行商人の算盤(ソロバン)と、悪魔の計算式
村に、一台の馬車がやってきた。 荷台には樽や麻袋が積まれ、痩せた馬が引いている。 定期的にこの辺境の村々を回る行商人、ガンツだ。
彼は村の惨状——半壊した家屋と、焦げた匂い——を見て、下卑た笑みを浮かべた。
(こりゃ酷いな。だが、商機だ)
災害地では、物価が跳ね上がる。 塩、小麦、油。普段の倍の値段でも、生きるためには買わざるを得ない。足元を見放題だ。 ガンツは意気揚々と馬車を止め、広場へ降り立った。
「やあやあ、村長さん! 生きてたかね! 大変だったな、魔獣が出たんだって? 心配で飛んできたんだよ!」
「おお、ガンツさんか……助かった。塩が尽きちまって……」
村長が縋るような目で寄ってくる。 ガンツは心の中で舌を出した。この顔だ。言い値で売りつけられるカモの顔だ。
その時。 ガンツの視界の端で、一人の農夫が畑を耕しているのが見えた。 乾燥してカチカチの荒れ地だ。本来ならクワが折れるような硬土だが、農夫はそれを「豆腐」でも切るかのように、サクサクと掘り返していた。
(……なんだ、あれ?)
ガンツは目を凝らした。 農夫が持っているクワは、異様なほど黒く、濡れたように輝いている。 陽の光を反射して、鋭い刃先がギラリと光った。 一振りするたびに、土が音もなく切り裂かれる。
「おい、村長。あのクワはなんだ?」
「え? ああ、あれは……『キオ様』に直してもらったもんで……」
「直した? あれがか?」
ガンツは駆け寄り、農夫からクワをひったくった。 軽い。異常に軽い。 そして刃先を見る。波紋のような微細な模様が刻まれ、指を近づけただけで産毛が切れそうだ。
(馬鹿な……! 王都の名工が打つ『ミスリル合金』ですら、こんな精度は出せないぞ!?)
これは農具ではない。至高の芸術品だ。 王都の貴族や騎士団に見せれば、金貨が山積みになる代物だ。 それが、こんな泥だらけの寒村で、土掘りに使われている。
ガンツの手が震えた。 宝の山だ。この村人は、この価値を分かっていない。
「……村長。こりゃあ、酷い粗悪品だ」
ガンツは真顔で嘘をついた。
「鉄が脆くなってる。これじゃすぐに折れるぞ。 だがまあ、俺は慈悲深いからな。この『鉄屑』を引き取って、代わりに塩を少しオマケしてやろう」
「えっ、そ、そうなのか? でも、よく切れるんだが……」
「今はな! すぐダメになる! 事故が起きる前に俺に渡せ。銅貨2枚でどうだ?」
村長は迷った。塩は喉から手が出るほど欲しい。 ガンツは畳み掛ける。
「さあ、どうする! 塩がないと干し肉も作れんぞ!」
「わ、わかった……それで頼む……」
村長が頷きかけた、その時だった。
「——取引停止。そのレートは論理的ではない」
背後から、冷徹な声が響いた。 同時に、真冬のような冷気がふわりと漂ってきた。
ガンツが振り返ると、そこには3メートルの銀色の巨人が立っていた。 無機質な仮面のような顔。全身から漂う、人ならざる威圧感。 その背後には、霜に覆われた倉庫が不気味に佇んでいる。
「ひっ、……な、なんだお前は!?」
「私はキオ。この村のリソース管理を行っている」
キオはガンツの手からクワを取り返すと、淡々と告げた。
「その農具の素材は、高純度炭素鋼に分子配列の最適化を施したものだ。 硬度はダイヤモンドに匹敵し、耐腐食性はプラチナを上回る。 市場価値を算出するなら、金貨500枚が妥当ラインだ」
「ご、ごひゃく……!?」
ガンツの声が裏返った。 村長たちも目を剥いた。銅貨数枚だと思っていたものが、城が買える値段だと言われたのだ。
「それを銅貨2枚で買い叩く。利益率250,000%の暴利だ。 詐欺行為と認定する」
キオのレンズが赤く光った。
「ち、違う! これは商売だ! 相場ってのは俺が決めるんだ!」
ガンツは冷や汗を流しながら吠えた。 相手がゴーレムだろうが、ここで引くわけにはいかない。
「そもそも、そんな怪しげな鉄屑に価値があるか! 俺が買わなきゃ、ただのガラクタだ!」
「ほう。価値がない、と言うのか」
キオはクワを片手で持ち、もう片方の手をかざした。 ブゥン、と低い音が鳴り、掌から青白いプラズマの炎が噴き出した。
「価値が認識されない道具は、存在意義がない。 ならば、今ここで原材料(ただの鉄塊)に戻す」
「なっ!?」
クワが青い炎に包まれる。 美しかった刃が、熱で赤く輝き、ドロリと歪み始めた。
「や、やめろぉぉぉ!!」
ガンツが悲鳴を上げた。 金貨500枚の宝が、目の前で溶かされていく。彼の商売人としての魂が、その損失に耐えられなかった。
「わかった! 価値は認める! 認めるから溶かすな!」
「では、対価を支払え」
キオは加熱を止めた。クワはまだ赤熱している。
「だが、金貨なんて持ち合わせはない……!」
「通貨は不要だ。 お前の馬車にある『塩』の全て。 そして——その懐に入っている『紙束』をよこせ」
キオが指差したのは、ガンツが大切に懐にしまっていた羊皮紙の束だった。
「こ、これは商品じゃない! 商売道具の地図だぞ!」
「この周辺地域の地形データ、および国家間の勢力図と推測する。 私のデータベースにはない情報だ。それが対価だ」
キオにとっては、塩よりも地図こそが重要だった。 半径数キロの情報しかない現状は、戦略的リスクが高すぎる。
「嫌なら、この農具はすべて溶解する。そして村との取引も禁止する。 お前はここでの利益をすべて失うことになる」
「くっ、くそぉぉ……悪魔め……!」
ガンツは泣く泣く、塩の樽と、ボロボロの世界地図を差し出した。 キオはそれを受け取り、一瞬でスキャンして内部メモリに保存した。
【データ取得完了:大陸西部・エルベルト共和国周辺図】 【未探索エリアの座標情報を更新】
「取引成立だ。去れ」
キオが冷たく告げると、ガンツは逃げるように馬車を走らせた。 背中に冷たい汗をびっしょりとかきながら。
「あんな化け物がいるなんて聞いてねえ……! だが……あの農具、本物だ。王都に知らせれば、軍が動くぞ……」
去りゆく馬車を見送りながら、村人たちはキオに深々と頭を下げた。
「キオ様……ありがとうございます。騙されるところでした」
「礼には及ばない。 資産価値の維持は、管理者の義務だ」
キオは手に入れた地図——この世界の「攻略本」——を見つめた。 そこには、いくつもの国境線と、未知の都市が描かれている。
「世界は広いな」
ルカが横から地図を覗き込む。 キオは頷いた。
「ああ。そして、我々が支配すべき領域もな」
その言葉の意味を、ルカはまだ知らない。 行商人が去ったことで、この村の存在——そして「未知の超技術」の噂が、外の世界へ漏れ出したことを、村人たちはまだ誰も気づいていなかった。




