懇ろが生む送呈 Action 16ー4
-(目…、冴えちゃってる。あと二時間は寝てていいはずなのに…。)-
朝四時に目覚めてしまった私は、無意識に興奮してしまっているのか…、二度寝が出来ない程に眠気がすっ飛んでしまっていた。元々の予定では、この時間に目を覚まして準備を済ませたあと、私は楼羅の運転する車に乗って六時にはフェスの会場に向かって出発するつもりだった。恐らくは…そうするつもりだった意志が残っていて、体が勝手に私を四時に起こしてしまったのだろう…。結局私はこれ以上の睡眠を諦め、潔くベッドから起き上がることにした。
-(時間を持て余しても何となくソワソワするし…、とりあえず身支度を済ませておこう…。)-
ボーっとしているのが何となく嫌で、私は無計画に身の回りの準備を始めていった。必要最低限なものだけをバッグに詰め込もうと、普段持ち歩いているものを仕分けに掛かったのだが、そこで手に取った折り畳み傘を見て…私は思い出したかのようにカーテンの隙間から外を覗き込んだ。
「…止んでる。」
ニュースで流れていた天気予報通り、数日間降り続いていた雨は昨夜のうちに姿を消していた。その名残は目に見えるものの、これ以上追い打ちが襲ってくる気配は見受けられなかった。テレビを点け、早朝特有であるBotのような天気予報を確認してみても、そこに雨の予報は記されていなかった。
-(良かった…。会場の方も雨止んでるみたい…。)-
雨天中止という最悪の事態が回避されたことで、私が抱えていた一番大きな杞憂はどうにか消え去ってくれた。その為、私のモチベーションは朝四時という時間でありながらも自ずと上昇傾向になっていて、五時を過ぎた段階で…既に私は【今日の私】を完成させてしまっていた。昨日の時点では悩んでいた服装も、紺色のリネンパンツに淡いカーキ色のカーディガンを合わせて、パンプスが映えるように装うことが出来ていた。寧勇から貰ったバレッタもつけるつもりではいたのだが、新幹線で移動することを考えると邪魔になる為、とりあえずカーディガンのポケットに入れていつでも装着出来るようにしておいた。
-(うーん…、虚無。)-
時間と生気を持て余し、何もすることがなくなってしまった私は、どうにかしてこの時間を有意義なものにしたいと考え始めた。
-(…歩くかぁ。)-
私は唐突に思いついた『徒歩でバイト先へ向かう』という計画を、すぐさま実行に移すことにした。
-(学校へ行くときより荷物は重くないし…、まぁ大丈夫でしょ。…とは言え、パンプスで長距離を歩くのは流石に辛いだろうから、これは手に持ってバイト先で履き替えさせてもらおう。)-
私は時計が六時を指し示すよりも先に家を出て、バイト先に向かって歩き出し始めた。丁度日の出の時間と同じくらいなのだろうか…、久しぶりに見えた雲の無い空がうっすらと明りを吸収しているように私には見えていた。車の走る姿も珍しい程で、騒音の無い道は私にとってとても新鮮なものだった。時刻が六時を過ぎ、通常機能を発揮し始めた信号機はルールを守る方が可笑しいと思えるほどの役割しか果たしていなかったが、それでも私は一台も車が横切ることのない信号機を、赤信号の度にきっちり立ち止まり続けていた。
-(何で立ち止まってるんだろう私…。条件反射なんだろうけど、外目から見ると滑稽だよなぁ…。)-
私しか居ない交差点を、私一人だけがルールに沿って立ち止まっている光景が、何ともシュールで面白かった。絶対誰からも注意されないし、絶対車に撥ねられることもない…。それが理解出来ていても、私は赤信号を渡る気にはなれなかった。その理由が自分でもよく分からなかったのだが、たまに自転車などが通ると少しだけ恥ずかしい気分にはなっていた。
