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そして茶トラは皇弟妃への階段を上る


 二人は来た時の勢いはどこへやら、魂が抜けたような顔で帰っていった。

 まあ、違約金を支払うのは人としての常識だし、金の算段については向こうが考えればいいだろう。


 それにしても、とケインは心に呟いた。

 ラヴィエ家を煩わせる邪魔な虫は追い払ったし、シアを皇后の侍女にする約束は取りつけたし、私ってすごい! と思わず自分を大絶賛してしまうケインである。


 とにかく侍女の件に関しては、ラヴィエ卿が納得してくれなければ、どう動きようもなくなっていた。

 だからこそ、誰がどのようにラヴィエ家を説得するかが非常に重要になっていて、ついでに言えばセルティスは最後まで自分が行きたがっていた。


 で、ケインがその使者だと知ったセルティスはその足でカルセウス家に突撃してきて(殿下のわがままに振り回された護衛の一個小隊が、まことに気の毒である)、ケインはその後延々とセルティスの惚気話を聞かされる事となった。


 セルティスがシアにものすごく執着している事はよくわかったが、ケインは半分くらい、ラヴィエ家はこの身分差を受け入れられないかもしれないと思っていた。

 勿論、説得には全力を尽くすつもりだったが、いきなり皇弟妃の話を持ち込まれたら誰だって二の足を踏むだろう。


 気が早いケインは、セルティスが失恋したらどうやって慰めようかなと頭の中であれこれ考えたが、何をどう言ったってセルティスはへこみまくるだろうし、最終的には時が解決するだろうという結論に達した。

