第59話 ユキナの話
「………どういうこと?」
呆然としながらユキナを見ると、猫の姿の彼女は未だに毛繕いをしていた。
「どうもこうもあらしまへんやろう? 見たまんまや」
今度は手を丸めて顔を洗いながら、ふぁ〜っとあくびするような口で言った。
「あの子にはウチの声は聞こえへんで、響太はんにはウチの声が聞こえる、ただそれだけのことどすえ」
「………なんで?」
「……う〜ん。説明するのも大変なんどすが」
天井の方に顔をむけながら、気持ち良さそうに真っ白な首の辺りを前足でかりかりと描いた。
(………本当に真剣に言ってるのかな?)
なんとなくユキナの真剣度合を疑う響太。
「ウチは魂の存在は認めておるんやけど、幽霊は正確には認めておりませんえ」
「はい?」
思わず響太はすっとんきょうな声をあげた。
(………魂と幽霊?)
「そんでウチの考えではな。魂とは、強力な思念の集合体のことをさすんどす」
「魂が強力な思念の集合体?」
理解がおっつかず、首をかしげる響太。
(………あれ? これってどっかで聞かなかったっけ?)
そこで不意に響太はデジャビュを感じ、いつだったかと考えを巡らせる。
「そやな。響太はんは幽霊と魂の違いってどこにあると思いはるん?」
「違い?」
響太は魂に関しては人魂を、幽霊に関しては足がなく半透明の、普通の幽霊を想像した。
「………ほとんど一緒では?」
と言ったが、それでは答えになってなかったらしい。
「………………」
ユキナのじとっとした視線が痛かった。
(やば! ち、違い! 幽霊と魂の違い!)
必死になって響太は考えを巡らせる。
あの青白い人魂と、うらめしやな幽霊の違い………
「………人の形をしてるかしてないか?」
「ビンゴどす」
ユキナは満足げに微笑んだ。正解だったらしい。響太はほっと胸をなでおろした。
「魂が人の形になったのが、幽霊どす。せやけど、実際そんな形をしたものを、ウチは見たことありまへん。大抵あの神社で見たような霧みたいな姿か、見えないかどちらかどす」
「へー……」
「せやからウチらは幽霊みたいな、ある程度完成した人格と形を持った思念の存在は否定するんどすえ。
そして結神社の巫女たちはみんなこう考えとるんどす。
あの黒い霧は、苦しみや悲しみ、妬みや怒りといった人々のたくさんの負の思念が集まってできたもんやって」
「………もしかして、そういった負の思念=強迫観念ってこと?」
「そうどすえ。飲みこみが早いどすなぁ、響太はん」
ユキナが嬉しそうにそう言ったが、響太は別のことを考えていた。
(紀子だ! これ紀子が言ってたことにクリソツだ!)
響太はいつぞや、肝試しの直前に紀子が話していたことを思い出した。
「せや。そしてウチらの心ゆうんは、そうした思念が集まってできとんや。妬み、苦しみ、悲しみといった負の思念から、嬉しさ、楽しさとゆうた正の思念、み〜んなひっくるめてな」
「あ、響太くん!」
「げ!」
ユキナがそう言い終えた直後。
深春が着替えと準備を終え、降りてきた。
「………? どうしたの? 今日は何か変じゃない?」
「そ、そんなことないって!」
明らかに挙動不審だが、それでも懸命にそう主張する響太。
ユキナはその様子を不思議そうな様子で見ていた。
「そういえば聞いとらんかったなぁ。この娘は誰どすか?」
「お、おーユキナ、トイレ行きたいか!」
「ちょ、ウチはそんなこと言っとらんどす!」
「俺と一緒に行こうなー!」
「………?」
首を傾げる深春を後目に、そそくさとユキナと一緒にトイレに行く響太。
バタン、ガチャ。
トイレに入り、後ろ手でドアのカギを閉めると、抱えていたユキナと向き合った。
「………いったい何どすえ?」
「あの娘は神谷深春さん。わけあってちょっと前からこの家に同居してるんだけど、本当は人気絶頂のアイドルさん」
「ほう、アイドルはん?」
ユキナが興味深そうに目をしばたいた。
「そらちょうどええどすな。あの娘にお祓いを頼めんやろか?」
「あー、けど深春はいろいろ忙しいみたいだから、頼んでみないことには何とも」
「忙しいのが何どすか?」
降りている洋式トイレの便座に立つと、真剣な顔で言った。
「ウチらもちんたらしとらへん。時間をくってもうたら、下手したら大惨事になるんどすえ」
「大惨事?」
そう聞くと、結構深刻そうな顔で言った。
「せや。あの霧は今はウチらの神社で閉じ込めとるけど、あれが世に出まわったらえらいことになるんどすえ!」
「えらいことって何?」
「負の思念が世界に充満する、つまりは人心が不安定になるんどすえ。自殺する人が増えたり、犯罪が多発したり、とにかく暗〜い世の中になるのは確定どす」
「……へー」
「……信じとらへんな」
「そ、そんなことないって!」
ぶんぶん首を振りながらも、響太には正直大事だという実感がほとんどなかった。
本当にそうなったら大変だと思うが、しかしどこか誇張してるような気が拭い去れない。
言うなれば誇張表現をしたテレビのドキュメンタリーを聞いてる感じである。
「………話が大きすぎたようえ。せやったら、身近な話をしたります」
ユキナはごほん、と喉の調子を整える。
………猫の姿でやるとえらいシュールだが。
「例えば、や。あの黒い霧が人に取り付いたとしましょ。ようは神社に来たときの響太はんと同じ状態どすえ」
「ああ………」
そういやあの時、いきなり気を失ったからなぁ。
「あの時はウチが響太はんについた思念だけを祓ってこちらの世界に呼び寄せたから、大事にはならしまへんかったけど、もしあの時ウチがお祓いをせんかったら、どないなっとったと思いはる?」
「………えーと、もしかしてずっとあのままだった?」
「その通りどす」
ユキナはじっと響太を見た。
「あのままずっと眠り続けとっても、おかしくはなかったんどすえ」