[オスマンサスの花詞] Action 15ー10(Tsugumi's short story.)
-(震えてる…。感情を押し殺してるのか、あるいは……。)-
籠崎さんに触れた手のひらから『微かな震え』と『呼吸の気配』が伝わってきた。それらの具合を鑑みて…無理に表情を窺ってしまえばデリカシーを欠いてしまうと思った俺は、その様子をやんわりと見守ることにした。
-(さっき注意されたばかりなのに…、これは些か優しくし過ぎたかもな。折角籠崎さんの方が制御してくれているのに、俺が唆すようなことをしたら余計に苦しませるだけかもしれない。)-
俺は優しくすることを止めなければと思い、籠崎さんの頭に添えていた手をそっと外し…若干前かがみ気味になっていたその姿勢も真っすぐに立て直した。だけどそれでは見下げるようなこの視線がどうしても心苦しくなってしまい…、『出来れば頭を上げてくれないだろうか』という思いに駆られてやんわりを維持出来なくなってしまっていた。
「…大丈夫?顔上げれそう?」
「大丈夫…ではあるんですけど、ちょっと今は顔を見られたくないので、あと一分くらいこのまま顔を伏せさせて貰っていいでしょうか?」
「いいけど…。(このままの姿勢は流石になぁ…)」
どうにかしてこの形勢を変えられないかと考えていたそのとき、俺は手元に置いていた『忘れ物』の存在と、寧勇からの『言伝』を思い出した。
「あっ、そうだ。」
「…?」
「顔を見られたくないんだったら、丁度良い。少しの間、俺に対して後ろ向いてもらえるかな?」
「ん?え…、あ、はい…。」
籠崎さんは困惑しながらも丸めていた背中を垂直に起こすと、俺の指示した通り…、こちらに背を向けるようにして姿勢を取り直した。
「ごめん、寧勇から頼まれたことなんだ。少しだけ髪の毛触らせてもらっていいかな?前に妹の髪をセットして以来だから、上手く出来るか分からないけど…、変なことにはならないと思うから。」
「はあ…。(?)構いませんけど…。」
『訳が分からない』というオーラは出ていたものの、籠崎さんは俺が髪の毛に触れることを直ぐに了承してくれた。しかも俺が頭に触れやすくする為か…、籠崎さんは先程まで垂らすようにしていた首を、綺麗な姿勢で真っすぐ上に伸ばしてくれていた。俺は車内に差し込まれる街灯や看板の明かりを頼りに髪を結い始めたのだが、その髪質は思っていたよりも上品で、湿気による苦戦を強いられることなく纏め髪を作ることが出来そうだった。
-(高校のとき籠崎さんは、割と癖毛をこじらせてたイメージなんだけどな…。自分自身へ費やすことに喜びを覚えたのか…、周りの環境に応じて女子力が上がったのか…。その真相は分からないけど、『良い事』には変わりないな。)-
「…良し、出来た。」
俺は籠崎さんの髪の毛を両サイドから巻き込むように束ねていき、それをハーフアップのような状態にして纏め上げた。ヘアゴムやヘアピンを使わず…バレッタ一本で纏めていたので耐久力には自信が無かったが、見た目としては十分通用するレベルではないかと思えた。
「えっと、これは…?」
「寧勇からお礼…ということらしいよ。お気に入りの髪飾りではあるらしいんだけど、『もう自分が使うことはないから』って。きっと大事に使ってくれると思ったから、寧勇は籠崎さんにこれを譲ろうと思ったんだろうね。」
「……。」
籠崎さんが恐る恐る触れようとしているその留め具部分には、さっき友達の家から回収してくれたリーフ型のバレッタが挟まれていた。触って確認したいのだろうが…、まるで腫れ物に触れるかのようなその手先を見て、俺は籠崎さんが耐久に不安を感じているのではないかと思い、慌てて言葉を掛けた。
「あっ、着け心地が悪かったら外してもらって大丈夫だから、あとは自分で……。」
「いえ、…このままで十分です。ありがとうございます。」
「……。」
そう言って振り向いた際…、僅かに見えた籠崎さんの横顔に、俺は思わず言いかけていた言葉を飲み込んでしまった。
「どうかしました?」
「…いや。さっきまで泣いてるのかと思ってたから…、籠崎さんが笑えるようになって良かったって思っただけだよ。」
俺がそう言うと、籠崎さんは顔が見られて恥ずかしかったのか…、再び俺に後頭部を見せるように首を転向してしまった。そしてそれを誤魔化すかのように籠崎さんは窓の外を眺めていたのだが、運が良いことに…このタイミングで雨の勢いが弱まる兆候が見え始めた。
「あ、雨が弱まったので、車を出るなら今が良さそうですね。ここまで送ってくださり、本当にありがとうございます。」
そう言ってこちらを向いた籠崎さんには、もう…涙も照れも見当たらなかった。純粋な笑顔だけが俺に向けられ、『何も心配はいらない』と言わんばかりに、目をバッチリと合わせてくれた。
「こちらこそ。……。」
