オスマンサスの花言葉 Action 15ー6
ナビに導かれた車は難なく【くつぬき】へと辿り着くことが出来た。望月さんは私が指示した通りそこから車をもう少しだけ走らせて、屋根の付いたバス停に横づけする形で車を停車させた。
「では、忘れ物を回収したら直ぐに戻って来るので、望月さんはこのまま待機をお願いします。」
私は車から降りる直前にそう言い残し、速やかに自分の身をバス停の屋根下へと移動させた。乗り物が好きじゃないと言っている割に望月さんの運転技術は中々高く、車道と歩道の段差ギリギリまで車を寄せてくれていた。そのお蔭で私は車内を濡らさずに済み、気負うことなくその場を後にすることが出来た。
私は屋根の下で悠々と傘をさし、沓抜さん家に向かって歩き出した。距離にして50m程離れてしまったが、望月さんの姿を隠す為にもこの距離は適切だと思えた。車を運転してくれている人が私にとっての【想い人】であるということは、二人も勘づいているだろうし…私も隠すつもりもなかったが、その正体を明かすというのは私だけで片付く問題ではなかったので、今しばらく隠し続ける所存だった。
私は街灯の照らす道端を歩き続け、無事沓抜家の玄関前に到着した。しかしそこでシュールな光景を目の当たりにしまった私は、思わずその足を止めてしまっていた。
「なっ…!?」
『何だこれ』と言葉に出してしまいそうだった私は、咄嗟に呼吸を止めて言葉を飲んだ。見たところ、玄関に備え付けてあるU字ロックをつっかえさせる形でドアが半開きになっている…ということは分かるのだが、その半開きになったドアの隙間から…何故か藍原さんの頭部だけが抜け出してしまっていた。その状態に私が驚き佇んでいると、見つめていたその玄関のドアがゆっくりと開いていき、中に居た氷華が私の目の前に姿を現してくれた。
「あ、やっぱり!藍原さんが尻尾をフリフリしてたから、リンリンの姿が見えたんだろうなーって思ったんだー。」
「え…、まさかその為に藍原さんの首だけ外に出してたの?」
「ううん。私がここに居たら藍原さんがやって来たから、逃げないようにリードを繋いで外の空気を吸わせてただけだよ。」
「(フンスッ)」
見ると確かに藍原さんにはリードが繋がれていたが、そのリードは垂れている状態で、まったくもって『逃げる』という意思は感じられなかった。
「藍原さん、お出迎えしてくれてありがとうございます。感謝の気持ちとして撫でまわしてあげたいところなんですが…、わたくし只今人様の車に乗せてもらっている身なので、その毛を付着させる訳にはいかないのですよ…。」
「(クーン…)」
私が丁寧に謝罪すると、藍原さんは理解したかのように可愛い鳴き声を発し、トコトコと氷華の足元へと移動してしまった。
「車って…例の想い人?」
「うん…。私が寧勇に『忘れ物回収しに行く』って伝えたら、心配した寧勇がその人に連絡をしてくれたんだ。」
「そっか。最近はそっちの話を聞いてなかったから、どうなってるんだろうとは思ってたけど…、心配なさそうだね。」
「うん。とりあえずは…ね。」
心配は無い…、それを肯定してはみたものの、今のこの状況を作り上げたのは間違いなく寧勇だった。寧勇が居なければ何も行動出来ない私は、この先望月さんと向き合い続けることが出来るのか…。そんな先走りの不安が、私を弱気にさせていた。
「…まったく、寧勇には頭が上がらないよ。自分からは何も行動を起こせないから、寧勇に頼ってばっかりで…、自分の遂行力の無さが嫌になるよ。」
「ん、何言ってるの?遂行力なら十分にあるでしょ。」
「…え?」
少々項垂れていた私に、氷華は迷いなくそんな言葉を突きつけた。氷華は玄関脇にあった小さなショップバッグを私に差し出すと、優しいため息を漏らしながら私の顔を見つめていた。
「こんな風に…、誰かの為に行動出来るリンリンを、私は素直に素敵だと思うよ。困っている状況を見過ごせなかったり、必要な力を貸してあげたり、リンリンは十分に遂行力は持ってるんだから、あとは見え方次第なんじゃない?」
「見え方?」
「多分なんだけどさ、リンリンはその【想い人】のことを『完璧』だと思い込んでるんじゃない?だから自分はその人に何もしてあげられないし、してはいけないと思ってる。」
「……!」
氷華から渡されたショップバッグの中には、寧勇の忘れ物である黒いポーチとバレッタが入っていた。『これがないと寧勇が困るだろう』と思った私は、直ぐに行動に移すことが出来た。それが出来たのは、きっと私が寧勇のことを『完璧ではない』と知っていたからなのだろう。
-(完璧であれば、私が要る必要なんてない…。確かにその通りだ。)-
「リンリンはその想い人の為に、何か余計なお世話をしたいと思ったことはある?」
