糊浮きの冊子 Action 13ー8
「そう言えば、燐は今氷華と一緒に居るのよね?もしかして葉加瀬さんのポップアップストアに行った帰りなのかしら?」
電話の向こうにいる寧勇は、まだ春一さんから私達の話を聞いていないようだった。恐らく私達の習性やハカセさんのスケジュールを知った上でそう予想したのだろうが、見事に当たっていたので少しドキっとした。
「そう、正解。」
「やっぱり行ってたのね。私も氷華を誘って行きたいと思っていたのに…、色々と忙しくて忘れてたのよ。」
「え、寧勇も行きたかったの!?」
「私がポップアップストアに興味を持つのってそんなに驚くことなのかしら?さっきもつ……、あ、いえ、今のはナシ。」
-(【壬】って言おうとしてたな…。氷華が隣に居るし…、今のは聞かなかったことにしよう。)-
「別に驚いてる訳じゃなくて、単純に『誘えば良かった』って思っただけだよ。寧勇、来週のフェスまでは忙しいって言ってたし、マンションの件もあったから私が勝手に無理だと思ってたんだよねぇ…。」
「まぁ確かに忙しくはあるんだけど…、私も『あわよくば』とは思っていたのよ。でも燐が氷華と一緒に楽しんでくれたならそれで良いわ。私はあとから二人の話が聞ければそれで満足よ。」
「そんなんで良いの?」
「ええ、私はグッズやお店に対するユーザーの意見や需要が知りたかったの。そういうのってやっぱり【推してる人】からの目線が大事だと思うから、私なんかよりもよっぽど二人の意見が重要なのよ。」
-(つまり寧勇はグッズ展開に興味がある…と。それは朗報。)-
「着々と独り立ちの準備をしてるって感じだね。そういうことなら任せてよ。リスナーの需要に答えられるアーティストになれるよう、私達が全力でサポートするから。」
「それは随分と頼もしいわね。じゃあ一つだけ、今聞きたいことがあるんだけど…、氷華にも聞いてもらって良い?」
「あ、待って。それならスピーカーに切り替えるね。」
そう言って私は、今まで耳元に近づけていたスマホをテーブルの上に置いて、三人で会話が出来るように通話をハンズフリーに切り替えた。
「もしもーし、ネーサ聞こえる?」
「氷華?ええ、聞こえているわ。」
「それで、私達に聞きたいことって何?」
「その…、リスナーとしての意見が聞きたいのだけれど、葉加瀬さんの運営って何か特殊だと思わない?」
「「……?」」
私と氷華はスマホから聞こえて来たその質問に、お互い目を合わせ首を傾げた。
「…と、言うと?」
「名前の使い分けもそうだけど、あれだけ売れてるのに顔を隠してたり…。」
「(あなたもね。)」
「わざわざ客層を絞ってると言うか…、コアなリスナーとしか需要と供給が成り立ってない気がするのよね。同じアーティストとして、そのやり方がどうにも気になっちゃって…。」
寧勇が言っているのは、きっと今日行ったお店のようにリスナーの一部だけが優遇されてしまうサービスのことを言っているのだろう。私達が行ったポップアップストアは告知が急だったこともあり、近くに在住しているファンクラブの人達が優先的に行けるような仕組みになってしまっていた。それに不満を漏らす人達も確かにいたが、毎月お金を払っているファンがいる以上、そこに差を持たせるのは当然の配慮と私は思っていた。
「うーん…、それは別にハカセさんに限ったことではないと思うけどなぁ。有料のファンクラブなんていくらでもあるし…。」(※会員未加入の私)
「まぁ確かに、ハカセさんはちょっと特殊ではあるかも。ハカセラボ(※ファンクラブ)に入ってる人って、元々【コラボ相手のリスナー】って人が多くて、葉加瀬さん個人から興味を持って入る人ってそんなにいないんだよね。【リスナー】は沢山いるけど【ラボ会員】がそこまで多くない理由は、あらゆるアーティストとコラボしてるから知名度は高いけど、そのファンが乗り換えない限り固定ファンには出来ないってところなんだと思うよ。だからこそ、その数少ない固定ファンを大事にして優遇してくれてるんじゃないのかな?」(※優良会員の氷華)
