皇子、皇弟となる
一話と二話を投稿してから、随分時間が経ってしまいました。
どうか楽しんでいただけますように。
さて、セルティス皇子殿下と順調に友情を育み、切磋琢磨しながら勉学や鍛錬に勤しんできたケインであるが、その年の終わりに国を揺るがす大事が起こった。
パレシス皇帝が死去されたのである。
夜の闇に包まれていたアントーレ騎士団内は瞬く間に騒然となった。
建物中に響くような大きな銅鑼が鳴らされて、騎士らの怒号が飛び交う中、半武装で就寝していた百人弱の一個小隊が直ちにアントーレの城塞から出動していく。
他の小隊も準備が整い次第、皇宮へと向かうらしく、明々と松明が灯された広い訓練場には身支度を整えた正騎士らが次々と整列をしていった。
余談ではあるが、こういう大事にケインたち見習いは全くお呼びではなかった。
国同士の戦などで消耗戦になれば、ひよっこたちだって出動の機会が与えられるのかもしれなかったが、今のところ頭数にも入っていない。
なので、寝間着姿のまま廊下に飛び出して、これからどうなるんだろうと顔を突き合わせて、かしましく騒ぎ立てるばかりである。
漏れ聞く怒号を繋ぎ合わせれば、皇帝陛下が急死され、アントーレが擁立しているアレク皇子殿下の命が危険に晒されているという事だけは何となくわかった。
もしアントーレが、ロマリス殿下を旗印とするレイアトー騎士団に遅れをとる事があれば、アレク殿下は殺され、アントーレ騎士団の上層部も揃って失脚する事態になるだろう。
ひよこたちにとっても、非常に気になる今後だった。
向かい部屋の同期らとひとしきり喋り、ケインが部屋に戻ってみると、セルティスが服を着替え始めていた。
因みに今は二人部屋である。お目付け役でもあった最高学年生の二人がこの春に卒業したので、今は四人部屋を二人で使わせてもらっている状態だ。
そう言えば、死んだのはセルティスの父上だったとようやく気付き、「あー……この度は……」と、ケインがもごもごとお悔やみの言葉をひねり出そうとすると、「別に悲しくもないし、いいよ」とあっさりセルティスに返された。
「それより兄上の事が心配。父上も今日死ぬんなら死ぬで、予め教えてくれていれば良かったのに」などと無茶な事を言っている。
「皇帝陛下に会いに行かれるつもりですか?」
一応聞いてみると、セルティスはちょっと考え、「行く意味がないし、多分このままアントーレに匿われるんだと思う」と言った。
「でも、今後の事について騎士団長と話をしておかないといけないし、寝間着だと格好がつかないからね」
その言葉通り、すぐに正騎士がセルティスを宿舎に迎えに来て、セルティスはその二人に護衛される形で出かけて行った。
平時ならば、団内を移動するのに護衛騎士がつくなど考えられないが、今はそれほど身辺が危ぶまれるという事なのだろう。
その後は目をしょぼしょぼさせながら今後の成り行きを見守っていたケインらであったが、やがて東の空が白々と明るくなり始めた頃、アレク皇子殿下が皇帝宮を制したという知らせがアントーレにもたらされた。
団内は沸き立ち、ひよっこたちももう大喜びである。歓声を上げ、互いの肩を叩き合って、殿下の無事を喜び合った。
これで騎士団長の首も繋がった。
皇族を平気で反省房にぶち込める漢気のある幹部連中もそのまま残留という事だ。
その後、紆余曲折があってアレク新皇帝の治世が始まり、ケインたちも日常に戻って再び勉学や鍛錬に明け暮れるようになっていく訳だが、そんな時、セルティスに大打撃を与える大きな事件が起こった。
異父姉であるヴィア側妃殿下が、ガラシアの地に静養に出されたのだ。
その前日、セルティスはセクルト連邦の公子方との会食が入り、自分の宮殿である紫玉宮に泊まっていた。
普段なら翌日の講義に間に合うように朝早くに帰ってくる筈なのに、その日の夜になっても、翌日の朝になっても何故かセルティスが帰ってこない。
どうやら体調を崩されたようだと教官から聞いたケインは、紫玉宮にセルティスを見舞いに行く事にした。
紫玉宮ではすぐに居室に通されたが、二日ぶりに会ったセルティスは何だかものすごく暗かった。寝付いてこそいなかったが、どんよりとして覇気がなく、心なしか目元も赤い。
ここまでしょげきったセルティスを見るのは初めてで、「大丈夫なの?」と聞いてみれば、「さぼりだから気にするな」と力ない声で返された。
よくよく理由を聞いてみれば、セルティスの大好きなヴィア姉上が皇宮を出られたのだという。
「ガラシアならそう遠くないし、会いに行けばいいじゃないですか」と言ってみたら、そんなケインをちらっと見て、「もう会えない」とセルティスは小さく呟いた。
それで初めて、事態が思うよりも深刻である事をケインは知った。
つまりヴィア側妃殿下は二度と皇宮に帰って来られないし、セルティスがガラシアを訪れるのも許されないという事なのだろう。