この笑顔を作ったのは俺なのか…、それとも寧勇なのか…。その真相を聞くような野暮な真似はしたくなかったが、何がきっかけで籠崎さんは『全てと向き合いたい』と思うようになったのか…、その真相は気になって仕方がなかった。
「…ねぇ、最後に聞きたいことがあるんだけど…良いかな?」
「はい?」
「籠崎さんがここまで変われたきっかけって何?俺が卒業したあと、推しや友達が増えたっていうのも一つの理由かもしれないけど、自分の信条っていうのは…そう簡単に変わるものじゃないでしょ?」
「…布教ですよ。」
「え?」
「大好きな推しの彼女が、私に愛を布教してくれたお蔭です。」
「ん゛!?」
予想外の答えに困惑する俺を他所に、籠崎さんは颯爽と車を降りる支度を終えると、ドアの隙間から傘を差し…するりとその体を抜け出させていた。
「ふふっ。では、失礼します。……。良いお誕生日をお迎えください。(バタンッ)」
「(えぇー…。)」
嘲笑とも捉えられるような微笑みと、俺を祝う言葉を言い残して行った籠崎さんは、直ぐに店の脇に入り込み…そのまま街灯の薄い裏道の中へと駆け足で消え去ってしまった。
-(答えを聞いたところで全然煮え切らないんだけど…。その『大好きな…』って…、一体どっちに掛かってる言葉なんだ…?)-
『大好きな推し…の彼女』『大好きな…推しの彼女』
俺は二つの意味の狭間に立たされ…、謎に翻弄されたまま…一人車の中で頭を抱えていた。
-(……。…ん?スマホが鳴ってる。いつからだろう…。)-
雨音が弱まり、一人で悶々としていたせいか…、バイブ設定にしていたスマホの鳴る音が微かにだが聞こえて来た。バッグに入れたままにしていたスマホに手を伸ばし画面を見ると、そこには寧勇の名前が表示されていた
「はいはいっ…、ごめん、スマホ鳴ってるの気づかなかった。」
「別に緊急ではないから大丈夫よ。それよりも…、ちゃんと燐を送り届けてくれた?」
「うん、丁度送り終えたところ。寧勇に言われてた通り…、バレッタは直接髪に飾ってあげたよ。」
「ふふっ…、推しに結ってもらった髪の毛を、燐が早々解くはずないだろうっていう私の思惑は上手くハマったみたいね。単純な手渡しだと、燐が遠慮して受け取らない可能性があったから…、上手く受け取ってもらうにはそうするのが一番じゃないかって思ったの。」
「あざといなぁ、人の心理を読んだ上でプレゼントするなんて…。本当に寧勇は籠崎さんのことが大好きなんだね。」
「そうよ。だからこそ私の為に危険な目にも合って欲しくないし、自分のことも大事にしてもらいたいの。壬を呼び立ててしまったのは申し訳ないと思っているけど、壬だって『大好き』とは言えずとも…燐には健全健康で居て欲しいでしょ?」
「えっ…、あぁ…。そうだね。」
誘導…とまでは言えないものの、恋人から【他の女性】を思う気持ちを問われた俺は、若干気まずさを感じてしまった。咄嗟に発した声は上ずってしまった気もするが、電話の向こうに居る寧勇がそれを指摘することはなかった。それでも俺は何となく今の空気が気まずく感じてしまい…、話を逸らそうと別の話題を持ちかける準備を始めていた。
「ところで…、髪型については相変わらず教えてくれる気はないの?『髪を切った』って報告だけじゃ何の想像もつけられないんですけど…?」
「ええ、教えちゃったら新鮮なリアクションが貰えないじゃない。それはとてもつまらないわ。明日会えたときのお楽しみとして、とっておいてもらえると助かるわ。」
「『明日』…か。……。ねぇ明日って…--」
「…うん?」
「あっ、いや…。そっちは明日の方が雨強いみたいだから、外出するときはちゃんと気を付けて行動してね。」
「ええ、心配してくれてありがとう。壬も…、明日こちらへ来るときは十分気を付けてね。」
「うん…。それじゃ俺は今から運転して帰るから、次の連絡は明日の朝にするよ。」
「分かったわ。私も急な移動で少し疲れたから、今日はもう休むわ。明日…、連絡を待っているわね。」
「うん。それじゃ…、おやすみ。」
「おやすみなさい。」
通話を終えたあと…、俺は自分自身の行動に疑問を抱いてしまった。
-(どうして俺は…寧勇に本当の誕生日を教えることを怖がっているんだろう…。これからも同じ日々を共有するつもりなら、絶対に伝えないといけないはずなのに…。)-
リスナーだけではなく…自分の中でも『誕生日は十月十四日』だと刷り込んでおきたかった俺は、恋人である寧勇に対しても偽りの誕生日を伝えてしまっていた。なので当然、寧勇から明日の誕生日を祝うような言葉は得られないのだが、それが『欲しいか』と問われると…何故か躊躇してしまう自分が居た。
-(さっき籠崎さんが言っていたようなことなのかもしれないな…。自分が望んでいるような未来とは別の…、気鬱な未来を見てしまっているのかもしれない…。)-
叶わないことに嘆くなら…、初めから望まなければ良い…。
俺にとってそれが『寧勇に誕生日を来年以降も祝ってもらうこと』なのかもしれない。