「そう…なのかしら。私にはどうにもリスナーが篩に掛けられてる気がしてならないのよねぇ…。ファンクラブ制度を批判するつもりは無いのだけれど、歌を披露する身としては聞いてもらうことが大前提なのだから、聞ける人を限定してしまうっていうのは何か違和感を感じてしまうの。」
-(聞ける人を限定…?ハカセラボってそういう特典があるのかなぁ…。)-
会員制度に理解はあれど、私はどちらかと言えば寧勇の意見に賛成気味だった。『篩に掛ける』という表現も分からなくはなかったし、良いと思う曲は多くの人に聞いてもらいたいと私も思っていた。
そんな非会員に挟まれる中、ハカセラボの一員である氷華は、やはり私達とは違う意見を持っているようだった。氷華は寧勇の意見を聞いて少しだけ考える様子を見せたが、直ぐにファンクラブ在り方について語り出した。
「リスナーの差別化する理由はアーティストによって様々だから、違和感を感じるのは仕方ないんじゃないかな。でもさ…、好きな人からの愛に答えるように、自分の歌を愛してくれてる人にだけ特別な歌を聞かせてあげたいって思うのは割と普通のことじゃない?ネーサだって、自分の歌をバカにするような人に愛情込めて歌ってあげることなんて出来ないでしょ?それを避ける手段がファンクラブを作ることだと思えば、少しは理解出来るんじゃない?」
「うーん…。そう言われると分からなくもないわね。」
「私も納得したー。ファンクラブなんて一般リスナーにマウントを取る為の道具かと思ってたから、今のを聞いてちょっと反省した…。」
「こらこら…、私に刺さってるから。」
氷華はそう言いながら、自らの肘を私の脇腹辺りにグリグリと抑えつけてきた。そのダメージによって私が『ヒィヒィ』と言った感じの奇声を上げていると、電話の向こうに居る寧勇が事態を把握出来ず、ずっと『え?』という声を連発させていた。流石にこれ以上寧勇を困惑させてはマズいと思ったのか、氷華はその行為を止めるとスマホに向かって『何でもないよ』と言い、床に倒れ込んだ私を面白そうに見下ろしていた。
「楽しそうで良いわね。私も混ざりたかったわ。」
「あっ、そうだ。ネーサを海に連れて行く計画…、段々と固まってきてるから楽しみにしておいてね。」
「本当に!?」
「うん。寧勇の仕事が一段落したら、皆で小旅行とかどう?時期的に海だけでは一日を楽しめないだろうから、他の観光スポットとか巡りながら色々満喫出来たらいいんじゃないかと思ってるんだけど…。」
「良い!凄く楽しそう。」
若干の疎外感を感じていたのであろう寧勇は、海の話を聞いた途端、直ぐに口調が明るくなった。元は『寧勇にコグリスの花を見せてあげたい』という目的のはずだったが、寧勇は単に海に行くというだけでも十分喜んでくれていた。海を巡っているうちに『記憶の花』について何か思い出せるかもしれないという氷華の構想もあったとは思う。だけどそれを抜きにしても、この旅の計画は私達に有意義をもたらしてくれる気がしてならなかった。
「じゃあ寧勇は、その小旅行に清々しい気持ちで行けるように来週のフェス頑張らないとね。」
「そうね。自分から『見守って欲しい』って言ってチケットを渡したのだから、恥ずかしい所は見せられないもの。」
「ところで…、寧勇はさっき送ったメッセージを見て電話してくれたんだよね?」
「そうよ。」
「じゃあその返事は?」
「……。ん?」
「リンリン、これは…。」
「うむ…。これは『内容を全部読む前に電話してきた』と見た。」
「……ごめんなさい。」
電話を掛けてきたときの口調でも察してはいたが、やはり寧勇はメッセージを見て衝動的に動いてしまっていたようだ。それだけ重要な情報を寧勇が保持していることは分かったが、詮索はしないように心がけた。
だけど、この何気ない会話の中で、寧勇が何についての情報で慌ててしまっているのかはおおよそ見当がついてしまった。口止めされた寧勇は上手く隠しているつもりなのかもしれないが、その片鱗はこの電話中…ずっと出てしまっていた。『しょうがないな』と思いながら、私は一応気づいていないフリをして、寧勇の面目を潰さないように心がけた。