そうした政治的背景は、カルセウス家の嫡男であるケインにはおぼろげに理解できた。
前皇帝が亡くなるや国を二分する皇位継承争いが勃発し、ようやく新皇帝が即位されたばかりのアンシェーゼである。
まだ二十歳代の若い皇帝は国を完全に掌握できておらず、その政権を陰になり日向になり支えてこられたのが母后であるトーラさまであったのだが、この皇太后陛下がつい先日、急死されてしまった。
揺らぎ始めた政治基盤を強固とするために、皇帝陛下には一刻も早く皇后を迎え入れる事が求められたが、皇后を迎えるにあたり、一番の障害となるのがヴィア側妃殿下の存在だった。
後ろ盾となる臣下は持たれぬものの、皇位継承者の異父姉という無視できない立ち位置にあり、現皇帝も憎からず思っておられる。
そしてその美しさは衆目の認めるところで、臣下からも賢明な人柄を愛されており、そのような側妃が皇帝の傍らにあれば、必ずや皇后と対立する事は目に見えていた。
だからこそヴィア側妃殿下は遠ざけられた。
今回の静養を主導されたのが皇帝自身なのか、政権運営を案じた臣下らの進言であったのかはわからないが、ヴィア側妃は存在そのものを抹殺されなければならず、そのためセルティス殿下は会う事も禁止されたという事ではないだろうか。
取り敢えずこのまま引きこもっていても気が滅入るばかりなので、ケインはセルティスを説得して無理やりアントーレに連れ帰った。
が、講義に出るようになっても、セルティスはそれまでの朗らかさが嘘のように沈み込んでいて、ケインは困り切ってしまった。
気分を引き立てるようにあれこれ遊びに誘ってみたり、こっそり酒をくすねてきて飲ましたりしてみたのだが(セルティスは酔うとやたら陽気になるタイプで、その時は超ご機嫌で馬鹿笑いしていたが、翌日はその反動で地面にめり込むように落ち込んでいた)、どれも思うような手応えがない。
で、ケインは思い付いた。
そういや以前から、セルティスはお忍びなるものをやりたがっていたなと。
下級騎士が身に着けるようないで立ちで皇都ミダスの街を自由に歩いてみたいというのがセルティスの昔からの夢で、皇子殿下がそんなん無理だろ? とケインは思っていたが、もうそのくらいしかセルティスの気分を浮上させる事が思いつかない。
で、試しに「やってみます?」と話を振ってみたところ、セルティスは一気に乗り気になった。
心なしか血色も良くなり、「掌広場に行きたい!」といきなり言ってきて、「どこそれ?」と思うケインである。
さて、仮にも皇位継承権第一位の皇弟殿下を外に連れ出す訳だから、いくらケインでも『こっそりやっちゃえ!』という気にはなれなかった。
やんちゃ上等! がケインの信条(?)だが、そこら辺のバランス感覚はしっかりしているのである。
なので、ひよっこ騎士らにとっては雲の上の存在であるアモン副官に、直接許可をもらいに行く事にした。
「何の用だ」
のっけに厳しい顔でアモン副官にそう質されたケインは、実のところちょっとびびったが、ここが騎士の踏ん張りどころだとお腹にふんと力を入れた。
「セルティス殿下が市中に出掛けたいと言ってるので、許可をいただきたいのですが」
「……何故、私のところへ?」
ごく当然の疑問である。外出許可なら、舎監を兼ねた教官に話を通すべきだろう。
見習い騎士風情がいきなり騎士団ナンバー2のところに乗り込んできて外出許可を求めるなど、常識では考えられない。
だけどケインには、ケインなりの言い分があった。教官に申し出ればセルティスのお出かけは公的な市中見学となってしまうだろう。
物々しい警護を引き連れてのお出かけなんて、セルティスが望むものとは程遠い。
けれどその辺りのことをいくら説明したところで、規則と規律を重んじる教官がお忍びの許可を出してくれるとはとても思えなかった。
だからケインは、こうした常識を吹っ飛ばせるくらい強い権限を持った人間と直接交渉しようと思いついたのである。
となれば、その相手はアモン副官しかいなかった。
本来ならば取り次いでもらえるような立ち位置にいないケインではあるが、何と言っても同室者はこの国の皇弟殿下である。
「殿下の事で、副官に内々でご相談したい事ができたのですが」と深刻そうな顔つきで言ってみたところ、意外とすんなり許可がもらえた。
禁じ手ではあるが、取り敢えず会えたのだから良しとしよう。
「下級貴族の格好をして、市中を自由に歩き回ってみたいそうです。
セルティスが、いえ、殿下がおっしゃるにはアモン副官はお忍びの経験者だからわかって下さる筈だと……」
経験者なら頭ごなしに否定もしにくいだろうというのがケインの考えだ。ついでに駄目押しで、別の情報も付け加えておく。
「アレク兄上も行ってたんだから自分も行くって聞く耳持ちませんけど、まさか皇帝陛下もされてたんですか?」
しれっと名前を出してみると、アモンは苦い顔をした。
「国家機密だ。聞かなかった事にしろ」
