそむけたあと、
手を差し出した。
その手は温かく、
キオの掌は無機質で、確かに“人ではなかった”。
けれど、その瞬間に交わされたものは、誰よりも深い信頼だった。
翌朝。
空は一面の鈍色だった。
キオは街道の始まりに立ち、何度も後ろを振り返ることはしなかった。
ただ、真っすぐ前を見据えて歩いていく。
ユリスは、宿の裏手の小さな丘の上からその背を見ていた。
(行くなとは、言えない)
遠ざかっていく。
風に消えるように、その姿は小さく、小さくなっていった。
そして、見えなくなった。
時は過ぎる。
一日。
二日。
三日——四日——六日。
誰も来ない。
何の音も、便りもない。
七日目の朝、ユリスは最後の決断を迫られた。
(……キオは、もう戻ってこないのか?魔王に従わされたのか? それとも……)
風が吹いた。
キオと共に過ごした日々が、脳裏をよぎる。
「帰るべきか。……それとも、探しに行くか」
誰にも、答えは与えられていなかった。
第2部・完




