碧玉宮の侍従長 ヴィルトの独り言1
碧玉宮の侍従長、ヴィルトから見たマイラとセクトゥール妃のお話です。
マイラのお話なので、この作品に入れていいものか悩みましたが、以前にマイラ視点のお話をこの作品に投稿していたので、番外編としてこちらに入れてみました。全二話です。
ヴィルトは第五皇女マイラ殿下が暮らす碧玉宮の侍従長である。
侍従長といっても、宮殿の主はパレシス帝の側妃殿下、セクトゥール様であるため、ヴィルトは主人の身支度や衣装の管理などには関わらない。
給仕や接客、主のスケジュール管理、下級使用人の監督や教育などが主な仕事内容となる。
なので本来ならば、侍従長ではなく宮殿長と呼び表わされるべきだが、アンシェーゼでは六玉宮の使用人の頂点に位置するこの役職の事を侍従長と呼ぶのが慣例となっていたため、ヴィルトも侍従長と呼ばれていた。
因みに、侍従長の地位についた時に、ヴィルトは特任貴族の称号を与えられた。職に就いている間だけ渡される限定的な称号で、皇帝に仕える侍従と各宮殿の侍従長だけが頂くものだ。
元々、商家の子倅であった事を考えると、これ以上ない出世だと言えるだろう。
そんなヴィルトの前には今現在、一人の可愛らしい姫君が足をぶらぶらさせながら椅子に座っておられた。
この宮殿の主、セクトゥール様の一粒種であるマイラ皇女殿下である。
御年三歳。セクトゥール様譲りの神秘的な緑の瞳と美しい金髪を受け継いだ、ぶっちぎりの美幼女(?)だ。
このマイラ様はお父君の顔を見た事がない。
セクトゥール様のお腹が張り出し始めた頃から皇帝はセクトゥール様への興味を失い、皇女殿下が生まれたと知らされた時も、顔を見に来られる事さえなかったからだ。
「大儀であった」という一言が侍従を介して伝えられ、出産で憔悴されていたセクトゥール様が一滴の涙を零された事を、ヴィルトは今でも覚えている。
そしてマイラ様は、お父君だけでなく、他の親族の方々の顔も全くご存じでなかった。
マイラ様には二人の兄君と四人の姉君(うち一人は義姉)がおられたが、離宮に閉じ込められて育ったため交流が一切なく、母方のご親族とも縁が切れていた。
セクトゥール様のお父君のアダモス卿はセクトゥール様を大層愛されていたが、セクトゥール様が身重であられた時に病で亡くなられていたからである。
そもそもヴィルトを翠玉宮の侍従長としてセクトゥール様の傍につけたのは、故アダモス卿だった。
当時ヴィルトは第一従僕としてアダモス卿にお仕えしていたのだが、僅か十六の娘が皇帝のお手付きとなったと知ったアダモス卿は、いずれ執事に昇格させる予定だったヴィルトを娘のところに差し向けた。
ヴィルトはセクトゥール様が生まれる前からアダモス家に仕えており、ヴィルトならば娘を補佐してやれると思ったのだろう。
セクトゥール様が皇帝陛下の側妃になられるなど、アダモス卿にとってはまさに寝耳に水の話だった。
縁探しと行儀見習いのためにある皇族妃の許に侍女に出していたが、近い内に呼び戻す心積もりでおられ、そんな中でいきなりもたらされたのが、セクトゥール様立妃という信じ難い報せであったのである。
予め打診があったのであれば、アダモス卿は迷わずこの話を辞退されていただろう。
だが、すでに皇帝の手がついたと言われれば、その話を受け入れる以外に選択肢はない。
立妃された当時、アダモス卿は病をおしてセクトゥール様に何度か会いに来られた。
結局、そうした無理がたたったのか、セクトゥール様の懐妊中に亡くなられてしまったが、おそらく最後まで娘の事を案じておられたに違いない。
セクトゥール様がお父君についてよく話されるため、マイラ様も見も知らぬお祖父様が大好きだ。
だからヴィルトにも何度となくお祖父様の事をお尋ねになる。
「お祖父様ってどんな方?」
「お優しい方でしたよ。お母君のセクトゥール様の事も大層可愛がっておられました」