「今は…、無い。氷華の言う通り、私はその人のこと完璧だと思ってるから、私なんかの行動は無意味どころか迷惑になるんじゃないかと思ってる。だけど…、昔は違ったんだ。困っているその人が見過ごせなくて、つい助けてしまう場面もあったりして…、それで私も助けられて…。」
「それで好きになった…と。」
「うん…。多分、そういうことなんだと思う。」
私が力なく頷くと、氷華は『うーん…』という声を洩らしながら目線を上に泳がせ…何か考えるような素振りをしていた。それは思考を練っているという様子ではなく、単純に二択の選択で迷っている…くらいの様子に見えた。
-(…?)-
そんな状況に私が首を傾げた直後、氷華はグッと私に身を寄せたかと思うと…そのまま私の顔を覗き込んで来た。
「私からリンリンにお願いがあるんだけどさ…。好きになったからと言って、その人を完璧だなんて思わないで欲しいんだ。好きな人が出来たら、どうしてもその人に対して夢見がちになってしまうでしょ?その結果…、その人の欠点を見ようとしなくなる…。欠点が無いから完璧という訳じゃなくて…、欠点を見ようとしないから完璧に見えてしまうんだよ。」
そう言っている氷華の顔は、経験した本人にしか浮かべられないであろう苦々しい表情を浮かべていた。
「氷華には…、そういう経験があるの?」
「ある…。と言っても逆の立場だけどね。勝手に好きになられて…、勝手に幻想を抱かれて…、勝手に幻滅された。だから私は自分のことを好きになる人を絶対に好きになれないし…、軽蔑しか出来ない…。『どうせ私の良いと思った部分しか見えていない状態でを好きになっただけなんだろう』って怒りすら湧いてくる始末…。思考回路が終わってるだよ。」
氷華のその開き直ったかのような笑い顔は、いつもの無表情よりよっぽど苦しそうだった。氷華が自身に興味を持つ男性に対して『軽蔑』や『怒り』を感じていたのは知っていたが、その仕組みを知れば知る程、救いのない負の連鎖に居た堪れない気持ちに陥りそうだった。
そんな氷華からの『お願い』を、私はないがしろにする訳にはいかなかった。氷華の言葉は、私と逆の立場から言っているものだったので、直接背中を押すことが目的の言葉ではないと私は感じていた。
「つまり…、さっきのは氷華からの『お願い』っていうよりも『警告』ってことになるのかな?」
「そうだね。逆の立場だからこそ言える…私からの警告。完璧な人なんて絶対にいない。どれだけ世間から評価された人間であっても、必ず欠点であったり…脆い部分は存在するはず。リンリンは過去にその想い人の"欠けている部分"を補おうとして、行動することが出来てたんでしょ?」
「うん…。」
「だったら、今のリンリンにも出来るはずだよ。想い人とちゃんと向き合って、その人が【完璧な存在】ではないと気付ければ…、ネーサや私達にしてくれているように、思いを行動に移せるはず。私はそう思うよ。」
氷華にそう言われ、私はあの逃げ出したライブの日のことを思い出した。
-(そうだ…。あの日私は望月さんのことを『完璧な人』だと思ったから、関わることを止めようとしていたんだった…。『この人の為に出来ることなんて何もない』…と、私が眩し過ぎる光を避けようとしたせいで、陰に隠れた部分からも目を逸らしてしまっていたんだ…。)-
「……ありがとう氷華。私、今待ってくれているその人と正面から…、いや…、色んな角度から向き合ってみようと思う。時間が経ったせいで、お互いの立場が変わって見えなくなってしまっていた部分が多くなってしまったけど…、寧勇のお蔭で『知る機会』を得たんだから、私はこの機会に幻想ではない彼を知らないといけないんだと思う。」
私はその瞬間思ったことを、そのまま口に出して氷華に伝えた。『完璧な人などいない』…、冷静に考えれば分かりそうなものなのに、望月さんを【違う世界の住人】だと捉えてしまっていた私は、その考えに至ることが出来ていなかった。
-(幻想は解かなければ…。)-
その思いを伝えると、氷華はさっきまでの無理をした笑顔ではなく…、いつもの無表情に近い方の笑顔で深く頷いてくれた。
「そうだね…、そうしてあげて。でもそれは相手にも言えることだから、燐はそのことも忘れないでね。」
「うん、分かった。」
そう言って私も頷き返し、さっき手渡された紙袋を胸元に当てるようにして抱きかかえた。
「車待たせてるし、私もう行くね。忘れ物、わざわざ袋に入れてくれてありがとう。」
「それは楼羅のやったことだよ。また明日にでも楼羅に一言言ってあげて。」
「そうだね。また明日色々話そう。」
私は氷華と藍原さんに手を振り…沓抜家を後にした私は、ありのままの望月さんと対峙すべく、バス停へ向かって傘をさし歩き始めた。