糊浮きの冊子 Action 13ー6
楼羅に心配を掛けたくないという思いが、本人にとっては悲しいものだと知った私達は、今日あった出来事を素直に話してみることにした。声かけ事案があったものの、ちゃんと警戒していたことを伝えると、楼羅は私達の落ち度を責めるようなことは言わなかった。楼羅は『それは運が悪かったね』と言い、私の改札ミスも不注意として叱ることは無かった。
「俺の忠告はちゃんと聞いてくれてたんだし、叱る訳にはいかないでしょ。それにずっと氷華を庇ってくれてたみたいだし、感謝はすれども怒りなんてする訳ないよ。」
「あー…、うん。でも少しくらい叱ってくれた方が、私的にはスッキリするかも…。」
「…マゾなの?」
「違うわっ!」
そんな感じで私はペースを乱され、楼羅から反省する時間も与えてもらえなかった。
「『塞翁が馬』ってやつかな?良いことのあとには悪いことが…、悪いことのあとには良いことが起こる一日だったよ。リンリンの顔見知りがあの場を通ってくれるなんて、もの凄く低い確率だったと思うし…。」
「確かに。燐の知り合いが近くを通りがかってくれたのは幸運だったんだろうな。氷華は…、ちゃんとお礼言った?」
「言ったよ。私、助けてくれた人にまで塩対応するほど礼儀知らずじゃないよ?」
「まぁそれも燐の知り合いだったからでしょ…。知らない他人に助けられてたら、多分どさくさに紛れて逃げてたと思うけど…?」
「ま、そうだね。(あっさり)」
氷華はいとも簡単にその事実を認めていたが、恐らく【私の知り合い】という言葉だけでは氷華は警戒を解かなかっただろう。事実の裏には【氷華の保護者】という言葉が隠れていたのだが、私はそれを楼羅に伝えることが出来ずにいた。
「あのさ…、その助けてくれた人、もう少しすれば楼羅も知り合うことになると思うから、そのときにまた紹介するね。」
「どういうこと?」
「その人、寧勇が新しく拠点にしようとしているマンションの所有者なんだよ。マンションの一階に住みながら管理もしてるみたいだったし、自ずと顔は合わせることになるんじゃないかな。」
そう言いながら、私は小さなテーブル隠れて、氷華の脚の上にそっと手を置いていた。楼羅から見えないように置いていたその手は、氷華に抑止を訴える為のものだった。私がまだ言い出していない【保護者】と言う言葉を、うっかり氷華が言ってしまわないよう…そうするのが賢明だと思えた。
氷華は私が【保護者】という言葉を使わないことに疑問を抱いていただろうが、私の手の動きでそれが意図して言っていないということを察してくれたようだった。氷華は疑問を口にすることなく、黙って私の話を聞いてくれてくれた。
「あれ…、新しい拠点準備出来てたの?」
「うん、この間下見をしてきたんだけど、中々良い部屋だったよ。防音室完備のマンションだったから、あとは機材を用意すればいつでも稼働は出来るんじゃないかな。」
「それは良かった。」
ほっとしたのも束の間…、楼羅は時計を確認するとベッドから立ち上がり、部屋を出て行く素振りを見せ始めた。
「じゃあ、俺はそろそろ店に戻るね。話し込むのは良いけど…、来週の交通手段もちゃんと考えといてよ。もし俺の運転で行くことになりそうなら、周囲の駐車場とか…その辺も調べといてくれると助かる。」
「「はーい。」」
「あー、あと。今日も帰りが遅くなるようだったら、燐は俺が送ってあげるから無理して一人で帰らないこと。昼間のことがあったあとだと、流石に夜道に一人きりは堪えるでしょ?」
-(気になる女性が出来たとしても、このスパダリ具合は変わらない…か。だったら、私が気を遣うのも『違う』ってことなんだろうなぁ…。)-
「別にそこまで心配しなくても大丈夫だよ。…でも、折角楼羅が送ってくれるって言ってくれてる訳だし、今日は素直に甘えとこうかな。」
「素直で宜しい。じゃあ、また後で。」
そう言うと、楼羅は部屋を出て、ちゃんとドアを閉めてからこの場を去って行った。足音が遠くなったのを確認すると、氷華は先程私が添えていた手をツンツンと突くようにして、私に質問をしてきた。
「ねぇ、どうして昼間助けてくれたのがネーサのお父さんだって言わなかったの?マンションのオーナーなんていう回りくどい説明より、そっちの方が分かりやすいはずでしょ?」
-(『お父さん』…か。やっぱりそうなるよね…。)-
「その…、正直言って上手く楼羅に説明出来る自信が無いがないと言うか…、言葉に責任が持てないんだよね。」
「どういうこと?」
「私も春一さんと出会ったのはつい最近のことだったからさ…、あまり知りもしない二人の関係を、私が説明するのはお門違いなんじゃないかなーっと思って。出来ることなら春一さんのことは寧勇本人から説明してもらって、誤解のない関係を知ってもらいたい。」
「何か複雑なの?」
「うん…。私には知らないことが多すぎるみたい。そんな私が中途半端に首を突っ込んでしまったら…、場を乱すだけで何も解決しないでしょ?だから曖昧な情報で混乱させない為にも、私は何も言わない方が良いんだと思う。このことを知った楼羅にあとから問われたとしても、今と同じように言い訳するしかないんじゃないかな。」
氷華の疑問は当然のことだった。春一さんは自分を【寧勇の保護者】だと名乗ったのだから、隠すようなことではないはずだった。だけど氷華が『お父さん』という表現を使っているように、【保護者】という言葉だけでは説明が足りず、勘違いをしてしまう可能性が十分にありえた。それを補足するような出過ぎた真似は私には出来ないので、この場は口をつむぐ他、やり過ごす方法が思いつかなかった。
「そういうことなら、私も聞かないし言わないでおくね。ネーサとの関係を抜きにして考えても、私達を助けてくれたってことには変わりないし、困らせるようなことにはしたくないから。」
「うん、ありがとう。申し訳ないけど、あとは寧勇がどう紹介してくれるかを待つしかないと思う。もしかしたら、春一さんが今日私達に出会ったことを伝える為に寧勇に連絡を入れてるかもしれないし、そうなったら紹介してもらえるのも遠くない日になるかもしれないね。」
「…お礼の品、準備した方がいいかな?」
「流石にそれは畏まり過ぎじゃないかなぁ…。春一さんも『気にしないで』って言ってたし、改めてお礼の気持ちを伝えるだけでも十分だと思うよ。」
-(それにしても…、氷華の中で春一さんは随分と好印象になってるなぁ…。そんなに楼羅と似てるかな?)-
氷華が楼羅以外の男性に対して自ら構いに行く姿勢を見せたことで、私は改めて春一さんの人柄を考えさせられた。私も人柄を分析出来ほど春一さんと話した訳ではないので、『人との接し方』以外で楼羅と似ている箇所を見つけるのは中々に難しかった。氷華曰く『雰囲気が似てる』らしいが、春一さんの生きる糧である【親】としての側面が私には見えてしまっていたので、氷華と同じような目線で比較することは出来なかった。