流れゆく怯懦気のライラ Action 14ー13
「……。ずっと気になってたんだけど、あの子どうして【藍原さん】って名前なの?一般的には愛称と言うか…、可愛いらしい名前をつけるのが王道じゃない?」
私がメイクに勤しんでいると、ふと寧勇がそんな質問を氷華にしてみせた。その純粋無垢な質問内容を聞いて、私は自分の感覚が多少狂っていることを自覚した。
-(言われてみればペットに対して【藍原さん】って変わった名前なのかも…?ネット活動者の変わったハンドルネームを知り過ぎたせいで、あまり違和感を持ってなかった…。)-
「動物だからと言って蔑ろな扱いをしてしまわないように、『家族それぞれの【尊敬する人】の名前を一文字ずつあげよう』ってなったんだよ。それでお父さんが『あ』、楼羅が『い』、私が『は』でお母さんが『ら』をあげたって訳。」
「へぇー。私も初めて聞いた…。氷華の『は』は【ハカセ】さんだよね?」
「そうだよ。」
「となると…、楼羅の『い』って何?」
「……。何だったかな?」
「「え?」」
楼羅のことでありながらど忘れをかます氷華に、私と寧勇は率直に驚いてしまった。
「いやぁ…、楼羅の趣味って『広く浅く』って感じだから、名前を付けた当時…どのジャンルにハマってたか思い出せないんだよね。元はゲーム趣味から始まって、システムや音響に興味を持って、色んなものをパソコンで自作し始めて、参考動画を見てるうちに色んなジャンルに興味を持って…って感じだから、尊敬の範囲が広すぎて絞り込めないんだよ…。」
「確かに…。楼羅って出会ったときから多趣味だったわ。」
-(そのお蔭でヲタク系の趣味にも理解があったんだった。)-
「あっ、少し思い出した。確かその人ちゃんとした名前じゃなくてハンドルネームだったと思う。」
「ハンドルネームってことは、インターネット上で活動してる人ってことだよね?」
「そうそう。当時そのジャンルで人気のあった……、そうだっ、料理の人!」
-(『インターネット』『ハンドルネーム』『人気』…。つまりSNSのフォロワーの多い…名前が『い』で始まる料理系の活動者…。……。まさか…ね。)-
私は言葉にするかどうか悩んだかが、ここまで来ると答えが出るのは時間の問題だと思い、その名を口にすることにした。
「もしかして…、【無花果】さんって人じゃない?」
「あ、それだ!」
答えが分かった瞬間…、私は態度には出さなかったものの、頭を抱えるレベルで困惑してしまった。
-(マジかぁ…。よりによってその名前を選ぶとは…、何たる業っ!)-
楼羅は単純に料理スキルを評価した上で、その名前を尊敬という舞台に上げてしまったのかもしれないが、正体を知っている私からすれば、その人は楼羅の後輩でもあり…、寧勇にとっての身内のような存在だった。
「そっかぁ、イチジクさんかぁ…。確かに…あの料理スキルは尊敬に値するかもしれない。」
「リンリンもイチジクさん知ってたんだね?」
「(経緯はどうあれ)知ってるよ。」
-(何ならプライベート垢も知ってるよ。)-
望月さんの妹である未笈ちゃんは、用途別に二つのアカウントを使い分けていた。私はどちらかというとプライベート用アカウントである【無花果】さんを頻繁に閲覧していたのだが、情報厨の私は当然…料理系アカウントの【イチジク】さんも確認していた。興味の程はプライベート垢までは届いていなかったが、それでも人気なだけあって、披露している小技などはどれも実用性の高いものばかりだと関心していた。
-(寧勇も無花果さんが未笈ちゃんだってこは分かってるはず…。一体どう思ってるんだろう…。)-
何気ない質問から始まったこの仕舞いに、寧勇はどう反応するのか…。
気になった私は、そっと寧勇の様子を窺った。
「(……!?)」
私が見た寧勇のその顔は、まるで『感情が出るまであと一歩』と言ったような、無とも有とも言えない表情をしていた。下唇を噛むには不安が足りず…、だけど力を抜くには安心が足りない…、そんな絶妙な面持ちに見えた。
-(今の表情といい、さっきの都合の悪そうな言葉といい…、何があったかは分からないけど今日はそういう日ってことなのかなぁ…。)-
これ以上この話題で盛り上がるべきではないと判断した私は、強引にでも場の空気を換えようと、手元にあったメイクポーチを漁りながら二人に話しかけた。
「ねぇ、もう少しでメイク終わりそうだから、よかったら二人で先にキッチンへ行って朝ご飯の準備始めててくれないかな?雨が降ってるし、出来るだけ早めに家を出ておきたいでしょ?」
「あー…、それもそうだね。のんびりしてるとコーヒー飲む時間もなくなっちゃうかもしれないし…。リンリンの言う通り、私は先に行って準備してようかな。ネーサはどうする?」
「私も手伝うわ。燐のメイクが終わり次第、皆でご飯を食べれるようにしておきましょう。」
「うん、任せた。」
私はキッチンへ向かうべく立ち上がった二人に対し、軽く手を振りながらその姿を見送った。
-(…参ったなぁ…。寧勇が何を考えているのか全然読めない。)-
