第51話 負の思念
響太は昔、修学旅行で行った二条城の鶯張りの床みたいに、やたらぎしぎしと言う廊下を歩いていた。
少し前のこと。
結に、響太が今まで体験したことをかいつまんで話すと。
「………」
しばらく黙っていた結だが、やがて静かに
「お祓いをしましょう」
真剣な顔でくだした結論が、それだった。
結の中では、霊的なことが常識として扱われている。
響太はそこに面くらい、とまどいを覚えたが。
「………お願いします」
響太はわらにもすがる思いでそう言った。
その後、準備があるからと少し結が席を外した。
そして再び戻ってきた結に案内され、響太は結について神社の中を歩いて行く。
これから本尊のある場所に行くらしい。
少し歩いていくと、奥の方にあって見えなかったが、これまでいた部屋とは違う、少しこぢんまりした部屋の前に来た。
目の前には、年季の入った木製の引戸があった。
「ご本尊であられます、星結火乃命様の祭られている部屋です」
結びは恭しい口調でそう言う。
響太はその時、結に対し今まで以上に厳かな印象を受けた。
そしてすっと結が引戸を開け、中に入ると………
「……!」
1歩、入った瞬間。
ぞわり、と。
背筋が怖気だった。
これが寒気だと、数瞬後にようやく理解した。
「どうされました?」
不審そうに見る結にも、注意を払うことができない。
この部屋は木の床や壁で囲まれた部屋で、奥に小さな木彫りの像があった。
信仰の場だけあって、どこか霊的な圧迫感を感じる作りになっているのだが。
(なん……だ、コレ)
普通の人でもその部屋からは或程度圧迫感を感じるのだが。
響太はそれ以上のものを感じていた。
背筋が凍る。身体が動かない。
今まで感じたことがないような気持ちの悪い感を覚える。
そして。
(アレは………)
部屋の奥に鎮座していた木彫りの像。
とある子供の僧を模していた。
その目は全てを見据えているようで、全てを諦めている目だった。
………気のせいだろうか。
(………なんだ?)
ふっ、と。
音も立てずに、像から真っ黒な霧が現れた。
見ているこっちまで黒々とした何かに覆われてしまいそうな、そんな霧。
気のせいかと思った。
気のせいかと思いたかった。
だが、思えなかった。
(ダメだ……あれに触っちゃ!)
初めて見たものなのに。それは響太に底知れない恐怖を与えた。
「……………大丈夫ですか………………! ………山田さ……………!」
(………あ)
結の声がだんだん遠ざかっていくのを感じながら。
響太は意識を失った。
(これは………)
黒々とした気配をあちこちで感じる。
苦しい。嫌だ。悲しい。死にたくない。
様々な負の気持ちが伝わってくる。
幸福には限りを感じやすいが、負の気持ちは際限がない。
時に自殺者をも出してしまうこの暗い気持ちを、響太のむき出しの心がダイレクトに受けていた。
普通なら軽く精神に異常を来すのだが。
(………あれ?)
そんなことを感じ、考えることもできなかった。
ただ、ぼーっとそこにある感じ。
いつぞや夢で見た、真っ白な夢の時と似通っていた。
違うのは………世界が白いのではなく、様々な思念で黒ずんでいることだけ。
(………あ)
ダメだ。
このまま………意識が周囲に少しずつとけていく。
暗闇に中に消えていく。
自分が自分でなくなっていくような気がした。
(………死ぬのか?)
響太は漠然とそう感じていた。
夕刻。
「はぁ……! はぁ……!」
紀子は深春の制止を振り切って、むりやり響太の家を出た。
紀子は肩で息をしながら、ただひたすら走っていた。
………どこへ行くのか。
そんなことも何も考えず。
ただ前へ走っていた。
周囲の通行人たちの視線など気にせず。
ただ走る。
(………………!)
理解していた。
理解してしまった。
この気持ちは、嫉妬だ。
響太と深春が仲良くしていることに。
(………なんで!?)
どうしてここまで強く感じるのか。
ただの嫉妬。
そのはずなのに。
紀子の内から、言葉で表せないほどの激情が後から後から出てくる。
打ち消そうとしても、どうしようもないくらい。
苦しい、悲しい、憎い。
(………消えてよ!)
こんなの、自分らしくない。