流れゆく怯懦気のライラ Action 14ー4
バイトが終わり身支度を終えた私は、一息つく間も無く近くのコンビニに向かって一目散に歩き出した。と言うのも…、つい先程スマホを確認した際に、楼羅が予定よりも二十分以上早くこちらへ来ていることを知ったからだった。届いていたのはメッセージは⦅バ先の対面にあるコンビニで待ってる⦆という単調なものだったが、早い到着に焦った私は呑気にシャワーを浴びていたことを後悔しつつ、足早に店を後にした次第だった。
-(別に混むような道でもないし…、そんなに早く来る必要は無かったと思うんだけどなぁ…。)-
急ぎ足でコンビニに到着すると、その駐車場の端にとても馴染みのある車が停められていた。正面から中を覗くと、助手席にはコンビニの袋が…、運転席にはスマホの画面に夢中になっている楼羅の姿があった。
「(トントンッ)」
私は運転席側の窓を数回ノックし、コンビニに到着したことを楼羅にアピールした。楼羅は操作していたスマホを助手席に置くと、半分ほど窓を開けてその隙間から声を掛けて来た。
「お疲れ様。思ったよりも早かったね。」
「いやいや…、それはこっちの台詞よ。二十分も早く来る必要は無かったでしょうに…。」
「あー、うん。これには色々と事情が…。」
「事情?」
「まぁとりあえず車乗りなよ。事情については運転しながら話すから。」
「あ、私の分の飲み物…、買って行った方がいいよね?」
そう言いながら私はコンビニを指差したのだが、楼羅は直ぐに顔の前で手を仰がせた。
「いや、何も買う必要はないと思うよ。水やお茶ならウチに常備してるのがあるし、お酒やジュースは俺と寧勇が持ち寄った分だけで余る程あるから。」
「え…、どれだけ買ったの?」
「それは見てのお楽しみってことで。あ、食べ物もいっぱいあるから心配しなくていいよ。」
「『いっぱい』って…、逆の心配事が発生してない?」
「まぁ反省点を上げるとしたら、寧勇ともっと連携をとっておけば良かったな…ってことだよね…。」
「あー、なるほど…。何となく事情は察した。そういうことなら私は潔く車に乗ることにするよ。」
「それでいいよ。何かあれば後からでもコンビニは行けるから、そのときは俺がちゃんと付き合うよ。」
「あざす。」
そう言って私はいつも通り後部座席に乗り込み、氷華と寧勇が待っているであろう沓抜家へ向かうことにした。その道中に何か不思議な感覚に襲われていたのだが、それに気が付いたのはしばらく車を走らせた後だった。
「今更気づいたんだけど…、何で今日はラジオが流れてるの?」
「ん?親が運転したあとだから、設定がそのときのままになってるだけだよ。たまには良いかと思ってそのままにしてたんだけど…、やっぱり音楽の方がいい?」
「ううん、このままでいいよ。これはこれで面白いし…。…それで、さっき言ってた事情って何?」
「あー…、早く来た理由か。まぁ…あれだよ。ちょっと居づらくなったというか…、場を弁えたというか…。」
「何か気まずい雰囲気にでもなったの?」
「…二人が一緒に風呂入り始めた。」
「ははっ…、それは確かに居づらいかもね。でもそれならご両親と一緒に居たりすれば良かったんじゃない?」
「ウチの親なら『自分達が居たら気を遣うでしょ?』って言って、店閉めたあとに仮眠室付きのスパ施設に遊びに行ったよ。一応『そこまでする必要はないよ』って言ったんだけど、『温泉入りたいのは本当だから良いんだ』って言って、一泊する気満々で荷物をまとめてたよ。」
-(流石楼羅のご両親…。気の遣い方がレベチだ。)-
「なるほどね…。それで私の迎えに格好つけて家を出て来た…と。」
「そういうこと。いくら氷華が居るとは言えど…、女性が風呂に入ってる最中に、俺一人だけが家の中で待機してる絵面は体裁が悪過ぎる。」
「相変わらず紳士だねぇ。でもあんまり逃げてると、それこそ寧勇が気にしてあまり遊びに来なくなるかもよ。」
「二人が風呂に行く前に、ちゃんと『燐を迎えに行く』ってことは伝えてあるから、理屈としては大丈夫だとは思うけど…。」
「(気遣いの言い回しが得意なところは、ご両親譲り…か。)」
「…ん、何か言った?」
「ううん、何でもない。」
