マイラの独り言 1
マイラ視点のちょっとした短編です。
マイラが十の誕生日を迎えようとするちょっと前、二番目の兄セルティスの大親友が二年間の遊学を終えてアンシェーゼに帰国した。名を、ケイン・リュセ・カルセウスという。
ケインとマイラには面識がなく、ケインはマイラの事を名前くらいしか知らなかったと思うが、マイラの方はケインを良く知っていた。
何故なら兄のセルティスがこのケインについてよく話をしてくれていたからである。
多分兄は、小さい子の相手が余り得意ではなかったのだと思う。
それでも母と二人きりで過ごす幼いマイラのために時間を見つけて宮殿を訪れてくれ、自分が在籍する騎士学校の話を色々としてくれた。
そして、その中で必ずと言っていいほど話に登場するのが兄の親友のケインだった。
座学や実技に優れ、一見優等生っぽいこのケインは、実はかなりやんちゃな人間であるらしい。
今もおでこの上辺りには白いケロイド状の傷が残っていて、それは五つの時に庭の木から落っこちた時の名残なのだそうだ。頭なのでものすごく出血したらしく、血だらけになったケインを見てお母様が卒倒されたと聞いている。
その他にも、弟たちと追っかけっこをしていて庭の池に落ちてみたり(池の水をしこたま飲み、翌日お腹は下したと聞いた)、石垣に登っていて崩れた石で右手小指を骨折したり、お父様の愛馬に悪戯をして前髪をむしられたりと、その武勇伝に事欠かなかった。
騎士学校時代にも兄といろいろとやらかしてた。
その内容については教育上悪いから言わないと兄に言われたが(そう言われると余計気になるのが人情である)、反省文を提出させられただの、二人で外出禁止を食らっただの、果ては反省房にぶち込まれたんだの(兄は何故か得意そうだった)と聞いた時は、一体どれだけの悪さをしたのだろうとマイラはものすごく気になった。
という事で、皇后である姉からお茶会の招待客の名簿を渡された時、そこにケイン・リュセ・カルセウスの名を見つけたマイラは密かに驚喜した。
武勇伝てんこ盛りのあのケインと直に会えるなんて、ものすごく楽しみでならない。
ヴィアお姉さまは、「九つのマイラから見たら、おじさんばかりのお茶会はつまらないかしら」と心配していたが、マイラは決してそんな事はなかった。
何故ならマイラの好みは、同年代の洟垂れ小僧ではなく、包容力のある大人な男性であったからだ。
もっと言えば、将来的に大好きな侍従長のような髪型(てっぺんハゲではなく、順当に前から髪が禿げ上がっていくタイプ)となる男性が理想である。
侍従長の誠実な人柄と、少しずつ生え際が後退していく姿とがマイラの中では完全に重なっていて、だから額が広い人間を目にすると、マイラは心がちょっぴりほんわかする。
余りに特殊過ぎる趣味なので誰にも秘密でいたが、セルティス兄さまには何故か勘づかれて爆笑された。
優しくておおらかで少々のわがままなら笑って付き合ってくれて、頼りがいのある経験豊かな男性なら最高なのだけれどとマイラは思う。
マイラは乗馬が得意だから、一緒に遠乗りをしてくれるような相手であれば尚嬉しい。
そうして開かれたお茶会当日、どんなやんちゃな少年が来るのだろうとマイラは興味津々でケインの訪れを待っていた訳だが、お茶会を訪れたケイン・カルセウスはすらりと背の高い大人の男性で、マイラは一目でハートを射抜かれた。
まず、見かけが良かった。薄い金髪にグレーが混ざったようなアッシュブロンドで、瞳は優しげなヘーゼル色だ。
兄のようにぱっと人目を引くような美しさではないが、誰からも好ましいと思われる整った面立ちをしていて、眼差しには知性が溢れている。
そして、貴族としての落ち着きと風格が他の参加者らとは一線を画していた。
