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黄昏姫と蛆の悪魔7

 赤い足跡の男は、二人を案じつつも急ぎ足で村への道を下っていった。白く塗られた教会の中は、静まり返っていた。もっともそれ自体は特殊なことではなかった。村から少々離れた場所に建つ教会は、読み書きを習いに来る子どもたちが午後になって帰ってしまうと、物静かな神父が一人いるきりで静寂に満ちたものとなる。

 神父は話上手で話好きな人柄だったが、祈る際に見世物のように声を張ったりはしなかった。終始穏やかに紡がれる言葉は、村人の知らないことばかりだというのに、とても面白く、真に迫って聞こえると不思議がられていたのだった。そんな言葉たちも、永遠に失われた。館を訪れた男の言葉通りならば。


 教会に入った途端、異臭が鼻についた。アメリアは白樺の館を訪れて以来、薔薇の香りに悩まされてきたが、それとは一線を画するあからさまな悪臭だった。両開きの戸は開け放たれており、石材の曖昧なモザイクで飾られた床には、茶色っぽく汚れた足跡がまばらに残されていた。

 女史が迷いなく教会の中を歩き、地下へと繋がる階段へ向かう。女史はアメリアに、後ろからついてきて、先に自分が戸を開けて中を確認するまで地下堂には入らないように、と言い含めた。アメリアは従順に頷いた。


 未だ日は高かったが地下への道に陽光が差し込むことはない。女史が最下層に辿り着いた時、アメリアの前には戸の残骸と脚が転がっていた。

 その脚は見覚えのある服を身につけていた。先日神父が着ていた服とよく似ていて、ただべったりと黒ずんだ汚れが付着しているのが異様だった。右脚は裂けて本来の構造と反対に捻じ曲がっており、左脚は膝から下が無い。脚はかろうじて胴と繋がっていたが、腹部から上はこの部屋のどこかに散らばってしまったらしく、見当たらなかった。千切れた箇所をはじめとして、裂けた衣服の隙間から見える肌には白い薔薇の花弁が転々と乗っていた。

 アメリアはこのあたりでは遺体の上に花弁を添えるような風習があるのだろうかと疑問を浮かべつつ、神父の姿を求めて地下堂の中を更によく見回そうとした。


 「アメリア!すぐに屋敷へ戻りなさい!」


 女史の掲げる火が湿った床にぬらりと反射した。アメリアは女史の表情を見上げる暇もなく、走り出した。




 地を駆ける足取りは不思議と軽かった。何もかもに現実味がなく、心がふわふわと揺れた。

 見上げた空は青く晴れ渡っていた。心地の良い風がアメリアの夕陽色の髪を弄んだ。雨上がりの空は一際高く見えた。

 アメリアは昨日から今日いっぱいは雨だと言ったのは誰だったろうかと考えながら、走り続けた。こんなに走ったことがないだろうというくらい走っても、アメリアはちっとも苦しそうな顔を見せなかった。

 ずっとずっと走り続けて、屋敷の前に着いた時、アメリアは振り返って言った。


 「レオナルド?」


 少年は太陽を背にして立っていた。陽光を紡いだような短い金の髪が光を浴びて輝いていた。アメリアにおもむろに声をかけられ、レオナルドは少し間を置いてから肩をすくめてはぐらかした。アメリアはそれ以上追求せず、別のことを話し出した。


 「私、神父さまを殺してしまいました。あれはきっと私の殺人衝動のようなものでした、あの幻覚は美しく、香しく、おぞましい。ああ、どうしましょう。レオナルド、私、どうしたら?この身を裂いて神に賜った命を差し出さねばなりません、けれどどんな手段が許されているのか、私はあまりにものを知らないのです」

 「……神父さまというのは誰だ?」

 「神父さま……というのは、教会にいらっしゃって、私たちに神様のことを教えて下さる方のことを、指しますか?」

 「それだけじゃなんとも。ここら一帯でそういう人間が何人いるかわかったもんじゃない。だが、その、お前が殺したという……お前が殺す必要に迫られるほど邪悪な人間が神父として存在していたのか?そのような大罪人が、この緩慢ながらも穏やかな村に、本当に?にわかには信じがたい話だ。こんなことを言うべきではないだろうが……錯乱しているのでは」