歩き始めて三十分程経過した辺りから、段々と交通量が増えてきたように思えた。路線バスも運行を開始していて、バス停を見つけ次第…次の乗車のタイミングを待てる状態にはなっていた。元々…、私は10㎞程もある道のりを全て徒歩で行くつもりではなかった。何処かキリの良いところでバスには乗るつもりだったのだが、疲れを感じていなかった私はもうしばらく歩き続けることした。
そんな感じで見つけたバス停を私がスルーしようとした瞬間、見覚えのある一台の車がそのバス停の脇にハザードを点けて停車をした。私は当たり前のようにその車へと導かれ、助手席側のドアへと接近したのだが、その窓から顔を覗かせたのは…当然ながら持ち主の相方である氷華の姿だった。
「リンリン?何でこんな時間にこんな所を歩いてるの?」
不思議そうな表情を浮かべる氷華の隣には、運転席にいながら同じような表情をしている楼羅の姿があった。
「いや…、何か朝の四時には目が冴えちゃって…。やることないから朝の散歩の称して、バイト先まで出来るだけ歩いて移動してみようかな…って。そっちは今から高速に乗って移動だよね?」
「うん…。燐とは逆で、こっちは寝坊のせいで出発が遅れてるんんだけどね…。」
「どっちの寝坊?」
「リンリンはどっちだと思う?」
「うーん…、両方。」
「「正解。」」
「だと思った。どっちかがちゃんと起きていれば、寝坊なんて起きないはずだもん。」
私は冷静に事態を判断し、二人が揃って寝坊したことを見事に突き止めた。
「俺達二人共、昨夜は妙に寝つきが悪くてさ…、そのせいでスヌーズが鳴るまで目…覚めなかったんだよ。」
「あらら…。だったら今からでもちゃんと急がないと。渋滞に引っ掛かったら洒落にならないよ。」
「だねぇ…。まぁ私達もリンリンと同じで『最悪マチヤクバさえ見られればいい』って考えだから、そこまで焦ってはないんだけどね。」
「一応焦ってよぉ。私が見れない部分は二人に見ておいてもらいたいんだから…。」
私が午前の公演を潔く諦められた理由の一つは、二人が私の代わりに見てくれるだろうという安心感があったからだった。それが今の時点で崩壊しかけていると知った私は、二人のケツを叩くようにしていち早い発進を促した。
「それもそうかぁ。じゃあ安全運転に配慮しつつ…、それなりに頑張って移動してみるよ。」
「うん、午前の部は任せた。私も午後の部までにはどうにか会場に着いてみせるから。」
「うん、じゃあくれぐれも気を付けて。何かあったら俺でも氷華でも良いから、直ぐに連絡してよ。」
「分かった、ありがとう。」
「リンリンッ、あのさっ…。」
「ん…?」
車から離れかけた私を咄嗟に呼び止めた氷華の声は、何とも珍しく『緩さ』を感じられないものだった。
「あ、その…。……。…いや、やっぱりこれは時間のあるときにゆっくり話そう。だから出来るだけ早くバイト終わらせて来てね。」
「…うん、分かった。そっちも気を付けてね。」
「うん。先にフェス会場で待ってる…。」
そう言って、氷華は穏やかな表情で私に手を振ってくれてはいたが、窓を閉め切る瞬間に見えた顔は、明らかに後ろ髪を引かれている表情だった。私に対し、氷華は確実に何かを聞きたかったのだろうが、タイミングを考慮した結果…、氷華はその言葉を飲み込んでしまったようだった。
-(あの感じ…、氷華は気づいるのかもしれない…。)-
この場から去って行く二人の乗った車を見つめながら、私は氷華の勘の良さをひしひしと感じていた。氷華は恐らくだが観察眼が鋭い。それは自らが『偏見』を受けたせいなのかもしれないが、氷華自身は周りに居る人達のことをしっかりと見極めているように思えた。楼羅や寧勇がまだ口に出して言っていなかったことも、氷華は自らの勘で言い当てていた。その流れからしても、氷華が私の隠し続けている秘密に気づいていても『何故』とは思えそうになかった。
-(あのアドバイスも、氷華は分かってて言ってたのかもしれないな…。)-
『完璧な人なんて居ない』…、そう言われたときのことを思い返すと、不思議と真千さんの存在を言い当てられているような気分になってきた。