楼羅の運転する車が大通りに出てからは、私は話しかけることを控え、車内で流れているラジオに耳を傾けるようにしていた。普段聞いているようなネットラジオとは違い、大衆向けに放送されているFMラジオは私にとっては逆に新鮮なものだった。ネット発信の音楽はあまり流れることがなく、聞く人全てに『懐かしい』と言わせるような音楽ばかりが流れていたが、これはこれでノスタルジーな気分に浸れて十分面白かった。
-(あ…、いいこと思いついた。)-
「楼羅、帰り道なんだけど…、少しだけ迂回しない?」
「迂回?」
「そう。久しぶりに高校の前を通ってみたいなぁーっと思って。ダメかな?」
「…良いよ。」
ノスタルジーな気分に引っ張られた私は、つい楼羅にそんなお願いをしてしまった。急なお願いだったのにも関わらず、楼羅は嫌な顔一つせずに進行方向を調整し、車を私達の母校へと向かわせてくれた。
ものの数分で到着したその道は、今まさに金木犀の香りで溢れかえる季節を迎えていた。高校の校舎が見えた瞬間に、私は楼羅の許可も取らずに車の窓を開け、その香りを確かめようと…顔全体で隙間風を受け止めていた。
「あー…、この柑橘系の香り、懐かしいな。」
「言われてみれば、俺もこの生の香りは久々かも。オイルや香水に似たような香りはあるけど、やっぱり本物の香りは別だな。言い方は悪くなるけど、ずっとここに居たら頭痛が起きそうなほど強烈な香りだよね。」
「確かに。当時は勝手に慣れてた気がするけど、今だとちょっときついかもね。決して嫌いじゃないんだけど…、今の私達には刺激が強いのかも。」
「じゃあ、停車まではしなくてもいい?」
「うん、通り過ぎてくれるだけで大丈夫。ごめんね、わざわざ迂回してくれたのに…。」
「良いよ。何て言うか…、こういうのは稀に通り過ぎるくらいが丁度良い感じがする。」
「そうだね。我儘聞いてくれてありがとう…。」
「どういたしまして。」
私は車の窓を閉め、余韻のような香りと微かに蘇る思い出をつまみに金木犀を楽しんだ。楼羅の言う通り、生の香りは少々強烈だったが、残り香くらいであれば…食欲が湧いてくるような気分の良さを感じることが出来た。
車内に残る『柑橘系の香り』と『今から向かう先』、さらにそこへ恥ずかしながらも『食欲』を掛け合わせてしまった私は、ふとした衝動に駆られてしまい、思わず楼羅に私欲全開の質問を投げかけてしまった。
「……。ねぇ、ダメ元で聞いてみるけど…、今日柑橘系のお酒って用意があったりする?」
「ふっ…、もしかして、金木犀の香りにあてられた?」
「安易過ぎるけど、どうやらそうっぽい。」
私の思考をいとも簡単に読み取った楼羅は、鼻で笑いはしたものの…私を罵ることは言わなかった。まるで『私がそう言うだろう』とを分かっていたかのように、楼羅は余裕の表情で私の質問に反応してくれた。
「寧勇が持ってきてくれたお酒が、確か『梅酒』と『柚子酒』のセットだったはずだよ。御丁寧に氷と炭酸も用意してくれてたみたいだから、薄めれば燐でも飲めるとは思うけど…。」
「まじかっ。まさか本当にあるとは…。」
「まじだよ。柚子酒だったらお湯割りにハチミツとか入れてもいけそうだな…。寝る前とかに飲んだらいい感じに眠りにつけそう。」
「あ、それ良いなぁ。私も眠る前にそれ飲みたい。」
「燐が潰れてさえいなければ、寝る前にちゃんと作ってあげるよ。」
「やった。」
私の反応に、楼羅はまたしても鼻で笑うような仕草を見せた。
「でも潰れてたら、翌朝の『ゆずしょうが茶』で我慢してね。」
「大丈夫、今日の目標は『楼羅より先に寝ないこと』だから、意地でもお湯割りにはありつかせてもらう。」
「『先に寝ない』って…、もしかして俺って信用されてない?」
「まさか…、むしろ逆だよ。楼羅には私達の引率とか介抱とかを気にしない状態で、好きなだけお酒を楽しんでもらいたいなって思ってたんだよ。だから私が『先に寝ない』って言ったのは、『楼羅が寝るまでは晩酌に付き合いたいな』っていう願望の言い換えみたいなものだから、あまり気を悪くしないで。」
「そういうことか…。その気持ちは嬉しいけど、無理だけは絶対しないでよ?何度も言うようだけど、明日普通に学校の授業もあるんだから。」
「うん、分かってるよ。」
そう答えると、楼羅はそれ以上懸念の言葉を呟くことはなかった。先程のような『気遣いの言い回し』ではなく…、純粋な楼羅の『本心』を聞きたいという願望は未だに持ち合わせていたが、そこに無理矢理という枕詞を入れるつもりはなかった。
あわよくば…、私が願望を抱くときに使う枕詞は、大体これしか使われることがなかった。