第91話 会話
旅館の人気のない裏手に、響太と雪の2人がばしゃばしゃと、桶の中で皿を洗う単調な音が響く。
「………………」
「………………」
(え、え〜と………)
会話がなかった。
(……よく考えたらまともに話すのって今が初めてだ)
この雪という少女が、夢の中で会ったユキナにそっくりだったからだろうか。響太はそのことをすっかり失念していた。
その上自分には初対面の女の子と会話できる能力など皆無に近いことに今更気づき、
(どどどどどうしよう!!)
………今更混乱するのだった。
***
(ど………どうしよう)
響太が隣で混乱している間。
(なんで………なんで若旦那さまが!)
指先に心地よい水の冷たさを感じながら、雪も相当混乱していた。
(こ、これはアレ? 『今夜俺の部屋に来い』とかいってアレをソレするの!? だだだダメですよ若旦那さま〜!! わわわ私にはまだ早いですってー!!)
井戸端会議、という言葉がある。
井戸が、奥様方が井戸に水を汲みに行く際のおしゃべり場になっていたから、というのが語源らしいが。
雪もその井戸端会議の洗礼を受けていた。といっても直接話に加わったわけではないが、雑用をしている際に、なんとなく耳に入ってきた、という程度だ。
てなわけで、年の割に、雪はかなりの耳年増になっていた。
それに………と考える。
(若旦那さまにこんな、食器洗いなんかさせてるなんて。もしこんなとこ、誰かに見られたら………)
………………追い出されるだろうな〜、と。雪はだらだら冷や汗をかきながら思った。
(もしかして、それが目的かなぁ。私、未だにヘマばっかやってるし、それに………)
ふっと無意識に、食器を洗っている手を止め、自分の長い髪をちらりと見た。
(………お父さん、外国人だし)
そして、響太に拾われるまでに受けてきた差別の日々を思い出しながら、すっと自分の心が冷えていくのを感じた。
それは諦観の念だった。
「………よしっと」
ぼーっとしていると、いつのまにか響太が皿洗いを終わらせていた。
「え…………」
(………もう?)
2人でやったからにしても、それでも予想以上に早く終わったことに驚いていると、「さて………」と言いながら響太が腰をあげた。
「洗うのは終わったから、しまおうか。食器」
「えええ!!」
「へ………?」
意外な叫び声に、響太はぽかんと口を開けた。
「そそそそこまでして頂くわけには………」
「あ………ああ。別にいいよ。どうせここまでやったんなら最後まで手伝うから」
「で、でも………」
「ほらほら」
いーからいーから、と言いながら響太は食器を籠に入れて運び出した。
勝手口から出ると、幸い、みな食事が終わり、従業員用の部屋に引き上げているようだ。
「………………」
雪は縮こまり恐縮しまくりながら、食器の入った籠を運びながら、
「えと、こちらです」
おずおずと響太を先導した。
先ほど夕食をした大広間の横の廊下を歩いて、台所はその先にあった。
「…………ねぇ?」
「ひゃいっ!?」
歩いている途中でいきなり響太に声をかけられ、驚いて思わず変な声を出してしまう雪。
「最近どう? 仕事つらくない?」
「え、ええと……だ、大丈夫ですよ!」
雪は努めて明るい声を出した。
「皆さん親切ですし、何も不自由は……」
「うそでしょ?」
「はうっ?!」
びくぅっ! と雪の顔がひくつく。
(そりゃ雑用ほとんどやらせれてますから、きついです。きついですよ。…………けど)
言っていいのか、と考えながらあーうーと困った声を出していると、響太は雪の顔を覗き込んだ。
「はい、嘘はよくないからね。はっきり言おう」
子供をあやすような口調で言った。
「仕事………きつい?」
「えぅ………」
きょろきょろと周囲を見回し相当うろたえながら、雪はかんねんしたのか………
「………………(こくり)」
小さく頷いた。
「……………そっか」
響太は優しげに微笑むと、
「実は君に話したいことがあって………」
「………なんでしょうか?」
ゆっくりと口を開き始めた。