遊学に行っていたせいだろうか。他国の事情にも精通していて話題も豊富、そして物腰は優雅でどこまでも洗練されている。
マイラ世代の令嬢の相手も慣れているのか、茶会もさりげなくリードしてくれて、控えめでありながら機知に富んだ話術はまさに大人の男性を思わせた。
お茶会は成功裏に終わり、さすがマイラ様ですわと侍女達から口々に褒められたが、マイラは気疲れした事を理由に早々に自室に閉じこもった。
何だかふわふわと落ち着かず、誰とも話をしたくない気分であったからだ。
気が付けばケインと交わした会話ばかりが思い出され、もう少し淑女らしい返答を返せれば良かったとか、もっと大人っぽく振舞えれば良かっただとか後悔ばかりが頭に浮かぶ。
ケインは他国で王族のサロンにも招かれていたとも聞くし、とにかくすべてにおいて経験値が違うのだ。
あの世慣れた感じを思い出すだけでマイラの胸はきゅんとときめき、恥ずかしさといたたまれなさにごろごろとその場に転がりたくなった。
じっとしている事ができなくなったマイラは、そのまま行儀悪くベッドに飛び込んでばんばんと布団を叩いてみた。
シーツに押し当てた頬が熱い。嬉しいような怖いようなどっちつかずの気持ちが込み上げて、不安定に揺れる心を持て余したマイラは、「もう!」と顔を布団に埋めて呟いた。
そうこうしているうちに、マイラはセルティス兄様の来訪を伝えられた。
お茶会に出席した令息らを選んだのは兄様であったため、様子が気になったのだろう。
「どうだった?」と聞かれ、「楽しかったです」と何食わぬ顔でマイラは答えておいた。
まあ、嘘ではない。今も何だか心臓がバクバクしているが、お茶会自体は楽しかったと思う。
「ああ、ケインも褒めていたぞ。茶会の女主人の役割をきちんとこなしていたって。さすが私の妹だ」
兄から頭を軽く撫でられ、いつもならそれだけで気持ちがほっとするのに、ケインという名前を出されたせいで、心臓が跳ねあがった。
「緊張して余り覚えてないの。でも、ケイン様が褒めて下さったなら良かった」
気恥ずかしさを押し隠し、マイラは精一杯平気ぶってそう答えた。
恋がこんなに急に訪れるものなんて、マイラは知らなかった。初めての恋心をマイラは必死に隠していたが、何故か母様だけには知られてしまった。
母の勘は侮れない。
随分年上の方なのね……と母様は笑っておられたが、確かに九つの年の差は大きい。
ケインはもう十九歳だから、いつ大貴族の令嬢との婚約が調ってもおかしくなかった。マイラが成長するまで結婚しませんようにと、秘かに願ってしまうマイラである。
最近、母様はベッドに横になられている事が多くて、少しでも気分のいい日は陽の当たるテラスに母様を誘って二人でお茶を飲むようにしている。
用意させるのは、セディア姉様から教えてもらったハーブティーだ。
姉様は五月にラダス卿に降嫁されたが、その前に安眠効果のあるハーブや、血行促進や食欲を増進させるハーブを教えて下さったので、母様の侍医と相談しながらその日のハーブティーを選んでいた。
微熱と怠さが続いている母様を心配して、ヴィア姉様が皇帝付きの侍医を差し向けて下さったが、結局これといった病気は見つからなかった。
母様も、「大事をとって休んでいるだけだから」と笑うので、マイラもできるだけ気持ちを引きずられないように気を付けている。
さて、その母様の枕辺で大好きな刺繍をしながら、マイラは初恋に小さな胸を弾ませていた。
また会えたらいいなと思うけれど、社交デビューしていないマイラにはケインとの接点がそもそもない。
夏場になれば家族皆で高地にあるステファニア宮を訪れるので、その時に兄がケインを誘ってくれないかしらと、僅かな望みを繋いでいる状態である。
それまでは会う事もないと諦めていたが、お茶会からほどなくして、セルティス兄様が思いもよらぬプレゼントを用意してくれた。
