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黄昏姫と蛆の悪魔11

 シスターが掌を打ち合わせて、弾んだ声を出す。


 「私はお茶を入れてきますね。アメリアさまも如何でしょう」

 「……はい、是非ご一緒させてください」

 「よかった!こちらで少々お待ちくださいね」


 アメリアの逡巡には苦々しい後ろめたさが含まれていたが、シスターは追求しなかった。軽やかな足取りで裏手へ消えていく。

 アメリアだけが一人取り残された。教会に来るのが憂鬱なはずだった。今やアメリアには屋敷へ帰ることが憂鬱で仕方がなく思われた。

 帰ってすぐに眠りについてしまった後、早朝に目を覚まして身支度を整え、使用人に言伝を残して屋敷を出て来た。父には未だ顔を見せていなかった。無論、成果物とも言えぬ祖母の館の様子を記した文書も渡せていない。

 本来は村から報告の手紙を出し、父に指示を仰いでから準備を進める手筈だったのだ、事が落ち着いたらもう一度村に向かう必要があるだろう。夫婦とともにでなくとも、悪魔祓いに付き添って舞い戻るのも一つの手ではあった。司祭に任せた以上、滞りなく事が進むだろうことは確約されたようなものだ。


 アメリアは所在なさげに教会堂の隅に腰かけ、ステンドグラスから落ちる光を浴びた。手を伸ばすと、腕がまだらな色に染まっていった。アメリアは屋敷で喪服を脱いでいた。仮にも恋人たちが結ばれようという日に相応しい服装ではない。おそらく、明日からもアメリアは肌に馴染んだ喪服に袖を通すことはない。次は彼女自身が慶事の主役に祀り上げられるのである。

 一番手前側にある天井の窓へ手を差し伸べて光の絵をなぞる。

 鬱蒼と茂る木々が青緑色の光を落としている。その隙間に生き物のようなものが見えるが、小さくて判別できない。地面の泥の色がやけに目立つ。順になぞっていって、数枚目で動きを止める。


 いっぱいの青、荒れ狂う波。隙間を縫って垣間見える虹色の帯、その端に白いものがぽつりと浮かんでいる。あれが鳩だとアメリアは知っている。オリーブの葉を咥えているかどうかまでは窺えない。とにかく青い光で溢れていて、緑の破片が紛れ込んでいても下から見上げるばかりでは目に入ってこないだろう。

 続けざまに何枚もの絵をなぞった。赤っぽい絵も黄色っぽい絵もあったが、青が強い絵が多かった。青いマントをたなびかせている女性は、胸にしっかりと幼子を抱いている。花嫁のようなか弱さはなく、頭の上には煌々と輝く星を戴く。

 星。突然現れ赤子の誕生を高らかに宣言した光。あの星は彗星だとも、惑星が重なったものだとも言われていた。その行方も正体も知れず、作り話だと言う者もいた。

 アメリアは誰かの言葉を思い出していた。


 (星の名前を変えてしまう王は、星をそっくり失くしてしまうこともできるだろうか?そう、例えば、名前を奪ってから新しい名前をつけてやらなかったら、その星はどうなってしまうのだろう)


 そんな突飛な話を誰から聞いたのか、アメリアの頭の中は霧がかかったようにぼやけていて物をまともに考えるのがひどく困難だった。ただ、その日は美しい星空が見えたような記憶があった。

 教会堂に鐘の音が鳴り響く。アメリアはステンドグラスに魅入るのをやめて、胸元で拳を握った。さっと目を伏せる。色々な高さの音が合わさった、華やかな音だった。いくつかの鐘が連鎖して鳴るような仕組みのものだろう。

 けれど、アメリアの記憶が正しければまだその時間ではないように思われた。シスターが時間を早めたのか、時間間隔が狂うほどステンドグラスに夢中になっていたのか、それならばお茶を淹れるのにかける時間としては異様で、シスターに何か起こったことになる。

 不安が膨れ上がり、不吉な確信じみて背筋を駆けのぼった時、教会堂の入り口の、両開きの大きな扉が軋みながら開いた。


 その瞬間、アメリアは絶望した。視界が何かを捉えるより先に、艶やかな芳香に包まれる。一向に慣れないがすぐにそれとわかるほどに不吉な縁の結ばれた、薔薇の香だった。

 姿を現したのは、高貴な者の持つ独特な緊張感を漲らせた、一組の男女だった。男の方は白地に金の糸で刺繍を施した礼服をまとい、女の方は陽光を盗んできたのかと見紛うほどの鮮烈な黄金のドレスをまとっていた。脚の露出が多い煽情的なデザインを、群青色の肌が引き締め、従えている。女は裸足だった。爪先には星を十、指の爪と合わせると二十の星をほしいままに弄ぶ。