 まあ、気晴らしに遠乗りとかに誘ってみてもいいし。


 でもこれで、取り敢えずの失恋は回避された。

 迷っていたラヴィエ卿にあのタイミングで侍女の件を勧めるって、私ってもしかして天才? と、ケインはもう一度心の中で自分を褒めたたえた。



 さてラヴィエ家では、あの後すぐ家族全員の招集がかけられて、今この場には、ラヴィエ卿夫妻と嫡男とシアの四人が勢ぞろいしていた。

 そのシアは、自分が皇宮に上がる事に決まったと知らされてやや呆然としていたが、その反面、どこかほっとしたような表情も見せていた。

 この話を断ればセルティスと完全に縁が切れてしまうと知っていたからだろう。


「あの、一つお伺いしたいのですが……」

 侍女となる事を自らの口で了承した後、シアは意を決したようにケインを見上げてきた。


「ケイン様は、わたくしが殿下の傍に上がる事をどのように思っていらっしゃいますか?」


 あっ『様』付けになったんだとケインは苦笑したが、まあ、カルセウス家の嫡男と知って呼び捨てにはしにくいだろう。

 眼差しには抑えようもない不安が揺らいでいて、ケインはどう言ったものかな……と穏やかにシアの顔を見下ろした。


 知り合いといえば自分とセルティスくらいしかおらず、見も知らぬ世界にシアは身一つで飛び込まなければならないのだ。

 しかも最終的には皇弟妃にと望まれている。

 いくらシアが気丈な女性であると言っても、身分差や年齢を考えると怯えてしまうのも無理はない。


「私は歓迎するよ」

 シアの不安を少しでも払拭できるよう、ケインは晴れやかに笑ってそう答えた。


「シアと居る時の殿下はとても楽しそうだ。明るくて前向きで、殿下の知らない世界もたくさん知っているから、まさに殿下の理想だと思う。

 それに乾パンの件もある。あれは十分誇っていい功績だ。戦時に携帯する軍食が美味いかまずいかは、軍の士気にも関わるからね」


 シアは家柄の低さを気にしているのだろうが、下手な野心を持っている家よりは余程いいとケインは思っていた。


 例えば皇帝陛下に何かがあった時、幼い皇太子よりも皇弟殿下の方が皇帝にふさわしいなどと言ってくるような家では話にならない。

 皇弟妃という立場を利用して政治にやたら口を出してくる女性も遠慮したい。

 皇弟というのはあくまで万が一のスペアで、必要以上に目立ってはいけないのだ。そうしたセルティスの立ち位置を知り、身を弁えられる者でなければ皇弟妃は務まらなかった。


「それに今の政治情勢もセルティス殿下に味方している。

 周辺諸国との関係が緊張状態にあれば、同盟を強固にするために殿下の結婚が使われるだろうが、今はそこまでの必然性がないんだ」


 年齢についても、皇后のかつての侍女、エイミ・ララナーダが前例を作ってくれているから心配は要らないだろう。何と言ってもエイミ嬢が見初められたのは二十一歳の時だ。


「殿下が十二になるまで宮殿に閉じ込められて育った事はさっきも言ったけど、姉君である皇后陛下は今でもその事を不憫に思われている。

 殿下の身分に惑わされる事なく、殿下個人を見てくれる女性と結ばれて欲しいと願われていて、そうした皇后の理想にもシアはぴったりとあてはまるんだ」

 

 それに、今ここでは口にしないが、一番のネックはセルティスの度の外れた姉上至上主義ではないかとケインは思っていた。

 あの性癖を容認できる女性でなければ、セルティスとはうまくやっていけない。

 おきれいな顔立ちとか、優秀さとか、血筋や身分の高さに令嬢たちの目は向けられているが、ケインに言わせれば、セルティスの本質は結構残念である。


「そう言えば、初めてお会いした時もお二人一緒でしたけど、ケイン様は殿下と随分親しいのですね」

 ふとそう問いかけられて、ケインは「そうだね」と笑って頷いた。


「騎士学校の宿舎で、殿下とは五年間、同室だったんだ。腐れ縁とも言えるかな」


 セルティスとの出会いを改めて思い起こし、あれから自分の人生は大きく動いていったなとケインは感慨深く心に呟いた。


 ちょっと人見知りだけど実はものすごい饒舌で、世間知らずでどこか憎めなくてちょっと寂しがり屋の皇子殿下。

 長男気質のケインと、好奇心旺盛でマイペースなセルティスとは何故だか妙に馬が合い、いつの間にかかけがえのない友となっていた。


 セルティスが度々我が家に来る事で、ケインは皇弟殿下の側近として周知されるようになり、周囲の貴族らが自分を見る目も変わってきた。

 セルティス繫がりで皇后陛下ともいつの間にか親しくなり、ついでに最近はマイラ皇妹殿下との接点も増えてきている。


 二回目のお忍びに出かけた数日後に、ケインはセルティスと二人でマイラ様をサロンに連れて行って差し上げた。

 初めてのサロンデビューを余程心待ちにしていたのだろう。目いっぱいおしゃれをしてこられたマイラ様はそれはもうお可愛らしく、「うちの妹たちよりぶっちゃけ可愛いわ」と、かつてどこかで心に呟いた台詞をそのまま繰り返したケインである。

 

 元々ケインは年下の子の相手には慣れていたし、話も大層弾んで、場は大いに盛り上がった。

 が、前回セルティスが初めてサロンを訪れた時、別の女性(今、目の前にいるシアだが)が同席していたと知ったマイラ様は、何だかひどい衝撃を受けておられた。


 どのような女性だったか事細かに聞かれ、殿下が姉上至上主義でも全く引かなかった稀有な女性だと褒めたところ、「わたくしだって、セルティス兄様が姉上至上主義でも全然気にしませんわ!」と妙な対抗意識を燃やして言い募ってこられた。

 余程、兄君の事が好きなのだなと、微笑ましさについ笑いそうになったケインである。


 その後マイラ様からは、サロンのお礼だと手作りのサシェが贈られてきて、ケインの方もマイラ様が喜びそうな贈り物をプレゼントしておいた。


 ケインとマイラ様の接点はそれだけにとどまらず、いつの間にかマイラ様はケインの末の妹と仲良くなっていて、家にも度々遊びに来られるようになり、そんなこんなで、今や家族ぐるみで親しくさせていただいている状態である。


 

