リップシンクの瑣末な身上 Action 10ー9
「まぁそんな感じで、僕の大切な人たちは、全員いなくなってしまった訳なんだけど…。」
「え…、ちょっと待ってください。今の話って、そんな簡単に聞き流して良いものなんですか!?」
「(うん、うん。)」
こちらの沈み切った感情を放置し、春一さんは淡々と話を進めようとしていた。盛り上がるべき話題でないことは確かだが、あっさり聞き流せるほど私達は薄情ではなかった。
「いやぁ…、事故の詳細については寧勇さんの戸籍には関係のない話だから、とりあえず『そういうことがあったんだ』位で留めておいて貰えれば良いよ。今話すべきは、僕が『何を経て何を選択したのか』ってことだから。」
「選択…ですか?」
「そう。想像出来る展開だとは思うけど、事故直後の僕は相当病んでしまっていて、色んな事が手につかなくなっていた。自分の仕事もそうだけど、両親が残した不動産の管理もどうすればいいのか分からず、頭を抱える…なんてことすら出来ていなかった。家業は兄が継ぐものとばかり思っていたから、そこに関しては完全に追い打ち状態だった。」
-(成程…。このマンションも両親が残してくれたものってことか…。)-
「僕のことを心配して、様々な知人が僕の元を訪れてくれたけど…、中には金儲けの為に僕と接触してくる人達もいた。利用されそうになったことから自暴自棄になって、自分一人で解決しようと足掻いてみたこともあった。だけど『負の感情』真っただ中の僕が、物事を上手く回せる訳もなくて、事態は悪い方に転がり続けていた…。そんなとき、君のお兄さんである勇編に出会ったんだ。信頼出来る友人を介して知り合ったんだけど、勇編は初対面の僕に、いきなり風変わりな提案をしてきたんだ。『あなたの仕事を担わせてもらいたい。その見返りとして、俺の妹をあなたの【養子】として迎え入れてくれないだろうか?』って。」
「それをあっさり受け入れたんですか?」
「僕だって、最初は当然『何言ってるんだろう』と思ったよ。でも、ちゃんと話をしてみると、勇編は信頼出来そうだし、仕事にしろプライベートにしろ…、お互いにとって悪い話じゃないと思ったんだ。」
-(プライベート…?)-
「例えば?」
「そうだな…、仕事の面で言うと、土地や建物を所有している僕にとって【後継者】がいないというのは割と怖いことだったんだ…。あ、【養子】として迎え入れたからと言って、君に『不動産経営を引き継いで欲しい』と思っている訳じゃないよ。僕の身に何かあったとして、見ず知らずの人に『権利』や『所有物』が渡ってしまうくらいなら、自分で選んだ相手に財産は残したいと思っただけだ。もしそんなときが来たら、売るも譲るも君の好きにしてもらって良い。僕の代わりにとなって、完璧に不動産の管理をしてくれた勇編の妹であれば、後継者として不適ではないと思っただけだ。」
今の話を聞いただけでは、勇編さんの策に乗せられているという可能性が拭いきれない。私は勇編さんがどういう人なのかを知らないので、容易に悪い想像も出来てしまう…。寧勇が毛嫌いしているせいか、私は勇編さんにあまり良い印象を抱けていなかった。
寧勇の感情に染まってしまった私がそう思うのだから、オリジナルも当然『疑い』の心を持っていた。寧勇は真剣な顔つきを見せ、ここぞとばかりに話の穴を突いた。
「それは【養子】取らなくても解決出来たはずです。然るべき処理を行っておけば、家族じゃなくても後継者は選べたんじゃないですか?わざわざ顔も身元も分からない人間を、家族として扱う義理は春一さんには無かったはずです。」
-(それは私も同意見。他人を警戒していた人が、わざわざ偽装込みの養子縁組なんて選択するかな…?。)-
「義理…という言い方はしたくないけど、少なくとも僕は君のお兄さんには感謝しているよ。長い時間を掛けて、僕を立ち直らせてくれたのは勇編だった。その勇編に言われたんだ。『君は守るべき人間を持つべきだ』って。」
「……。」
「『守るべき人間が居ないと、人は弱くなる…、自分勝手になる…、怠慢になる…。今の君のように。』それを言われた瞬間、本当に胸を刺された気分だった。何も言い返せないのが悔しくて、正直泣いてしまった。大切な人を失ったばかりで傷心している僕に、勇編は容赦なく正論をぶつけて来たんだ。」
「(そんなこと…、一体どの口が言えるのよ…。)」
「…寧勇?」
とても小さかったが、寧勇の呟いている声が、隣に居る私には聞こえていた。そっと寧勇の表情を窺うと、視線を下げ…無理矢理感情を殺すかのように、力の入った無表情を貫いていた。
