エルフの子、おっさんに乗っ取られる
転!
俺は満身創痍の『彼』へ、必死で己の全てを注ぎ込んだ。
治れ、治れ、治れ!
そのせいかはわからん。だが、他人事のように見て感じてきた『彼』の苦しみが、俺にダイレクトに伝わって来た。
もっとハッキリ言ったら痛い。とんでもなく痛い。肉体の感覚が徐々に俺へと馴染んでいく、俺と『彼』が重なる、奇妙な瞬間。画面越しに子供の視点で見ている立場から、その当事者へ。遂に、俺は『彼』との感覚を共有することができたんだ。
残念ながら最初の感想は感激ではなく苦痛。想像通り、想像以上に辛い。大人になってなかなか怪我をしなくなり、包丁でうっかり指を切った程度でも慌てていた俺が。そんなぬるま湯の中で過ごしてた俺に、ガツンと来る現実。悶絶。
……しんどい、しんどすぎる。
大人なのに情けないよネ。けどね、おじさんは腰痛ひとつとっても辛いのヨ。
だが幸いにも、体を動かす感覚を掴めば後は早かった。傷口を確かめる。すごい血だ。だが、傷は塞がっている。すごい。俺は自己治癒をやってのけたのだ。命を懸けた甲斐があるってもんだ。他の傷も見る。擦り傷、打ち身、捻挫。切実に温泉が欲しい。かわいそうに。見ていても辛かったが、今度は俺も辛い。治すべし、治すべし、治すべし!
肩口の怪我を治した時のように踏ん張らなくても、そこに集中するだけの時間と余裕があれば難なく治癒がこなせるとわかり、俺は本当の意味で歓喜した。これで『彼』を守ってやれる。
俺はこの肉体のか弱さ、儚さ、小ささを、初めて実感した。
「お、……ぉおおおおお!
ああああああああ、ああああああ!」
そして叫ぶ。思いの丈を込めて。
ヨッシャヨッシャヨッシャァアアアアア!!
怒りとか憎しみとか、悲しみや苦悩も、全てを空にぶちまけた。
「はあ、はあ」
つ、疲れる。肺が痛い。喉が枯れる。呼吸がつらい。こういうのはしばらくよそう。体力が無さすぎる。
その時、俺の背後から影が差して、ふと振り向く。まさかエルフのガキが生死を確認しに?
「フゴ、フゴッ」
「ブヒッ」
「プギィイイイ!」
豚だ。いやちがう。本国の豚は、こんなに醜くなかった。大学時代の友人がミニブタを飼い、その壮絶な飼育の記録を数年間見守った俺が言うんだから、間違いない。こいつはファンタジー生物でお馴染みの、オークという豚顔のモンスターだ!
この欲にまみれた顔……。こいつら、俺を食おうとしているのか?
鼻息荒く俺を囲み、ドツキあいながらなにやら言い争っている。誰の獲物か、誰が独占するか。そいつらの眼は、貪欲な捕食者のえげつない食欲にまみれていた。
冗談じゃない! 折角エルフの村から脱走できそうってときに、オークの餌になるなんてまっぴらごめんだ!
「あ、あー、てすてす、あー!」
よし、声は出るぞ! しゃべるぞ!
「エルフ、エルフ! もっと、いる! 村、ある! 村、村、村!!」
ジェスチャー、カタコト、ジェスチャー、カタコト。
「ピキュ?」
「ギュプギュピ!?」
「ピギャー、ブシュルル!」
……どうやらこいつら、エルフの言葉は話せないが、何を言われてるかだけはわかるらしい。日本人が英語は話せなくても単語はわかるってのと似たようなもんか? つっても豚、じゃなくてオークだ。不思議な生態だな、おい。
そしてオークは、俺担当を誰にするか的な言い争いを始め、ある程度話がついたようで、一体、一匹? 一頭? だけ残し、他所を探索していた大体五頭から十ニ頭(思ったより多いな!?)と合流してエルフの村へ上がっていった。とりあえず命拾いだ。エルフの連中、エルフだけあって狩猟の腕はなかなかだった。ある程度は持ちこたえるだろう。時間稼ぎには丁度いい。
居残りオークは、待てを命じられた飼い犬が如く落ち着きなく視線をさ迷わせている。堪え性の無さそうな面構えとは裏腹に、意外と我慢できている。もっと頑張ってくれればペットに見えなくもない。俺はそっと川原に転がる石を握った。目か鼻。最悪、耳だ。一時的に目を潰すか、平衡感覚を麻痺させて足止めする。
「ピギッ、ブフゥ!!」
「あ、やべ」
オークの忍耐力が、今、途切れた。これから攻撃しようとした直前に。
俺の思い切りの悪さが災いし、オークは勢いこんで俺の枯れ木のような腕を掴み、引っ張り上げた。目の前に牙が迫る。クッサい、汚い、怖い!
「だれか……!」
結局、俺は誰かに助けてもらわねば駄目なのだ。肉体を得ても、自由を得ても。情けなさよりも先に悔しさで目が滲んだ。
「ギュピィイイイイ!?」
食われる、と思った。だが身体が大きく揺れる。オークがバランスを崩した。
「チッ、糞オークめ!」
「子供だ、気を付けろ!」
男だ。男が二人現れた!
食欲に目が眩んだオークは背後からの攻撃に驚愕し、恐慌状態となって俺を手放した。そのまま続けて袈裟懸けに斬られ、最後に喉を剣先で突かれ悶え苦しんで息絶えた。血をぶちまけながら倒れるオーク。慣れたように剣の血を拭う男達。
俺は唐突に始まって唐突に終わったチャンバラを最前列で観覧し、驚きの余りチビった。嘘。マンガみたいにジョバジョバした。川の浅瀬に落とされて助かった。でなきゃ後に残る黒歴史として悶絶して果てるのは俺だった。
「無事か、ガキ?」
「あ、こいつエル……フ?」
そいつらは人間の男の二人連れだった。オークを剣で倒した男は、小学校高学年の子供が居てもおかしくないタフガイ。もう一人は脛に傷持ってそうなハードボイルド系の苦味走ったイケメン。俺を見て、不思議そうにしてやがる。
やはり、俺はエルフには見えないゴブリン面なのか……? 余り考えないようにしてたんだが、こいつらの反応を見るに、なかなか辛いもんがある。
「おまえ、一人か?」
タフガイが、俺の目線にできるだけ合わせようと屈み、優しく問いかけてくる。ああ、鼻が沁みる。畜生。ここにきて初めて、大人に優しくされた。