第25話 男たちの戦い(後編)
「………あ」
紀子たちとふざけていると偶然に、鳴美の肘が試験管に当たった。
ぱりんと音がして、試験管がが地面に落ちる。
中にあった薄桃色の怪しげな液体がまたたく間に地面に広がっていった。
「すみません、試験管落としちゃって。すぐに片付けま………」
「触っちゃだめ!!」
いつも優しい竹中先生の、思いの他鋭い声に生徒全員が驚いてすくんだ。
「大丈夫ナルちゃん!? 触ってないわよね!?」
「え………ええ」
「そう………あー……良かった」
心底安堵したように言うと、照美は少し顔を引き締めていった。
「ナルちゃん! その液体! ぜったい触っちゃだめだからね!」
「えっと……なんなんですか、その液体は?」
鳴美は首をかしげていた。
「脱毛剤」
『は?』
鳴美の他に、紀子や深春などこの場にいる女生徒たちがそろって聞き返す。
「いや、ほらね。育毛剤ってあるじゃない?」
「え、ええ。ウチの父もよく使ってますし……」
ちなみにこの声は紀子。
「髪の毛を成長させる薬があるのなら、逆に髪の毛を死滅させる薬があってもおかしくないんじゃないかなーと……思わない?」
「それはまた………変なものを」
紀子の呟きに全員が同意した。
生徒たちのしらけた視線に、竹中先生もさすがにばつが悪そうに頬をかいた。
「ほ、本当はね! 逆ベクトルの薬を開発できたら、通常ベクトルの薬の開発にも思わぬいい発見があるかもって………そ、そう思っただけなんだからね! 決して面白そーとかそんなギャグ精神で作ったわけじゃ………」
「………絶対、ギャグだ」
鳴美の呟きに他の女子生徒も心の中で同意した。
「それにね、作ってったら面白くなっちゃって、つい、1滴でもどこか体に触ったらその周囲は髪の毛どころか毛と言う毛は全て消し去ってしまうという恐るべき生物兵器に……」
「ちょ……!」
さすがに聞き逃せなくなって紀子が慌てた。
「なんでそんなもの作って野ざらしにしといたんですか!!」
「いやーテルミちゃんうっかり。てへ☆」
「てへ、じゃないです! 下手に髪にでも当たったらその子つるっぱげになるじゃないですか!!」
『きゃああああああ!!!』
紀子の発言に皆が悲鳴をあげた。
そして全員が入り口に殺到する。
鳴美も自分の手を見て震えていた。
当たり前だ。髪は女の命なのだから。
「だ、大丈夫よ! 触らなければ! 触ったとしても毛がついてるところじゃなきゃ消毒すれば問題無いから!」
「ううー………照美ちゃーん」
「あう……ご、ごごごめんなさいナルちゃーーん!」
竹中先生の懺悔の叫びが、保健室中に響いた。
………………さて。
この会話も当然、地下で覗きをしている男子生徒たちに聞こえているわけで。
ついでにここは湿気た地下水道。
そして上から、例えその薬の液体で無くとも水滴が1滴でも垂れてくれば………
『ぎゃあああああ!』
地下は大パニックになっていた。
「だ、大丈夫だから落ち着けみんな! 見つかるぞ! おい! お前らも!」
1人冷静な健が皆を落ち着かせようとするが………
「だ……だって」
「ハゲは嫌だ―――!」
「●●毛つるつるも嫌―――!」
「落ち着けって!」
健はここの声が保健室に聞こえはしないかと気が気では無かった。
まあ初代理事長によりここは防音設備も完璧で実際音が上に漏れることはほとんど無いのだが………
「………ん? 何か聞こえなかった?」
「………そう? けど確かにそう言われれば……」
紀子など勘のいい人たちには気づかれかけていた。
「とりあえず皆。胸囲測定は一時中止にするわ」
うなだれた竹中先生が申し訳無さそうに言った。
「液体の処理と消毒をするから、30分ほど外に出ててくれない?」
「納得いきませんが……分かりました。みんな行くよー」
紀子を先頭に、ぞろぞろと女子生徒たちが外へ出て行った。
「………さて」
先ほどまでうなだれていた竹中先生は急に真面目な表情をすると、
「こんなところに覗き穴があるなんて……驚きねえ」
そう言って洗面台の取っ手をきゅぽっと外した。
「そんなに騒いで、まさかバレて無いとは思って無いわよねぇ?」
中で押し問答していた男たちに向かってそう言った。
『すっ! すみませんでした―――!!』
………まぁ、かくして。
健たちの夢は今年も当然のごとく潰えたそうな。
「………どんまい」
後にそれを聞いた響太は、そのときの男たちの失望を感じ取り静かに合掌した。