 女がにいと口角を上げた。金色のルージュが弧を描く。

 アメリアがシスターを呼ぼうとして開いた口に、いつの間にか黒い指が押し当てられていた。爪を立てられているわけでもないのに、ぴたりと喉が閉まって声が消えた。


 「素敵な聖堂ね、アメリア。来てくれて嬉しいわ。わたしの愛しい人を紹介してもいいかしら」


 アメリアはゆるゆると顔を上げた。確かに傍にいるというのに、女の顔は靄がかかって判然とせず、悪夢の登場人物のようにルージュの色だけが目立っていた。女の隣へ男が進み出る。

 女とは反対に、男の顔ははっきりとしていた。アメリアは男が奇抜な仮面をつけているのかと疑った。けれど、人の頭部大の白薔薇の花は、確かに男の顔だった。

 男の頭、瑞々しい花弁の上には、金の王冠が載っていた。ともすれば滑稽とも言える風体が、同じ冠を戴き女王然とした女と並び立つと、君主の覇気を醸し出すのだから、まったく狂気じみていた。

 女がアメリアの唇から指を離す。しかし吐息を微かに漏らすのがせいぜいで、大声を出すような真似は到底不可能だった。


 「そういえば、言伝は伝えてくださった?ほら、わたし、あなたにお願いしたでしょう、覚えていらっしゃる?」


 女からは、濃い花の香りが漂っていた。外見からすれば、白薔薇そのものの姿をしている男から漂っているのかと考えてもおかしくないが、甘く、それでいて品のある濃密な空気は女こそが我が物としていた。

体の中が重い薔薇の香気で満たされて、アメリアは自覚のないまま言葉を紡いだ。


 「はい……申し訳ありません、彼はなかなか姿を見せず……」

 「そうなの、まあそれならそれで、いいのだけれど。さあ、続きをしましょうか」


 男が恭しく女の腕をとる。悠然と歩く姿は神気すら感じさせた。

 アメリアの頭がぐらぐらと揺れる。二人の背が離れて行って、先の式で司祭が立っていた場所まで辿り着いた。アメリアは農民の夫婦による神父の前での宣誓と、王と女王による神父のいない場での宣誓なら、どちらにより価値があるのだろう、などと、とりとめのないことを考えていた。

 甘やかで、伸びやかな声が語る。


 「ユークレッド、わたしのかわいいユーク。あなたのメアリーが愛を誓います。わたしはメアリー・リリス、魔女マリアより星見の王へ、謹んで愛を乞いましょう」


 女が背伸びをして男の首に抱き着き、顔を近づける。白薔薇の中心に女が顔をうずめる。

 異変は時を置かずに訪れた。地響きとともに大地が揺れ、教会堂の窓ガラスが一斉に割れる。それは天窓も例外ではなかった。色ガラスが降って来る。人の手で造られた宝石が墜落し、粉々に砕ける。

 アメリアが悲鳴を上げてうずくまる。


 「我が王よ」


 平淡な声だった。瞬く間に記憶が蘇り、聞き覚えのある声に、恐る恐る様子を窺う。

 アメリアは自分が顔を背けていた一瞬のうちに何が起こったのか、まるで理解が追い付かなかった。数歩先では、少年が女を床に押し倒し、いたぶるように首を絞めていた。女は笑っている。笑ったまま、自分の上にまたがる少年を通り越して視線を他所へやっている。

 レオナルドが無感動に口を開いた。


 「我が王よ、速やかに退去なさいませ」


 女とレオナルドは、同じ方向を見ていた。その方向を目で追うと、自分を間近で見下ろしている白薔薇の顔に行き当たった。

 アメリアの顔から血の気が失せる。


 「星見の、王……?」

 「ユークよ、アメリア。ちょうどいいから、いま教えてあげてくれない?この名も無き騎士に、伝えるべき言葉を。ああ、ごめんなさい、彼にも名前があるのは知っているのだけど、全然私に教えてくれないの」


 そこで初めてレオナルドの顔が歪んだ。女の顔を殴りつける。繰り返し何度殴っても、女はおかしそうにきゃらきゃらと甲高い声で笑った。重く、鈍い衝撃音が絶えず響く。

 アメリアは見るに堪えず視線を逸らした。星見の王が一歩近づく。じり、と体を逸らすが、構わずもう一歩近づかれて、目と鼻の先にアメリアの厭う巨大な花が迫っていた。

 男は何をするでもなく、アメリアを見下ろしていた。不意に、はらりと花弁が落ちる。一枚目が床に落ちたのを皮切りに次々に散っていって、支えきれなくなったのか王冠が落下した。金属が床にぶつかって反響する。みるみるうちに、花は散り、花が乗っていた胴体の方も溶けるように消えた。

