糊浮きの冊子 Action 13ー4
氷華は話に出ていたスケブを本棚から取り出すと、中身を確認することなく…そのまま私にそれを差し出してくれた。表紙をめくり中を確認すると、どうやら始まりは二年前の夏コミらしく、そこから一ページごとに氷華がフォローしている同人作家さん達の絵が描かれていた。私は太腿の上に藍川さんを乗せたままの姿勢で、そのスケブを一枚ずつめくって見ていた。
-(氷華って男性から話しかけられるのは嫌ってるけど、自分から話しかけるのは頑張れば出来るんだよなぁ。好意にしろ興味にしろ…、とにかく『受け身が嫌』ってことなのかもなぁ。)-
「これって、自分が【百合作家】ってことは隠してスケブ頼んでるの?」
「それは当然。あくまでも【ただのフォロワー】としてサークルは回るようにしてる。身バレなんてしたらおっかないもん。」
「そりゃそうか…。自分のスペースに⦅本人は不在です⦆って毎回書くくらい身バレ防止は徹底してるもんね。百合系を描いていると、どうしたって見てくれる人は男性が多くなるだろうし、気づかれると厄介事に成りかねない…か。」
私は同人イベント時の光景を思い出しながら、氷華の危惧していることを想像した。自分が同人本の作者であることがバレれば、フォロワーから絡まれることは必須…。相手が女性であれば、氷華は素直に喜んでいただろうが…、残念ながら氷華の同人活動用アカウントのフォロワーはほとんどが男性だった。
「そういうこと。毎回売り子をさせてしまう二人には申し訳ないけど、このやり方でしか需要と供給が賄えないんだよね。」
「私は売り子させて貰えてありがたいと思ってるよ?サークルチケットのお蔭で楽々入場出来るし、接客も⦅売り子⦆って名札をちらつかせておけばそれなりの対応で良いし、意外と楽だったりするもん。」
「え、そうなの?」
同人活動当初から氷華は自分で接客をしたことがないので、自分についているフォロワーの民度を知らなかったらしい。氷華は私の話を聞くと、さも意外そうに目を丸くして驚いていた。
「うん、そうだよ。それに…どんな形であれ、氷華の作品を見てもらえるっていうのは友達冥利に尽きるって言うか…、誇らしい気持ちになれるから嬉しいんだよね。それで私が店番をしている間に、氷華も他のサークルを楽しめてるなら万事OK。このスケブが『氷華がイベントを楽しめている証拠』であれば、それで問題ないよ。」
「ふふっ…、ありがとう。リンリンが友達でいてくれて本当に良かった。」
「大袈裟だなぁー。私なんて楼羅に比べれば大したことないでしょ?」
「そんなことないよ。今日の昼間のアレだって、私を庇おうと必死に盾になってくれてたんでしょ?凄くカッコよかった。」
「ヨ…、ヨセヤイッ。」
程度の低い百合営業(?)を見せつけたせいか、文字通り犬も食わないといった表情で、藍原さんは私達からそっぽを向いてしまった。藍原さんは私の足元から離れると、先程スケブを取り出した本棚に向かって行き、なにやらガサゴソという音を立てながら物色を始めていた。
「ん、藍原さん!?何してんの?」
物音に気付いた氷華が慌てて本棚の方を見ると、スケブを取り出したときにはみ出してしまったしまったのであろう一枚の紙が、藍原さんの口元に咥えられていた。氷華は『あ゛っ』っと言う声を上げると直ぐに藍原さんを抱きかかえて、私に助けを求めて来た。
「リンリンごめん。ちょっとこの紙、藍原さんから奪ってくれない?出来るだけ紙を破らないようにお願い。」
「あ…、うん。」
私は立ち上がり、氷華によって完全ホールドされている藍原さんの様子を窺った。藍原さんはスケブの一部と思われる二つ折りの紙を咥えていて、特に悪びれた様子もなくこちらをじっと見つめていた。
「藍原さん、それ咥えてると顔料とかでお腹壊すかもしれないから、離した方が良いと思うよ?」
「え…、言葉で説得するスタイル?」
「だって『破らないように』って言うから、力ずくはダメなのかと思って…。」
そう言いながら紙に手を伸ばすと、藍原さんはまるで笑うかのように口を開け、よだれ付きの紙を私の手の上に落としてくれた。
「あ、お腹壊すの嫌だったみたいだね。」
「マジか。」
私の説得が通じたことで驚いている氷華に対し、抱きかかえられている藍原さんは主人に抱えられご満悦そうにしっぽを振り続けていた。
-(藍原さん…、まさかカマチョですか?)-
藍原さんはそっと床に降ろされると、悪戯に満足したのか…そのまま開いているドアの隙間から出て行ってしまった。