アダモス卿の傍近くに仕えていたヴィルトは、セクトゥール様とお父君のエピソードならばいくらでも知っている。
お父君がどれだけセクトゥール様を可愛がられていたかをお話しすると、マイラ様は毎回目を輝かせてそれに耳を傾けられるのだ。
なので今日もせがまれるままにその話をしていた訳だが、今回に限ってはマイラ様はいきなり思いもしない方向に話を持っていかれた。
「お祖父様に髪の毛はあった?」
……何故、ピンポイントにそこをお尋ねになるのだろう。
まずは髪の色から尋ねるのが普通ではないだろうかとヴィルトは心の中で呟いた。
マイラ様はワクワクと答えを待っておられ、嘘を言う訳にもいかなかったヴィルトは仕方なく真実をお伝えする事にした。
「……額はやや薄くなっておられました」
というか、ぶっちゃけかなり後退していたが、余りあからさまには言いたくない。
一方のマイラ様は、それを聞いた途端にぱあっと顔を明るくした。
「じゃあ、ヴィルトとお揃いなのね!」
「……」
敬愛していた主人と一緒というのは喜ぶべきところだろうが、こればかりは素直に喜べなかった。
私の方がまだ幾分踏みとどまっています、という余計な一言をうっかり言わないために、ヴィルトはごほんと一つ咳払いをした。
踏みとどまっているとはいえ、五十歩百歩の状態である。それにいずれ、自分は敬愛するご主人様を追い越してしまう事だろう。
「そう言えば、ヴィルトには家族はいないの?」
ふと気付いたようにそう問われて、ヴィルトは答えをちょっと躊躇った。
実はヴィルトには結婚経験がある。
一般に、従僕が家庭を持つ事を雇い主は喜ばないものだが、アダモス卿はそれをヴィルトに許して下さっていた。
妻は下女としてアダモス家に仕え、忙しいなりに幸せな家庭生活を送っていたと思う。
けれど結局、子には恵まれず、その妻も数年前に病で亡くなった。
ヴィルトにとっては辛い記憶であり、わざわざ口に出してマイラ様まで悲しませるのは本意ではなかったため、ヴィルトは生家の話をする事にした。
「私は三人兄弟の末っ子でしたから、兄二人はそれぞれ家庭を持ってどこかで暮らしていると思いますよ」
「どこかでって、会ってないの?」
心配そうにマイラ様が聞いてくるから、ヴィルトは「そうですね……」と微笑んだ。
「十で家を出されてからは、会っていません。
でも寂しいとは思っていませんよ。私はいい旦那様に巡り合い、大層可愛がってもらえましたから」
従僕見習いとして貴族の家に奉公に出され、それからはただ生きるのに必死だった。
草むしりや洗い物、邸宅の掃除に家畜の世話……。家の雑用をこなしながら経験と実績を少しずつ積んでいき、ようやく従僕になれた時は嬉しくて堪らなかった。
貴族の使用人にとって、従僕は花形の職業だ。パリッとしたお仕着せに身を包み、主人の身の回りの世話や、給仕や接客など人前に立つ仕事をする。
この時に重要なのは、見目の良さだった。
最低限の礼儀や常識は弁えていなければならないが、従僕は家の顔でもあるため、容姿に優れている事が必須条件だった。
この辺りから何となくわかるように、ヴィルトは若い頃は大層ハンサムだった。
すらりと背が高く、すっきりとした二重の瞳をしていて、だからこそ二十二歳の時に格上の貴族であるアダモス家に転職を果たす事ができたとも言える。
四十を過ぎた辺りからだんだんと額が後退し始めたのはヴィルトにとって想定外だったが、その頃には主人の信頼も厚く、第一従僕としての地位も安定していて、髪の毛の寂しさで職を失う事はなかった。
お読み下さってありがとうございます。
少し先の話ですが、セルティスの異母姉、マリアージェを主人公とした物語、「アンシェーゼ皇家物語3 型破り皇女の結婚事情」が11月に発売される事となりました。よろしくお願い致します。