 花弁を追って床を見下ろしたアメリアの顔が引きつる。王冠に巣食うかのごとく、金の輪を蛆が取り巻いていた。


 「ねえ、ほら、アメリアったら、おねがい。こんな機会滅多にないんだもの」

 「飽きもせず、まだ死体遊びに興じるか。低俗な」

 「あなただって、病める身で白い女の子を可愛がったりするなんて。可愛い子ならわたしの民にも沢山いるのに。あなたは可哀そうな子が好きでしょう?」

 「……星見の王は新しい人々を指して自分の民などと傲慢な言い方はしないだろう」

 「わたしはするわ」


 蛆は小さく震えながら王冠の中へ集まっていった。もつれあい、絡まり合い、王冠の中に今度は小さな白薔薇ができあがった。余ってしまった蛆が頼りなさげに薔薇の影で体を震わせている。

 アメリアは、顔色蒼然として薔薇を拾い上げた。茨で手を刺したことにも気づかない。アメリアの手から垂れ下がる茨が揺れる度に、しがみついていた蛆が一匹また一匹と床に吸い込まれていく。ぼた、ぼた、と嫌な音がした。


 「己の敵を、愛せよ」


 ほとんど囁き声だった。吐息がちで、無理やり引きずり出された苦し気な叫び。

 アメリアは薔薇へ唇を寄せた。それで、此度の狂宴は終いとなった。花も、蛆も、女も、飛び散ったガラス片も、空気に溶けてしまった。後には魂を奪われかけた娘と、振り返って彼女に憐憫の眼差しを向けた騎士が置き去りにされた。

 天井では、何事もなかったかのように煌びやかなステンドグラスが二人を見下ろしていた。まるで、白昼夢のようだった。まだシスターは戻ってこない。時間の感覚すら狂わされていた。アメリアが天を振り仰ぐ。色のついた窓に遮られて空の色などわかりもしない。


 「お父様、お父様、私は……」


 抑揚のない、押し殺された声で嘆く。両手で首を覆い、爪を立てる。

 レオナルドが靴音を立ててアメリアの前に立った。手をとり、肩を抱いて歩き出す。アメリアは抵抗せずについて行った。

 教会の外には悪夢の続きが広がっていた。

 道行くは無数の巨大な蛆、連れたって這っているのもいれば単独で心なしか急いで通り過ぎる蛆もいた。アメリアと背丈の変わらない虫もいたが大半は見上げる大きさで、肩が触れ合いでもしたらと怖気に震える。

 蛆が這った跡には粘液の代わりに薔薇の花弁が残されていた。煉瓦道が白く染まっていく。どこに向かって歩いているのかもわからぬまま、花弁を踏む。足下が覚束ない。


 教会の屋根が見えなくなった頃、風船を握りつぶしたような破裂音がして、思わずそちらを向く。

 数百匹はくだらない蛆が山を作って蠢いていた。花弁と絡まり合って、薔薇に化けたり蛆に戻ったりと忙しない。苦しんでいるようだった。他の蛆は気にも留めずに通り過ぎていく。そのうち沢山の影に埋もれて見えなくなった。

 それでも気になってしまうのか、アメリアは後方ばかり気にしていたが、すぐ横を通った蛆が先ほどと同じ破裂音と共に破裂すると肩を跳ねさせて俯いた。何も視界に入れぬように、本当は耳も塞ぎたかっただろうに、彼女の手はレオナルドにしっかりと捕まえられて自由ではなかった。破片から出て来た小さな蛆を踏まないよう不器用に足を動かす。アメリアが避けた蛆はもんどりうって転がっていき、踏み潰された。

 アメリアはさっと顔色を変えた。


 (そうだ。前にも、こんなことがあった。あの時もこの人は私の前で薔薇を踏みつぶした。どうして忘れていられたんだろう、こんな、常軌を逸した出来事を、どうして)


 レオナルドは明らかに苛立っていた。表情に現れるわけではないが、空気が張り詰めていて息が詰まった。すれ違う蛆たちが、無作為に破裂していく。引き裂いたわけでもなければ、視線すら向けない。それでも二人が歩くと先々で蛆が弾けた。

 アメリアの手を引いて歩く人物が正気だとはとても思われなかった。しかし、アメリアには奇妙な安心感があった。レオナルドは何度も彼女の前に現れて、その度に彼女が安らげる場所まで導いた。

 思考は苦痛だった。

 繋がれていた手が、離される。どこをどう通ってきたものか、アメリアは自室に立っていた。

 レオナルドがいつもの言葉を口に出した。感情は読み取れない。


 「よい夢を」

 「ありがとう、でもまだ日が高いでしょう、休むには早い時間ではありませんか。私、午睡はあまり……」


 アメリアが眉を下げると、レオナルドはちょっと目を見開いた。それに対してアメリアが何か言う前に、部屋を突っ切って窓に近付く。

 静かにカーテンが開けられる。外は暗く、星がぽつぽつと顔を出していた。


 「もう眠ってもいい時間なんだよ、アメリア・シュティンフレア」


 からかうような口ぶりだったが、穏やかに笑いながら言われると機嫌を損ねようもなかった。レオナルドが笑っている、アメリアも笑い返して、頷いた。


 「おやすみなさい」


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