第73話 屋上という名の牢屋
黒い霧の一点に、わずかな光が灯される。
夜中に光る星のような光だったが、それは少し光っただけで、すぐに消えてしまった。
「「………………」」
………祝詞、失敗。
目の前にあるその事実に響太と結は顔を見合わせて、黙りする。
そして即座に。
「「逃げよう!!」」
2人してそう言うと、
だだだだ!
と屋上に向かって階段を走って上った。
真っ暗な階段を、2人はとにかく必死で逃げた。
そのことに一生懸命で、2人は黒い霧の様子には1度も振り返って見なかったが。
「………………」
黒い霧は何事もなかったかのようにゆらゆらと揺れており。
その中心にいる少女は、ただただ焦点の合わない目でぼんやりとどこかを見ているだけだった。
それはまるで、意志のない人形のようであった。
「はぁっ……はぁっ………はぁっ………」
再び、屋上まで来たところで、2人はようやく足を止めた。
空はまだ明るかったが、夕方の真っ赤な光に少しだけ暗闇の帳がかかっている。
「………まさか祝詞がまるで効かないとは、敵さんは中々手強いようどすえ」
「………へ!?」
(………………どすえ?)
結らしくない口調に驚いて響太はまじまじと結の顔を見た。
「昨日ぶりどすなぁ、響太はん?」
そこは結の顔をした、しかしどこか結らしくない余裕を持った子供っぽい笑顔があった。
「もしかして………ユキナ!?」
「そうどすえ」
どうやら、ユキナが結にとりついているらしい。
………響太は信じられなかったが、昨日は猫吉にとりついていたユキナだ。
人間にとりつくことができても、不思議はないのだが………
「この巫女はんに呼ばれたからなぁ、急いで猫吉はんの身体からこちらに飛んできたんどすえ」
「………どーやって?」
「企業秘密や」
にっこり笑って唇に手を当てると、ユキナはそう言った。
「それより、あの霧のことどす」
ユキナは扉の方をじっと見ると、はぁ〜、とため息をついた。
「あれ、ちょっとやそっとの霊力じゃ、どうにもなりまへんえ」
「………どうしよう?」
「……とりあえず、撤退しましょ」
そう言うと、結はくるりと踵を返した。
「ウチらじゃどないしようもあらしまへん。幸い追って来いひんようやし、このまま帰るのが吉どすえ」
「……わかりました」
正直あまり納得いかなかったが、あの霧の傍にいるよりよっぽどいい。
響太たちは元来た道を戻り始めた。
2階にまで降りたところで、響太とユキナはくるりと向きを変えた。
「………なんでこんなことになるんえ?」
「知らないって」
2人して文句を言い合いながらも、また一目散に屋上まで走る。
バンッ!
「はぁっ……はぁっ……」
そして、再び屋上。
響太は苦しそうにその場に膝をついた。
空を見るとだんだんと夜の暗闇が濃くなり始めている。
「………厄介なことになったどすえ」
ユキナが空を睨みつけながら、言った。
「どうやらあの思念、夜が近くなるほど大きくなるみたいどす」
「………ってことは」
響太は冷や汗をかきながら言った。
「この屋上から出られないってこと?」
「そうどす。せやけど、それだけじゃあらしまへん」
結はバッグの中をごそごそ探すと、そこからありったけのお札を床にばらまいた。
「たぶん、あちらはんが屋上まで来るのもそうすぐどすえ。完全に夜になるまでにこちらが反撃せんと、あの霧にのまれてまう」