 「そう……そうですね。けれど、確かに昨夜に、ええと、昨夜にお会いしました、神父さまが……訪ねて来てくださって……」


 アメリアはレオナルドの言葉はもっともだと思って、もっとよく考えようとした。しかし意識がそちらに向いた途端、体から力が抜ける。アメリアはその場に崩れ落ちた。

 レオナルドが苦い顔で隣に膝をつく。


 「無理な走り方をして体が驚いたんだろう」

 「どうして」


 アメリアはあてどなく視線を彷徨わせた。彼女の表情は自分がいつ走っただろうとでも言いたげに疑問で曇っていた。そのように振る舞う彼女は迷子の子供のようだった。


 「肩を貸すから……もう少し歩けそうか?」

 「ありがとう、レオナルド。ここで眠るわけにはいきませんから、力をお借りします」


 アメリアはそう言って笑った。




 葬列はひどく長いものとなった。アメリアは列の前の方で、ひたすら押し黙って歩き続けた。参列者はみな黒い服をまとい、顔を伏せて歩いていく。男衆に担がれた棺は白く滑らかで麗しかった。棺の上、ちょうど故人の顔があるはずの場所の真上に、薔薇を模した紙の花輪が乗せられていた。男たちはそれを落とさないように器用に棺を運んでいく。

 本来ならば列を指揮するはずの神父は不在だった。人々は羊飼いに見放された家畜のように、歩き続けた。棺を埋めるための場所は前もって神父によって決められていたが、そこへ至るまでの正しい道のりは誰にもわからなかった。死に限りなく近づく行為を正しい道を通らずに行うことは愚行だった。

 しかし、猶予は与えられていなかった。かつて美しかった肉塊は孫娘の到着を待ち、雨の上がるのを待った後だった。


 アメリアは白い棺の上に土が被せられていく様子に、じっと視線を注いだ。棺が目を離した瞬間に何か冒涜的なものへと変貌してしまうのではと、突飛な妄想に憑りつかれでもしたようだった。

 埋葬はつつがなく終わった。人々は別れを終えた。しかしもう一つの別れをどのように為すべきかという難題が彼らの心を重く蝕んでいた。

 アメリアは女史に連れられて、村の集会所にやってきた。他にも参列者の大半が詰めかけていた。女史の背中に隠されるようにして、アメリアはひっそりと村の討議の行く末を見守った。


 「教皇様に手紙をしたためて、人を寄こしてもらわねばなりません。あれは、悪魔の所業です。私たちの手には余ります。このような片田舎にまで魔の手が及ぼうとはついぞ考えたこともありませんでしたが、悪魔か、怨霊か、悪しき獣か、教会は汚されました。急ぎ悪魔祓いを要請し、次の神父さまをお呼びしなければ、この一帯が闇に呑まれてしまう……」


 女史が口を開くと、村人たちは口々に話し出した。


 「シレーヌさん、仰る通りかとは思いますが、まともに取り合って頂けるかどうか……無知な者たちが過剰に騒ぎ立てているだけだと断じられるのでは」

 「教皇様はそんなふうにお考えにはならんさ、けど、なにか証拠のようなものを用意して送る必要があるのかね」

 「それは、それは、神父さまを辱めるようなことになりはしませんか。ほら、その、お洋服の一部を送りつけたり、ということで?」

 「神父さまの名誉に叶うべきなのはもっともだが、それ以前にこういうのは見てもらうしかないさ、なにせあんなご遺体はまともな生き物の所業じゃねえや、布切れだけでそれが伝わるとも思えんぞ」

 「そういうのより、まず林をさらって犯人を捜すぞ、逃げられちまったらどうする」

 「話を聞いていなかったのか、あんな殺し方が人間にできるわけないだろ、それに、尊い方を手にかけるなど、どれだけの重罪か……」


 話し声が徐々に大きくなる。村長は目を閉じて沈黙していた。禿げた額には苦悩が刻まれ、手に持ったペンを机にしきりに打ちつけている。

 アメリアは村長と呼ばれる老人が、一瞬アメリアの方を、正確にはアメリアの前に立つ女史の方を縋るように見たと感じた。それに気づいているのかいないのか、女史は再び口を開いた。


 「私が書状を書きましょう。心もとなくはありますが、お嬢様と都の方に住んでいた時期もありますから、向こうに多少伝手があります。これは我々だけで対処できるような問題ではありません。謙虚に救いを求め、信じて待たねばなりません」


 その時、アメリアの服をちょいと引っ張る手があった。アメリアが驚いて振り返ると、くすんだ赤毛の少年がしかめ面で立っていた。右手でアメリアの喪服の袖を摘まみ、左手で裏口を指し示している。見ると、少年と似た顔立ちの赤毛の少女が手招きしている。

 アメリアは戸惑って何か言おうとしたが、被せるように少年が自分の唇に指を当てて静かにしろと促した。そうなるとアメリアは強く袖を引かれてバランスを崩しそうになりながらも、少年に従って裏口へ出ていくしかなくなってしまった。村人たちは話し合いに夢中で、アメリアのことを見ていなかった。女史は村長と机に書状を広げて話し込んでいた。


