名前のない怪物と、弔いの煙
夜明けと共に、その村を支配したのは静寂ではなく、絶望的な嗚咽だった。 火は消し止められたが、半数の家屋が炭になり、多くの命が失われた。
村長と思われる老人が、震える手で布に包んだ何かを差し出した。 中には、錆びた銀貨数枚と、わずかな干し肉。 村に残された、全財産だった。
「……これを持って、去ってくだされ」
老人はQ-01の足元にひれ伏し、額を地面に擦り付けて懇願した。 感謝ではない。厄介払いだ。 魔獣を殺したこの銀色の巨人が、次に自分たちを襲う前に立ち去ってほしい——その恐怖が痛いほど伝わってくる。
Q-01はスキャンを一瞬で終え、無機質に答えた。
「受取を拒否する。 現時点で必要なのは、通貨や極少量の食料ではない。 第一に、エネルギー補給のための待機場所。第二に、周辺地域の地理情報だ」
「そ、それだけで……我々を見逃してくれるのか……?」
「『見逃す』という定義が不明だが、私は君たちを攻撃する理由を持たない。 案内しろ。雨風が凌げれば、家屋の体裁を成していなくても構わない」
村人たちは顔を見合わせ、そして村外れにある、半壊した石造りの倉庫を指差した。 そこは、村の中心から最も離れた場所——つまり、隔離場所だった。
* * *
拠点を確保したQ-01は、即座に次の行動に移った。 村の広場には、魔獣の死骸と、回収された村人たちの遺体が無造作に並べられている。 気温は上昇傾向。腐敗の進行と、それに伴う疫病のリスクが懸念される。
Q-01は村人たちを集め、淡々と通告した。
「生存環境を維持するため、二つの作業を実行する。 一つ、有機物汚染源——つまり『死体』の即時焼却処理。 二つ、食糧確保のための、大型生物(魔獣)の解体および食肉加工だ」
その瞬間、悲鳴のような怒号が上がった。
「ふざけるな! 焼却だと!? みんなをゴミみたいに燃やす気か!」 「それに、魔獣を……人を食ったバケモノを食えと言うのか!? 悪魔め!」
一人の若者が石を投げた。Q-01の装甲に当たり、虚しく弾かれる。 Q-01は首をわずかに傾げた。
【状況分析:提案に対する非論理的な拒絶】 【理由:『死者への尊厳』および『タブー』と呼ばれる精神的制約】
「理解不能だ。 土葬では腐敗による土壌汚染と病原菌の拡散リスクがある。焼却が最も衛生的だ。 また、村の食料庫は全焼している。この魔獣の肉はおよそ3トン。君たちの代謝を維持するには、これを利用するのが最も効率的だ」
「効率だと……!? 妹は、こいつに食い殺されたんだぞ! その肉を食えなんて、人の心がないのか!」
Q-01には、彼らの怒りの源泉が理解できなかった。 死体はタンパク質とカルシウムの塊であり、魂という未定義領域が抜けた後の「物質」に過ぎない。 生者が生き延びるためにリソースを活用することの、何が間違っているのか?
一触即発の空気の中、Q-01は強硬手段——強制執行の検討に入った。 村人の同意が得られなくとも、疫病が発生すれば情報源である彼らが死滅する。ならば、力づくで焼却すべきだ。
「……待って」
Q-01の前に、ボロボロの少女が立った。ルカだ。 彼女は真っ青な顔をしていた。魔獣を見ることさえ怖いのだろう。 それでも彼女は、震える声でQ-01に言った。
「銀色の人……お願い。燃やすのはいいけど、お祈りさせて。 みんなでお別れを言わないと……心が、死んじゃうから」
「『祈り』に、防疫上の効果は確認されていない」
「あるの! 生き残った私たちが、明日も生きるために必要なの!」
ルカは叫ぶように言い、それから村人たちに向き直った。 そして、足元に落ちていた魔獣の肉片——Q-01が分析用に切り取った赤い塊——を拾い上げた。
「……やめろ、ルカ!」
大人たちが止めるのを無視し、彼女はその肉を口に運んだ。 生臭い、鉄の味。 彼女はえづきそうになるのを必死でこらえ、涙目でそれを飲み込んだ。
「……食べるよ。食べなきゃ、死んじゃうもん。 お父さんやお母さんが守ってくれた命を、お腹が空いて死なせるなんて……そっちのほうが、嫌だ」
口の端から血を垂らしながら、少女は大人たちを睨みつけた。 その鬼気迫る姿に、怒り狂っていた村人たちが黙り込む。
「……わかった。焼こう。そして、食おう」
村長が呻くように言った。 それは納得ではなく、屈辱と生存本能による敗北宣言だった。
* * *
その夜。 村外れの広場からは、二種類の煙が上がっていた。 一つは人を焼く、弔いの煙。 もう一つは魔獣を焼く、生きるための煙。
村人たちは泣きながら肉を噛み、そして吐いた。それでも、彼らは食べた。
Q-01は倉庫の中で、エネルギー充填のためのスリープモードに入ろうとしていた。 そこに、ルカがやってきた。 手には、焼けた魔獣の肉が一切れ。
「……おすそわけ。銀色の人は、食べないの?」
「私は有機物を摂取しない。エネルギーは電気および魔素変換で賄う」
「そっか。……ねえ、名前、なんていうの?」
「Q-01(キューゼロワン)」
「きゅー……ぜろ……? 言いづらいなぁ。 村のみんな、あんたのこと『9番目の悪魔』とか呼んで怖がってるよ」
Q-01は演算を一瞬止めた。 悪魔。その定義は不本意だ。
「じゃあさ、『キオ』ってのはどう?」
「キオ?」
「うん。なんか、あんたの音に似てるし。呼びやすい」
Q-01はその音声を解析する。 意味はない。単なる音の羅列だ。 だが、個体を識別するタグとしては、「9番目の悪魔」よりは効率的であり、敵対性を刺激しない。
【識別コード更新:エイリアス(別名)『KIO』を追加】 【登録理由:現地住民とのコミュニケーション効率化のため】
「……了解した。私は『キオ』だ。その呼称の使用を許可する」
「うん、おやすみ、キオ」
ルカは少しだけ笑ったように見えたが、その目はまだ赤く腫れていた。 彼女が去った後、暗い倉庫の中で、Q-01——キオのインジケーターが明滅する。
そこに感情はない。 ただ、システムログに「KIO」という新しい文字列が、無機質に刻まれただけだった。