えっ、国家機密だったのか。
まさかの言葉にケインは一瞬固まった。
人に言わなくて良かったと、内心で胸を撫で下ろすケインである。
一方のアモンは腕を組んでしばらく何事か考え込んでいたが、ややあって、「あー……、仕方ないな」と吐息をついた。
「私の一存では決められないから、陛下にもお伝えする事になる。だが、多分許して下さるだろう」
「ありがとうございます!」
ケインはびしっと敬礼して礼を述べた。アモン副官は反対ではないようだし、おそらく許可は下りるだろう。
後、これだけは言っておかなければと思い出し、ケインは口を開いた。
「殿下は私と二人で歩きたいって言ってますので、気付かれないように護衛をつけていただけますか?」
現皇帝に男児がいない今、セルティス殿下に何かあれば国が揺らぐ。
だからごく当然の事を口にしたまでなのだが、それを聞いたアモン副官は何故かまじまじとケインを見た。
「……。わかった」
実はこの時、アモンは自分たちのお忍びの事を思い出していた。
当時アモンは血気盛んなお年頃で、アレク殿下を市中に連れ出す時は命に替えても殿下だけはお守りする! などと自分に酔いしれ、四人で出かけたつもりでいた。
だが、騎士の叙勲を受けて初めて知った。
四人で出かける時は、大勢の護衛が密かについていたという事を。
冷静に考えれば、ごく当然の事である。アレク殿下は皇位に一番近いと言われていた皇子殿下であり、アントーレ騎士団や皇后派の貴族らにとっての唯一の希望の星だった。
その殿下に何かあれば、アントーレ卿を含めた騎士団の現幹部は全員更迭、下手をすれば処刑だし、片棒を担いだ殿下の侍従長も同じだろう。
責任を取れない騎士のひよっこ風情が、命をかけますなどといきがっても何の意味もなかったのだ。
因みに、父がそれをアモンに教えてくれた時、「お前たちの中で、護衛をつけてくれるよう頭を下げてきたのはルイタス・ラダスだけだった」と言われた。
「命に替えても守るくらいの事は言えぬのか」と覚悟を試すような言葉をわざとルイタスに言ってやったところ、「勿論、この命に替えてお守り致しますが、何かあった時、私の処刑とラダス家の断絶くらいでは贖えませんから」と平然と言い切られたと言う。
それを聞いた時、アモンは自分の青臭さをつくづく思い知らされた。
アントーレ家は、自分や父が処刑される事はあっても家の断絶はない。法令でそう定められているからだ。もう一人の友、グルークはモルガン家自体が没落しており、そもそもアレク殿下の側近とならなければいずれ家自体が淘汰されていただろう。
だが、ラダス家は違う。父親は内務卿で、アンシェーゼの名門として名を馳せていた家だった。家の断絶まで見据えて殿下に従っていたと知り、何て奴だとアモンは内心舌を巻いた。
こいつはそこまでの悲壮感は持っていないようだが、当時の自分よりは余程物事が見えているなと、アモンは改めてケイン・カルセウスを眺め下ろした。
殿下の同室者なので、時折教官にその様子を伝えさせているが、成績が優秀なだけでなく、人間力も高く、家柄をかさにきて傲慢に振舞う事もないと聞いていた。
面倒見のいい性格のようなので、今回の直訴もセルティス殿下の元気がない事を案じての行動だろう。
殿下の側近候補として申し分ないなとアモンは胸の内で呟いた。
「出かける際には諜報部隊を護衛につけてやろう。殿下には気付かれないよう行動するから心配しなくていい。お前も気付かないふりをしていろ」
「わかりました」
ほっとして顔を綻ばせたケインだったが、もう一つ、ある事を思い出して、「あのう……」と口を開いた。
聞いても聞かなくてもいい事なのだが、せっかくの機会だし、ちょっと尋ねておこうと思ったのだ。
「殿下が紫玉宮の自分の宝玉を持ち出して、換金して小遣いにするって張り切ってるんですけど、両替商って何なんですか。皇帝陛下もアモン副官もご存じだって言っていたんですけど」
アモンが天を仰いで何かぶつぶつと言った。ヴィア側妃が何ちゃらかんちゃら。
「……宝玉を持っていくと、価値を確かめて商人が引き換えに金をくれるところがあるんだ」
「そんなところがあるんですね」
ふうむとケインは納得した。金ならケインが用立てるつもりでいたが、セルティスは自分の金で遊びたいのかもしれない。
しかし、手持ちの宝玉を売るなんてすごい発想だなとケインは感心した。皇帝陛下を含めた皇族がたがそのような事をご存じであったとは、その方がケインにとっては驚きである。
「慣れない者が行くと買い叩かれるぞ。まあ、いい経験になるだろう」
重々しくアモンが言い、つい頷きかけたケインだが、次の瞬間、ふと首を傾げた。
「この経験が役立つ時はあるんでしょうか」
「ん?」
ケインとアモンは無言のまま顔を見合わせた。
アンシェーゼの皇族と高位の貴族があり金すべてを失い、両替商に金を用立ててもらうシチュエーション。
あったら非常に怖い。