 外は晴天だった。白い肌にそばかすの散った赤毛の少女と、暗い茶髪を肩で切り揃えた青い目の少女が、気取った顔でアメリアを待ち構えていた。

 赤毛の少女が満足した猫のようにもったいぶった言い方で、少年に声をかける。


 「もういいわよルカ、ご苦労様」


 それを聞くと、アメリアをここまで引っ張ってきた少年は口も利かずにどこかへ去っていった。アメリアが思わず少年が去っていった方向を目で追うと、赤毛の少女は弟なのよ、とだけ言った。それで彼に対する説明は充分、ということらしかった。

 代わって茶髪の少女が前に出る。


 「初めまして、レディ・アメリア!私はリンネ。こちらは村長の姪孫のサラ。私たち、ずっとあなたとお話ししたいと思っておりました」


 リンネがそう言うと、サラが拙い仕草でスカートを摘まみ、お辞儀した。もう頭を上げてもいいだろうかと視線を上げてから、リンネも続いてお辞儀したのを見て慌ててもう一度頭を下げる。二人の少女が揃って顔を上げた時、リンネはおっとりと笑っていたが、サラは誇らしげに胸を張っていた。

 アメリアはサラが顔を輝かせて見つめてくるので物怖じしそうになったが、なんとか礼を返した。形ばかりのやりとりが交わされると、サラは嬉しそうに笑った。


 「あのね、お辞儀の練習たくさんしたのよ、リンネと……ううん教わったのは白樺の方とシレーヌさんと、それから神父さまだけど……ああでも、最近はずっとリンネと、ルカにも付き合わせたわ、だって、ああ、悲しいわ……ねえリンネ……」


 先程の上機嫌な様子が嘘のようにサラの笑顔は萎んでしまった。するとアメリアが戸惑う間もなく、リンネがサラを背中に隠してしまう。


 「ごめんなさい、泣き虫はしまってしまいましょう。私たちは白樺の方をちゃんと神様のところへ送りました、だからきっと悲しむことはないのよ、リリーったら聞いている?ええと、アメリア、そう呼んでもいいかしら?」

 「喜んで、リンネ、それにサラ。あなた方との出会いに感謝します」


 アメリアは形式ばった口調で述べた。アメリアが自分の名前を呼んだのを聞くと、おしゃべりなサラはリンネの背から顔を出した。


 「サウルがあなたの荷物を運んだ時の話を聞いて、都会のお嬢様が来たって言うから、私もう気になってしまって、眠れなかったわ。お友達になってくれるかしら」


 アメリアは少女の誘いを微笑みながら了承した。アメリアの瞳は不思議に澄んでいて、ステンドグラスのようだった。彼女の仕草は上品で、それは二人の少女の御眼鏡にかなうものだったらしい。リンネは一瞬飾りのない表情をして囁いた。


 「きっと、白樺の方もお若い時はあなたのような、美しい赤い髪を持っていらっしゃったのね」

 「そうねリンネ、王妃様みたいに美しかったのでしょうね、王妃様って、世界で一番高貴な女性なんでしょう?もしかして、アメリアは王妃様にお会いしたことある?」


 アメリアは返事に窮して口を噤んだ。何と言ったものかとサラの視線に慄きながら思案していると、リンネが助け舟を出した。


 「サラ、王様と王妃様はもう物語の中にしかいないの。公爵夫人の噂話なら聞けるかもしれないから、あとで尋ねてみましょうね。話が逸れました、アメリア、私たちが尋ねたいのは、神父さまのご容態についてなのです」


 ふわりと少女たちの間を風が遮った。アメリアの夕陽色の髪が広がって、彼女の顔を隠す。しかし気まぐれに吹いた風も放たれた言葉を掻き消すには至らなかった。

 アメリアは答えなければならなかった。間を置かず、何でもないことのように、唇を動かす。


 「神父さまは……」


 アメリアの声は決して極端に小さいわけでもないのに、虚空を彷徨うように空気に溶け込んでいて、とても聞きとりにくかった。不明瞭な言葉を耳元で囁かれたような心地になり、リンネの背筋に怖気が走る。アメリアの声は蠱惑的な響きを持って言葉を続けた。


 「もうこちらで私たちを教えて下さることはできないでしょう。どうか気を落とさないで、神様にお仕えするのに場所の貴賤はありません」


 これ以上口をきくことなどできない、といった様子でアメリアはぐったりと顔を伏せた。躊躇いがちに二人の少女を窺って、彼女たちが何も言えずにいるとわかると身を翻して集会所の中へ戻ろうとする。


 「待って、アナタはいつ帰ってしまうの?」

 「一週間後の列車で、と思っておりましたが、もう少し早くなるかもしれません、その時はご挨拶に伺いましょう」


 アメリアは二人の方を振り返ると、今度こそ礼をしてその場を辞した。サラは慌ててお辞儀を返したが、いつもサラよりも何でもうまくやるリンネは、微動だにせずアメリアを見ていた。


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