第88話 暗い影
「むぅ〜………」
午前11時。
響太は座布団に座り台帳とにらめっこしながら、ずっといらいらしていた。
仕事なんてとっくの昔に終わっていた。
すぐにやることの無くなった響太だったが、千鶴が近くの大広間で接客をしているため、うかつに部屋から抜け出すこともできなかった。
てなわけで何度も台帳を見なおしているのだが、当然のごとく記入ミスなどは見つけられない。
(………暇だ)
完全無欠の暇状態だった。
(あ〜外出たい外出たい外出たい)
1度目の時は何が何だかわからないウチに物事がぽんぽんと進み、気がついたらもとの身体に戻っていた。
しかし2度目となった今、響太の心にはある程度余裕ができ、「せっかく江戸時代(?)に来たんだから、少しは町の様子をよく見てみたい」という欲求がむくむくと湧き上がっていた。
……だが、いくら見渡せど周囲は畳と土壁、障子と単なる日本家屋しかない。
唯一の便りである窓からの景色は、裏山しか見えなかった。
(外! お外! 光! ギブミーライト!)
う〜あ〜! と畳の上でじたばたしていると、ふと目に付くものがあった。
「………ん?」
それは机のすぐ横に立てかけてある本棚。
そこに挟まれている簡素な様相の本だった。
(………? あれってまさか………)
何がしかの予感にかられ、響太はふらりとその本を手に取った。
よく見てみると、それは紙をひもでまとめただけの簡素な様相に、作者、山成響兵衛の名前だけが書かれてある本。
好奇心にかられ、ぱらりと本を開く。
そこにはミミズのような文字で、日付と、その日にあったことが簡潔に書かれていた。
(………日記だ、これ)
自分の前世かもしれない男、山成響兵衛。彼の日記だった。
(………ど、どうしよう)
さっきとは違う意味でオロオロする響太。
(ひ、ひとの日記を勝手に見るのは………あーけど、こいつ俺の前世かもだし、自分の日記を見るようなもんで別にいいかも………)
あーうーとひとしきり悩んだ後、ええいどうにでもなれ! という風に響太はバッと日記を開いた。
『如月弐伍日(2月25日)。
ある少女が屋敷に舞ゐ込む』
(あ………これユキナに似たあの子を助けた日のことだ)
そう言えば、響兵衛はあの日のことをどう思っているのだろう?
そう考えながら響太は続きを読む。
『一目で南蛮人とわかる少女だった。厄介ごとの火種になると自覚してゐながら、なにゆえ匿おうなどと思ったのだろう。
その辺りが曖昧で、よくわからない。まぁとにかく匿うと決めたのだ。髪を染めさせて丁稚奉公させれば由々しきことはないだろう』
(………うおい!!)
丁稚奉公という単語に思わず心で突っ込む響太。
(前世の俺、鬼畜だなおい!!)
しばし呆然としたが、響太はまたぱらぱらと本をめくる。
(………そういえば、今日って何日なんだろう?)
どうやら響兵衛は毎日かかさず日記を書いているようだ。
1番新しい日付の次の日が今日だろうと考えながら適当にめくると、
『寛永14年、9月28日』
そこで日記は途切れていた。
(………待てよ? 確か)
再び最初のページから日誌をめくると、始めに目にした、雪を助けた日。つまりは響太が初めてこの時代に来た日にたどり着いた。
『寛永10年、2月25日』
(……あれから4年も経ってるのか)
そう言えば千鶴も雪も幾分成長してたなぁ、と響太は思い返した。
(実際の日からは1日程度しか時間が経ってなかったのに、不思議だ)
………まぁ、こんなタイムトラベルもどき自体、不思議すぎるにもほどがあるんだけど。
そう考えた瞬間。
(………待てよ? 寛永?)
少し前に日本史で習っていた年代だった。
ある考えに思い至った瞬間、響太はサッと顔が青くなった。
(………確かアレって、島原の乱が終結した後にさらに拡大化していったって)
確か…………と響太は考えを巡らせる。
島原の乱は寛永14年、だったろうか。
(………………おいおい)
嫌な予感が拭いきれなかった。
(………江戸4大飢饉の1つ)
『寛永の大飢饉』
今、それが本格化する直前の時期だったからだ。