マイラが十歳になるのを祝してミダスのサロンを押さえてくれたのだが、一人で連れて行くのは心許ないと、親友のケインを誘ってくれたのである。
マイラはもう天にも昇る気持ちだった。
お茶会から日を空けず、こんな機会を与えてもらえるなんて、運命までマイラの恋に味方してくれているようだ。
大はしゃぎのマイラは母様といっぱい相談して、ちょっとばかり大人っぽいラベンダー色のドレスを選び、意気揚々とデート(マイラの中では)に出掛けた。
こういう時、頼りになるのは兄様である。胸がどきどきと跳ねまわってどうにも落ち着かないので、馬車の中ではずっと兄様の腕にしがみついていた。
連れて行ってもらったのはとても乙女チックな可愛らしいサロンで、一目見てマイラはわあっと目を輝かせた。
猫足のテーブルは薄いピンク色で、ソファーはそれよりも色を抑えているが、背もたれ部分が貝殻フォルムとなっていて愛らしい。
窓辺にはフリルのついたバルーンシェードカーテンがつるされていて、庭園の庭木の影が僅かに映っている。
レースの色は一見白に見えるが僅かにローズがかっていて、フリルが重なるところは淡いコーラルピンクとなっているのも心憎い。
初めてのサロンであるので、マイラは精一杯大人ぶって紅茶にも砂糖は入れなかった。マイラがいつも砂糖を入れている事を知る兄はおやっという顔をしたが、何も言わずにスルーしてくれた。
サロンで過ごす時間は夢のようだった。
マイラは超ご機嫌でおしゃべりに興じていたが、数年前に兄が初めてサロンを訪れた時、ケインだけでなく貴族令嬢も一緒だったと聞いてテンションがだだ下がりになった。
しかもその貴族令嬢をサロンに誘ったのはケインなのだという。
自分より先にサロンに誘われた(別にケインは、今回マイラをサロンに誘った訳ではないのだが)女性がいると知り、マイラは焦った。
その上ケインは、その女の子の事をとても感じのいい子だったと褒めたのだ。
兄に問うと、その女性はケインと同年代で、かつ可愛らしい女性であったようだ。
それだけでもダメージを食らっていたのに、ケインは更に、殿下が姉君の事を褒めちぎっても全く引かなかった極めて稀有な女性とその女性を評し、我慢できなくなったマイラはつい、「わたくしだって気にしません!」と言い返してしまった。
我ながらはしたない真似をしてしまったものである。
初めてのデート(あくまでマイラ視点)がこんな顛末になってしまい、マイラはへこんだ。
まだ九つのマイラはうまく感情をコントロールできなくてその後はつい拗ねた態度を見せてしまったが、ケインはそんなマイラに嫌な顔一つしなかった。
マイラの気分が浮上するようにと色々話しかけてくれ、ひょんな事から猫の話題になって場は大いに盛り上がる事となった。
マイラは大の猫好きである。
大きくてつぶらな瞳といい、まるっとしたフォルムといい、ぷにぷにした肉球といい、猫にはマイラの心を鷲掴みにするような殺人的な愛らしさがある。
餌を欲しがっておねだりしてくる仕草には思わず胸がきゅんとなるし、喉を撫でてやると気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らしてくるところや甘えるように頭をすりすりする姿なんかも最高である。
切々とそれを訴えればケインは大きく頷き、無防備に腹を丸出しにして寝ている姿も愛らしいですねとにこやかに返してきた。
恋心を抱くケインと猫の愛らしさを共有できて、マイラはもう大喜びである。
「そうなんです! それにあの腹毛のふわふわした触り心地は極上ですよね! 思わず顔を埋めたくなります」と手を握り合わせてそう返したら、何故か隣のセルティス兄様はどこかもの言いたげな目でケインを見つめ、まっいいか……という目で軽く肩を竦めた。