「とはいえ、直ぐに【守るべき人間】なんて作ることは出来ない。僕みたいに失ったばかりだと…、特にね。だから僕は強制的に形から入ることにしたんだ。」
「それが…、養子を取ることだったんですか?」
「そう。顔も分からない【養子】であろうと、僕に家族がいると思うだけで、どうでもいいと思っていた自分の人生…、『蔑ろに出来ない』って思えたんだ。一種のおまじないみたいなものなんだろうけど、仮にも【親】を名乗れるのなら『子にとって恥ずかしくない親でありたい』と思って努力することが出来た。君にとっては『知ったことか』と思うかもしれないけど、僕にとっては人間を楽しむことを忘れない為の重要なファクターだったんだ。」
そこまで言い終えると、春一さんはお茶を一口飲んで一息入れた。寧勇を養子として迎え入れるまでの経緯に、そんな深い事情があるとは思ってなかった。勇編さんの介入が計算なのか偶然なのかは分からないが、少なくとも春一さんを『騙している』ということはなさそうだったので、とりあえず安心した。
「…と、まぁここまで聞いてもらえば分かると思うけど、要するに…、君を利用していたのは僕の方だったてことだ。君は僕が利用されていると思っていたかもしれないけど…、そんなことはない。僕は自分の意思で、君の居場所を作っておきたかったんだ。」
どこか不自然な感じのする〆の言葉に、寧勇は直ぐに反応を示した。寧勇は無理矢理固まらせていた表情を緩やかに解くと、春一さんを見つめて小さく頬を緩ませた。
「そんな風に…押し切ろうとしなくていいんですよ。無理矢理自分を【不敬な人間】ということにしないでください。春一さんは私に好感を持たれてしまわないように、ワザとそんな言い方をしているんでしょ?少し反感を持つくらいの距離感がお互いの為になる…、そう思ったんじゃないですか?」
「さぁー、何のことかな?」
-(分かりやすい図星の表現だ…。)-
寧勇に真意を当てられてしまったのであろう春一さんは、観念したように笑みを浮かべていた。
「まぁバレてるみたいだし…、一応言っておくと、僕は君の仕事やプライベートに干渉するつもりはない。いい歳こいたおじさんが付き纏っていたら、年頃の女性としては迷惑でしょ。強いて言えば【人生の相談役】…とか、その位のポジションに置いてもらえれば、おじさんとしては嬉しいよ。」
「あんまり『おじさん』『おじさん』言っていると、本当におじさんみたいになってしまいますよ。折角見た目も若くてイケメンなんですから、もっとヤングよりに生きましょうよ。」
-(寧勇…、おじさん言葉、移ってない?)-
「…ね、燐。そう思わない?」
-(おっと、急にキャッチボールの球がエグイ変化球に変わってコチラに飛んで来た…。)-
「…そうですね。春一さんを玄関で見たとき、普通に三十代かと思ってました。」
「嬉しいけど…、流石にそれは言い過ぎかなぁ。五十歳も見えてきたし、恋も青春もとっくにリタイアしてしまったよ。」
「恋…、諦めたんですか?」
「うーん…。それなりに人との交流もあったけど、僕はどうやったって彼女を忘れられないらしい…。四十という歳にして、ようやく結婚したいと思えた唯一無二の存在だったからかな…、居ないと分かっていても、彼女を想うことを止められないんだ。重いと思われるかもしれないけど…、僕はこの気持ちを忘れたくない。」
春一さんのその思いに、私は心の中で重なるものを感じていた。それは、似て非なる感情かもしれないが、春一さん在り方を肯定するには十分な、『素材』と『経験』を持ち合わせていた。
「…良いんじゃないですか?相手のことを想うだけで、自分自信が幸せに思えるのなら…、それも一つの完結した愛の形だと思います。この世界に生きていようがいまいが、想うことだけは自由なはずです。【想う相手】に出会えたこと…、それだけでも十分幸せなことだと私は思います。」
「…そうだね、僕もそう思うよ。でも君の場合はまだ若いんだから、もっと欲張った考えでも良いと思うけどなぁ。想うだけで満足するなんて勿体ないよ。」
「フフッ…、全く同じ指摘を知人にもされました。」
「そいつは良かった。『おじさんの意見』ってだけだと、中々参考にしてもらえないからね。僕の同志がいるようで何よりだ。」
「…そうですね。私は良い人達に巡り合えてるみたいです。」
寧勇のキラーパスから生まれた春一さんとの会話は、思いの他上手く出来ていた。人見知りやコミュ症を意識することも無く、自然と言葉が出て来ていた。
-(これもあれも…、寧勇から得た『恩恵』ってことかな…?)-