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黄昏姫と蛆の悪魔8

 アメリアが集会所へ戻って来ると、話題は全く反対のことへと移り変わっていた。奥には身を縮めて座っている女性の影がある。遅れて連れて来られたらしい彼女は、一同と揃いの無地の黒いワンピースを着て、手巾で目元を押さえていた。濡れたように光る黒い髪が腰まで垂れていて、彼女を陰気に見せた。村人たちの口ぶりでは、この哀れな女は村が一週間の喪に服した後すぐに式を挙げる段取りになっていた花嫁らしかった。

 アメリアは深く同情し、花嫁の手をとって慰めの言葉をかけるべき花婿の姿を探したが、少なくともこの家の中には見当たらなかった。

 アメリアの姿を見つけた女史が近づいてくる。アメリアもそちらへ行こうとした時、花嫁が勢いよく立ち上がった。


 「それでは間に合わないのです!」


 ヒステリックにそう言い放つと、花嫁は再び椅子に身を沈めた。それきり人形のように押し黙る。村人たちは声を潜めて何事かを早口に囁き合った。アメリアの肩に手が置かれる。女史はすこしやつれた顔をしていた。


 「お許しください、沢山待たせてしまいましたね」

 「決して、そんなことは。どうか私のことで心を痛めないでください、皆貴方を必要としています」

 「身に余ることです。けれど、彼女たちの件に関しては、主人を失って喪に服す私は一切関与できないのです」


 喜ばしいことですからね、と女史が浮かべた微笑みが消えないうちに、若い男が集会所に慌ただしく乱入してきた。

 亜麻色の髪を短く刈った男は、まっすぐに花嫁の前へ駆け寄った。彼が花婿に違いなかった。花婿の喪服は激しく動いた後のようにくたびれていた。

 花婿が強引に花嫁の手を掴んで立ち上がらせる。花嫁は弱弱しく抵抗したが、結局は従わざるを得なかった。花婿は花嫁の動揺を気に留めず、沈黙していた村長に威勢よく言った。


 「村長さま、わたしたちは列車に乗って街へ出ようと思います。どことは決めておりませんが、リンゼル市かメインバルト市か……どちらかになるでしょう、なるべく大きな街がいいのです、駆け落ちした男女が身を隠そうとするような、ごみごみとしていて、雑多な人間の掃き溜めなら……」

 「待って、私駆け落ちなんてしないって言ったじゃない、あの時、私ちゃんと嫌だってあなたに言ったのに、聞いてくれない、あなたは私のことなんてなんにも考えてくれない!」

 「僕は駆け落ちするとは言っていない、君の早とちりだ。考えてもみろよ、本当にするんならこんなふうに皆の前で喧伝するわけないじゃないか」


 花嫁は、花婿の言葉が全く理解できないといった様子で興奮に顔を赤くした。感情が昂ぶり、言いたいことが百あるうちの一つもまともに口に出せないらしかった。

 花婿は今の言い合いをまるきり無かったことにすると決めたらしく、けろりとしていた。村長に向かって続きを話そうと、視線を花嫁から逸らした途端、花嫁が繋いでいない方の手で花婿の顔をぶった。

 平手打ちの音は痛々しく室内に響き、ひそひそと話していた村人たちを沈黙させた。

 凍るような静寂を一番初めに破ったのは花婿だった。彼は慣れた様子で花嫁の腕を捻り上げると、痛みに喘ぐ彼女の口元を大きな手で塞いだ。花嫁が呼吸に苦しみだすと、大人しく話を聞いているんだ、と耳元で囁く。その声は聞き逃しそうなほどに小さかったが、集会所にはこのような事態に独特の奇妙な集中力が蔓延しており、この場所につめかけた皆の耳に届いた。

 花嫁は半狂乱になって、何度も何度も頷いた。

 花婿はそれで、と話を続けた。


 「街で行き場のない男女を祝福することに慣れた神父さまを探して、どうにか頼み込んで、しめやかな式を挙げます。神様にさえ認めて頂ければ、祝福された夫婦になれるでしょうから。そうして、すぐに帰ってきます。どうかこの勝手をお許しください」


 誰も何も言わなかった。皆の視線は自然と村長に集まった。村を取り仕切る老人は、重々しく頷いてから若い二人に問い返した。


 「よかろう、しかし、一週間待て。村全体で白樺の方の喪に服すと先ほど取り決めたばかりだ。お前たちは、何をそう焦っている。思いの通じ合った二人を引き裂こうとするような人間がこの村にいるものか」


 何人かの年かさの女性たちが、村長の言葉に反応して居心地悪そうに視線を交わし合った。その中には花嫁に似た顔立ちの婦人もいたが、表立って発言しようとする者はいなかった。

 花婿が、先程と変わらぬ口調で、もっともらしく言う。


 「それは無論、わたしの妻が不義を交わした女と後ろ指を指されることになってはいけないからです。式を急ぐ必要があります。悪魔祓いの方をお呼びして、新しい神父さまをお呼びして、教会を整えてからでは、遅すぎる」


 興奮と恐怖で紅潮していた花嫁の顔が、たちまち蒼褪めた。死に物狂いで暴れ、拘束から逃れると集会所を飛び出していく。花婿は顔をしかめて、少々席を外します、と言い残して花嫁の後を追った。

