神様が落ちてきた日 〜ルカの記憶〜
あのとき、風が止まっていた。
魔獣の叫び声は、父の叫びと重なって、何を言っているのか分からなかった。
母の腕に包まれたのは、ほんの一瞬だったけど、あたたかかった。あれが、最後だった。
背中を押されて、走って、倒れて、また走って。
どこまで走ったかも覚えていない。けど、確かに——追ってきていた。
呼吸はもう、息じゃなくて泣き声だった。
足も痛くて、目も前が見えなくなって、転んで、立てなくて、そこまでだった。
……ほんとは、あそこで終わってた。
でも。
そのとき、「何か」が降ってきた。
「——下がって」
目の前に立っていたのは、白い服を着た、目の奥まで冷たい光を持った人だった。
その人が、魔獣に手を向けた瞬間、世界が音を失った。
光が、空を裂いた。
何もかもが、止まった。
そのとき私は、泣いていた。でも、泣き声はもう、誰にも届かなかった。
魔獣は、いなかった。
その人は、何も言わず、私を抱えて歩き出した。
あとで知った。
その人の名前は、キオというらしい。
自分を「人のように生きる者」だと言った。
でも私は、ずっと思ってる。
あれは神様だって。
人の命なんて紙より軽いこの世界で、
誰かを一人のために、光になってくれる存在がいたら——それはもう、神様だと思う。
ある日、井戸の前で、村の老婆が笑いながらこう言っていた。
「キオ様がまた炭焼き小屋の修理に行ったそうじゃ。あんなに器用で、何でも出来て……ほんと、神様みたいねえ」
それを聞いた若い職人が笑いながら言った。
「いやいや、神様だったらもうちょっと表情あるだろ。あの人、ちょっと怖くね?」
私は、笑わなかった。
違うのだ。
あの人は“怖くない”から神様なんじゃない。
“怖くても、助けてくれた”から、神様なんだ。
私は、あの光を見た。
父と母が命をかけて繋いでくれた時間の、最後の先にいた“人ならざる者”を。
私は、知っている。
キオがいなければ、私はここにいない。
だから、私は彼を神様だと信じている。
どれだけ笑わなくても、何を話さなくても。
彼がここにいるだけで、私の命は、生きている。
そして今、私は“学び舎”で子どもたちに読み書きを教えている。
キオがいなければ、こんなこと、夢にも見られなかった。
神様は、雲の上から見ているんじゃない。
この地に、静かに立ってる。