「藍原さんは何がしたかったんだろう…。」
「主人に構って欲しかったんじゃない?それで紙を咥えてみたけど、顔料の味が不快だったから直ぐに離した…とか?」
「いや、これは確か私の落書きだから、色味は使ってないはずなんだけど…。」
氷華は私が手に持っていた紙を引き取ると、少しシワになってしまったその紙を広げて見せた。
「これは?」
「私がイベント会場のトイレで出会ったコスプレイヤーの覚え描き。トイレから戻って直ぐにスケブに殴り描いたものだったから、人に見られるのが恥ずかしくてページから破いてたやつだね。」
紙を覗き込むと、そこには黒ペン一つだけで女性のコスプレ衣装が描かれていた。首から上の描写は無く、本来色があったと思われる部分には文字でその色が当てられていた。氷華曰く『殴り描きの絵』ということもあり、見たところでリアルなイメージは掴みづらかったたが、それがコスプレ衣装であるということは間違いなさそうだった。
「何で絵なの?イベント会場ならスマホで撮れば良かったのに。」
「言ったでしょ『トイレで出会った』って。トイレの中で盗撮してたら人として終わってしまうよ…。」
「そりゃそうか…。…で、何でこの絵を残したの?」
「何か気になるコスプレだったんだよねぇ…。見覚えというか既視感というか…、多分歌系で活動してる人の自作キャラだと思うんだけど、それが分からなかったから後で調べようと思って残してたんだ。」
「歌系…?」
そう言われ、改めてその絵を眺めてみたが、何故これが歌系のキャラクターなのかが私には分からなかった。異国のドレスコードと言えばいいのだろうか…、和洋折衷とも言い難いその衣装は、どこかの国の民族衣装のように私には見えていた。パンツスタイルながらも腰元はパレオのような布で隠されていて、上半身も露出が少ない中でボディラインを美しく見せるような工夫がされているように見えた。
「何でこれが歌系の活動者コスだって分かるの?」
「ん?だってこれ、M3のイベント会場で見た人だもん。多分コスプレした売り子だったんだと思うよ。」
「M3…って、音系の同人即売会のアレ?」
「そだよ。確かリンリンからお使いを頼まれたときのあのM3だったと思う。」
その言葉で、私は氷華が何のイベントに参加していたのをようやく把握することが出来た。それは人混みが苦手な私でも一瞬参加するかを迷った、推しが間接的に参加しているイベントだった。
「あー、ハカセさんと真千さんが合同でスペース出してたときかぁ。」
「そうそう。あのときは一般入場しか出来なかったから、リンリンは人酔いを鑑みて諦めたんだよねぇ。」
そのとき開催されたM3は、ハカセさんと真千さんが参加した最後の同人イベントだった。『スペースで本人達が売り子をすることはない』と明言されていたのにも関わらず、多くのリスナーが殺到することが開催前から予見されていた。私も興味はあったが、何時間も人混みに耐える体力も気力も持ち合わせていなかった為、結局は諦めることを選んでしまったイベントだった。
「そんなこともあったねぇ…。そのときのコスプレってことは、確かに音楽系活動者のイメージキャラクターの可能性が高いね。」
「でしょ?既視感があったってことは、やっぱりVTuberとかだったのかなぁ…。結局髪型が分からなくて、探そうにも探せなかったんだよね。」
「そう言えば、何でこの絵…首より上の模写が無いの?コスプレと言えば癖のある髪型のはずでは?」
「それが…、その人トイレの鏡を使って髪の毛を整えてる最中だったからさ、髪型までは分からなかったんだよねぇ…。酷くボサボサだったから、多分ウィッグを外した後の頭だったんじゃないかな?」
「あーね、そういうことか…。それは仕方ないね。」
ウィッグをつけたことは私にもあったので、その光景は容易に想像出来た。その人の髪質にもよるだろうが、きっと氷華が見かけたその人は、蒸れた湿気で髪がうねってしまった後だったのだろう。
-(人の印象は髪型で決まると言われているくらいだから、きっと氷華はそのボサボサ頭の女性の顔までは覚えてはいないんだろうな…。)-
「ねぇ、このイラスト写真撮ってもいい?このコスプレが何の衣装なのか凄く気になるから、私の方でもちょっと調べてみたいんだけど…。」
「いいよぉ。もし何か分かったら私にも教えてね。」
「オッケイ。」
氷華の許可を貰い、私はそのイラストをスマホの写真に収めた。