 アメリアはたった今目の前で繰り広げられた一幕をあっけにとられて見守っていた。退出する隙を見失っていた女史とアメリアがやっと気を取り直し、飛び出していった二人に続いて集会所を出ようとすると、村長に呼び止められる。


 「お待ちください、アメリアさま。恥を承知で申し上げますが、私は先ほどの嘆願を認めるつもりです。しかし……あれは村一番に弁の立つ男ですが、少々浅慮なきらいがあります。願わくば、貴女の街へ、貴女と共に連れて行ってやって頂けませんか。あの者らには貴女がこの村でのやるべきことを終えてお帰りになる時まで待たせます。どうか、お願いいたします」


 アメリアは咄嗟に女史に縋る視線を向けそうになって、きつく目を閉じた。逡巡するふりをして顔を伏せる。彼女はアメリアの祖母の使用人のようなものであった。アメリアに対して庇護の義務を負う人間はこの世に一人きりで、その人物は遠い街の書斎の中で、今も厳しい顔をしているに違いなかった。父がちらりと視線を寄こす。ええ、私はあなたの大切なお嬢様です、と心の中で呟き、微笑を浮かべて顔を上げる。


 「わかりました、あなたさまとこの村には祖母によくしてくださった御恩がありますから、どうかご安心ください。アメリア・シュティンフレアが、万事滞りなく事が済むようにいたしましょう」


 アメリアは繰り返し頭を下げる村長と握手を交わし、花婿たちに必要になるであろう資金等についていくらか助言してから集会所を退出した。

 白樺の館への帰り道、アメリアは恐れを含んだ眼で女史の面持ちを窺っていたが、女史は何も咎めるようなことは言わなかった。アメリアは怯えを隠そうといつもより女史の近くを歩いたが、あまり効力があるようには思われなかった。

 祖母を喪ったばかりの身で、結ばれようとする男女の世話を焼くことを父は何と思うだろうかと考えかけて、すぐに考えることを止める。全ては無為なことだった。アメリアは一月後に婚約披露を控えており、それを整えたのも此処へ出向くよう命じたのも、父よりほかにいなかった。




 「どうでしょう。ひょっとすると、メインバルト市でお手ずから本部に届けて頂いた方が良いような気がしてなりません。このような文書には、ええ、お恥ずかしい話ではありますが……わかりやすい符号がよく効きます。例えば、綺麗なお召し物をまとった、高貴なご令嬢といったものです。少なくとも、田舎から何日もかけて郵便袋の底にぎゅうぎゅうに押し込められてくたびれた紙を、日々の労働ですり減った薄汚い配達人が届けるよりも、ずっと」


 アメリアはそれを聞くと、ゆっくりと頷いた。


 「そのようにいたしましょう。助言に感謝します」

 「いえ、いえ、差し出がましいことでした。もう一通の方は如何なさいます」

 「実は、これは私の父への手紙なのです。少し悩んでいたのですが、やはり自分で渡そうかと」

 「お喜びになられるでしょう。それでは、よい旅を!さようなら、さようなら!」


 アメリアは感謝の言葉を重ね、貨物委託員の男に手を振った。男は列車の窓から顔を出したまま、手を振り返した。

 空を目いっぱいに黒煙が汚している。真っ黒な列車は猛獣のように熱い息を吐いて、不機嫌に唸りながら駅の中に寝そべっていた。せっせと餌を与える猛獣使いたちは、懸命に水や石炭を運び入れている。猛獣の機嫌はころころと変わるので、列車がいつ決められた場所に辿り着くものかは誰にもわからなかった。

 女史はアメリアが二通の手紙を持ったまま戻ってきたのに気づいて、旅行鞄の蓋を開いた。手紙を受け取り、鞄の中に大事にしまいながら、尋ねる。


 「よろしいのですか、アメリアお嬢様の御手を煩わせることになってしまいます」


 アメリアはなんと返事をしたものかと少し黙り込み、それから静かに首を振った。すると女史はやさしく笑ってくれたので、アメリアも微笑み返した。

 汽笛が甲高くいなないた。女史はアメリアを抱きしめた。あたたかい体は、薔薇の香りがした。アメリアはそっと促して離れると、背伸びして女史の頬にキスをした。女史は目を細めてアメリアの夕陽色の髪をしわがれた指で梳き、旅行鞄を持たせた。


 駅には村の人々が何人か並んでいた。彼らの後ろに、村長がねじくれた老木のように立っている。老人はアメリアでも列車でもなく、青い空に昇る黒い煙を、じっと熱心に見ていた。その隣には、村で知り合った少女たちが小さく手を振っていた。一番前では花嫁の母親らしき婦人が青い顔で列車の窓を見つめている。

 アメリアは列車に足をかけてから、数日滞在した村を振り返った。丘の上に建つ白い屋根の教会と、白樺林を抜けた先にあるはずの古びた屋敷。一面の白薔薇と、雨の檻。記憶の籠をくすぐる、小さな小屋。

 アメリアは神父のいない村に残していく人々の顔を順番に辿り、それから一息に列車に乗り込んだ。


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