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アルバート・シャッツが名誉ある賞を頂くようです

作者: 安藤ナツ

 むかしむかし(具体的には一九二〇年)、アルバート・シャッツはアメリカはコネティカット州の貧しい農家の元に産まれました。大きくなったシャッツは、ニュージャージー州のラトガーズ大学に入学して、土壌生物学を専攻します。

 

 もっとも、この進路はシャッツが望んだものではありませんでした。


 当時のアメリカにはユダヤ人の大学入入学者数が制限が存在していて、ユダヤ人であるシャッツは一流大学に入学することが出来なかったのです。


 シャッツにとっては不本意なことだったでしょう。


 しかし、この決断は人類に大きな幸福と繁栄をもたらすことになります。


 一九四三年。当時学生だったシャッツは、地中の微生物から、ペニシリンに並ぶ抗生物質を取り出せるのではないかと考えました。


 ペニシリン。


 それは一九二八年にアレクサンダー・フレミングがアオカビから発見した世界初の抗生物質です。この抗生物質は、『二〇世紀で最も偉大な発見』『奇跡の薬』と呼ばれ沢山の人間の命を救い、莫大な利益を生み出しました。


 しかしペニシリンは完璧な万能薬ではありません。シャッツはペニシリン以外にも抗生物質があると考えて実験に明け暮れます。


 そして、シャッツは自身の考えの正しさを証明します。


 ペニシリンの効果がないグラム陰性に効果のある薬――ストレプトマイシンを発見したのです。


 新たな抗生物質は正に人類にとっての偉業と言えるでしょう。


 その偉業はシャッツの指導教官であったセルマン・ワクスマンが知る事となります。ストレプトマイシンが本物であると判断すると、ワクスマンは指導教官として、実験の実権を握るようになりました。そして指導教官の立場を利用し、その功績を我が物のように振る舞い、数多の賞賛を集めることになります。


 その結果、ワクスマンは一九五二年にノーベル生理学・医学賞を受賞し、ストレプトマイシンの特許によって巨万の富を得ました。


 その影で、シャッツが得たのはペンシルヴェニア州の農業大学の教員職だけ。ストレプトマイシンの特許権は師であるワクスマンの指示でトガーズ大学に譲渡してしまい、配当は貰えなかったのです。


 当時のシャッツは一介の卒業研究生に過ぎず、指導教官であるワクスマンの研究室で、ワクスマンの装置を使い、ワクスマンの指導下にありました。だから、シャッツは共同研究者として名乗りを上げることすらも許されませんでした。


 本来得るはずだった名誉と財産を失ったシャッツ。


 しかし天網恢恢疎にして漏らさず。神は決して善人を見捨てない。


 師であるワクスマンが亡くなった後、長い時の流れと共に当時の活躍が知られるようになると、シャッツを再評価する風潮が生まれたのです。


 ストレプトマイシンが発見されてから五〇年以上の時が流れ、ついにシャッツは抗生物質の研究者として最高の栄誉ある賞を受賞することとなりました。


「シャッツ博士、この度は『ワクスマン(・・・・・)賞』の受賞おめでとうございます!」


 めでたしめでたし。

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