私は一人残った部屋の中で、昨日今日の寧勇の挙動を思い出していた。いつもであれば思ったことを直ぐに言葉に出して伝えてくれるはずの寧勇が、人様の家ということもあってか…一人で悶々と考え込んでいるように思えて仕方なかった。
『楼羅が寧勇に対し酷いことをしてしまった』という可能性はほとんど無いと思っているのだが、それでも寧勇にとって言いづらい事柄が何かしらあるのだろう…と、私は心の端に留めておくことにした。
-(昨日の夜だって『本当の自分を知ってもらうんだ』って前向きに事を見据えてたし、きっとネガティブなことではないんだろうけど…、一応気にすることだけはしておこう。)-
私は手早くメイクを済ませ、二人の待つキッチンへ速やかに合流した。楼羅はまだ散歩から帰ってきている様子はなく、部屋の中は二人の笑い声とテレビの音が響き渡っていた。テーブルに用意されていたオムレツが三つしかなかったことから、楼羅は『自分のことを待たなくていい』と伝えているつもりだったのだろう。それを察した私達は、まだ帰ってこない楼羅を心配しながらも、先に食事を済ませることにした。
「やっぱりフェスのギリギリまで天気は悪そうだね…。」
テーブル席に着席に、ニュースを見ながら食事をとっていた私達は、テレビから流れてくる週間の天気予報に気を取られていた。映像では線状降水帯が明日の夕方まで停滞し続けるだろうという予測がされていて、見事に私達の住処とフェス会場までが雨雲で繋がれている状態になっていた。
氷華はテレビの予報を見ながら心配そうに呟いていたいたが、それを聞いた寧勇は窓から見える本物の雨粒を見つめながら悩まし気な表情を浮かべていた。
「そうね。今も全然止む気配がないし…、心配よね。」
「……。寧勇、今日は体のメンテナンスなんでしょ?ってことは移動は明日ってことだよね?」
「そうよ。体をほぐしたり…、スキンケアしてもらったり…、出来れば今日のうちに髪の毛も切っておきたいとは思っているのだけれど、もしかしたらそれは移動後になるかもしれないわね。この天気ですもの…、明日移動したところで屋外に出られないのなら、屋内でやれることを持ち越した方が効率が良さそうだわ。」
「移動先で髪を切るの?」
「そっちの方が気が引き締まりそうじゃない?後には引けない緊張感と言うか、『ここで決める』っていう私なりの決意の表れにしたいの。」
「つまり【今のネーサ】は、今ここで見納めになっちゃうんだね…。」
「言われてみれば、そうなるわね。」
「…皆で写真でも撮っとく?」
「いいね。楼羅が戻ってきたら…--。」
氷華がそう言いかけたとき、丁度玄関の開く音が聞こえて来た。その瞬間…、私と氷華は同じことを考えていたのか、スマホを持ってすぐさま玄関に居る楼羅の元へ駆け寄って行った。
「楼羅ぁー。その場でステイ!」
「え、何!?」
玄関に行くと、そこに居た楼羅は藍原さんからレインコートを脱がせている最中だった。駆け寄って来た私達に対し、藍原さんは尻尾を振って喜んでいたが、楼羅は当然のことながら困惑している様子だった。
「皆で写真撮るから、藍原さんその場で持ち上げといて。」
「え、何で急に写真?」
「今のネーサは今日で見納めになるんだって。だから写真撮っておこう。」
「はぁ…、君らはコリもせず俺の知らない所で話を進めるなぁー…。」
そんな感じで楼羅がため息をついていると、そこに遅れてやって来た寧勇が呆れたように私達を笑っていた。
「急に部屋を出て行ったかと思えば…、一体何をしているの?」
「え?ネーサ見納め記念の写真を撮ろうかと…。」
「もぉー…、わざわざ食事中に急いですることでもないでしょうに…。」
「こういうのは思い立った瞬間にやらないと、私達忘れちゃうだよ。」(※昨日の件を根に持つ私)
「ホントそれ。あと楼羅を逃がす訳にはいかない。」
「別に逃げないよ…。」
楼羅を包囲し…急かすように撮影空間を作り上げる私達を見て、寧勇は申し訳なさそうな表情を楼羅に向けた。
「ごめんなさい。時間は取らせないから、今ここで写真を撮ってもいいかしら?写真さえ取れれば二人は満足してくれるはずだから…ね。」
「うん…、別に構わないけど…。」
その不本意そうな寧勇の誘い方に、氷華は迷わず食って掛かった。
「えー?ネーサ自身は写真欲しくないの?」
「……。ふふっ、ごめんなさい。実は私もちゃんと欲しいと思っているわ。」
「(ふふーん)だよね。」
氷華は分かっていたと言わんばかりに誇り顔を見せていた。
「じゃ、私がインカメで写真撮るね。楼羅はそのまま後ろで藍原さん抱えてて。私は右端に立ってないとシャッター切れないから…、あとは氷華が左端で寧勇が真ん中かな?」
「私が真ん中なの?」
「当然でしょ?ネーサの見納め記念だもん、端で見切れさせる訳にはいかないよ。」
「すまないけどシャッター早めに頼む…。藍原さんが暴れそう。」
「はいはーい…、じゃあ撮るよ。3・2・1…(パシャ)。」
私達は何一つ格好つけることなく、日常的な姿のままで写真を撮影した。
映えを意識することなく…、単に思い出として残しておきたかったその光景は、以外でもあり貴重でもある『二枚目の集合写真』となった。