その名は、いまだ風に残る
──99年後の共和国──
1. 平原の風と、市場のざわめき
秋の朝。
共和国第三大都市“セノヴァ”では、朝の市がにぎわっていた。
機械仕掛けの時計塔が8時を打ち、
歯車のように動く市民たちのリズムが始まる。
農民たちは早朝に収穫したトマネとレンセ(※改良品種の野菜)を積み、
商人たちは組合の価格掲示板を見て、出荷のタイミングを図る。
子どもたちは活版刷りの“子ども新聞”を片手に、学校へ駆けていく。
「おい、算術の小テスト、やったか?」
「へへー、俺はそろばん試験で五つ星もらったもんね!」
どこにでもある、共和国の平凡な朝だった。
2. 「キオさまが見てるからな」
市場の一角に、いたずらっ子のレオンが、店先の果物に手を伸ばしたその瞬間——
「こらッ! キオさまが見てるよ!」
老婆が杖を突いて言った。
少年はぎょっとして手を引っ込めた。
「……見てないよ、キオさま寝てるんでしょ?」
「寝てるけどな、記録の石は嘘を残さないんだよ」
「……うっ」
レオンは一目散に逃げ出し、仲間の子どもたちはけらけら笑った。
老婆は目を細め、空を見上げる。
——あれから、99年。
けれどキオの名前は、共和国に“道徳”として残り続けていた。
3. 第25代大統領
共和国中央議会、クリスタルアーチの下。
ひとりの女性が演壇に立っていた。
名前はミラ・エルベルト。第25代大統領。
「今日この日も、共和国は教育と知識をもって生きています。
私たちの先祖は、道を残しました。
だからこそ私たちは、“問いを持つ者”として在り続けましょう」
議場からは拍手が起きた。
彼女の胸には、記録装置の小型ペンダントが揺れている。
その中には、初代大統領ルカと、記録としてのキオの音声が保存されていた。
だがミラは、もうそれを再生しない。
彼らの言葉は、制度と日常に、すでに溶けているからだ。
4. 伝説の人、記録の中の神
大学では「キオ学」「近代知識学」「初期共和国史」が必修科目として整備されていた。
学生の間では、こんな噂がささやかれていた。
「キオさまって、本当は今でも世界を見てるんでしょ?」
「記録の石、ひとつひとつにキオさまの意識が分散されてるって」
「悪いことすると、起きるらしいぜ?」
もはや神話の域だった。
けれど誰も、「それは嘘だ」とは言わなかった。
知識を育て、問い続ける者として生きる限り——キオは“生きている”。
5. その日、海から“黒”が来た
それは、午前11時。
西方の港“エルアス”にて。
霧の中から、“黒い船”が姿を現した。
風に逆らうように、音もなく進み、
共和国式の帆船とはまったく異なる構造。
金属の光沢、煙突のような筒、甲板に並ぶ何かの筒型の構造物。
最初に発見したのは、見張り塔の少年だった。
「な、なんだあれ……!? “水の上を滑る城”……?」
数分後には港全体が騒然となった。
商人たちの顔から血の気が引き、
軍務省は非常信号を鳴らし、
大学では歴史学者が「記録と一致しない」と頭を抱えた。
その中で、年老いた学者がぽつりと呟いた。
「……これが、“外”か。まだ……こんなにも知らないものがあるのか……」
《第2部・開幕予告》
タイトル案:『キオの眠る場所へ』
──黒船来航。
──それは、キオが知らなかった“外側の文明”の到来。
──そして、再び彼を目覚めさせる“問い”の誕生。