「あっ、そう言えば一つ言っておきたい事が」

 大切な事を言い忘れていた事を思い出し、ケインは家族全員に向き直った。


「シア嬢が初めて殿下と会ったのは数年前のミダスの街中ですけど、殿下がお忍びで出かけられていた時の話なので、あれはなかった事にして下さい」


「な、なかった事、ですか?」


「はい。お忍びに出かけられた事は国家機密なので、くれぐれも他言無用でお願い致します」


「国家機密……」


 ラヴィエ卿夫妻とジョシュアとシアの顔が面白いほど青ざめた。

 ケインなんかは国家機密を知り過ぎてもう驚く段階も超えていたが(セルティスの初恋が皇后だという事もおそらく国家機密だろう)、まだこの四人は免疫がない。

 まあ、シアはそのうち慣れるだろう。


「という事で、殿下との出会いはシア嬢が皇宮に来られてからという事になりますね。どういう風に知り合うようになるかについては……」


 ケインはちょっと首を傾げた。

「まあ、どうとでもなるでしょう」


「そ、そうですか」


 どんなストーリーを仕上げるのだろうかとラヴィエ卿は若干気になったが、まあ考えても仕方がない事なのでそのままスルーしておく事にした。


「それと今回の件について、自分の口からはっきりとシア嬢に事情を説明したいとセルティス殿下がおっしゃっておられます」


「はあ。それはご丁寧に……」


 ラヴィエ卿は恐縮していたが、ケインに言わせれば、別に恐れ入る程の事ではない。セルティスがただ、シアに会いたがっただけだ。


 何と言っても、今回の件をラヴィエ家が了承したとしても(セルティスはケインが絶対に説得してくれると信じていた)、シアが実際に皇宮に上がるようになるまでは日にちがかかる。

 それまで会えないなんて我慢できない! とセルティスがわがままを言ってきた。


 本当に困った殿下である。まあ、優秀なケインなら、二人きりで会わせる事くらい簡単にできちゃうのだが。


「なので、シア。うちに泊まりに来てくれるかな。近いうちに迎えの馬車を寄越すから、その心積もりでいて欲しい」


「え? え……あ、はい?」


 ラヴィエ家の名はまだ宮廷に知られていないから、今ならば噂にならずにシアをカルセウス家に呼ぶ事ができる。

 

「シアの訪問に合わせて、殿下をうちに呼ぶからね。

 あっ、うちなら警護はばっちりだから、今度こそ覗き見はしないからそこは安心して」


 そう言えば求婚を受け入れたあのシーンを見られていたのだと思い出し、シアは途端に真っ赤になった。


 涙ぐんで「会えなくなるのは嫌……」と言ったりだとか、二人で盛り上がって抱き合ったりだとか、とんでもないシーンをケインと見知らぬ男性二人にばっちり見られていたのだ。

 それを思うだけで恥ずかしさに体が熱くなる。何だかとってもいたたまれない。

 ……これは少しだけ、レイに文句を言っても許されるだろうか。

 








 という事で、このようにして皇弟殿下の側近であるケイン・カルセウスは、殿下のキューピット役を見事に勤め上げた。


 そもそも二人の出会いを作ったのはケインだし(ケインがセルティスをお忍びに誘った事から運命は動き始めた。それを言うと、本当の功労者はあのスリの子どもかもしれないが)、再会については皇后の功績と言えるだろうが、仮面舞踏会の招待状を送って求婚の場を設けてやったのもケインだし、その後、殿下が最愛の女性との口づけを初めて交わす事となった場もカルセウス家である。


 成婚の一年後、思い出深い場所ってどこです? と聞いたケインに、セルティスは逡巡する事なく、カルセウス家の応接の間と言い切った。

 人んちを勝手に思い出の場所にするな……と思わぬでもなかったが、まあ、光栄と言えば光栄と言えるのかもしれない。



 さて、前半の功労者がケイン・カルセウスなら、オルテンシア嬢を皇弟妃へとのし上げた最大の功労者は皇后ヴィアであった。


 そのヴィアは、ケインから勧誘成功と報告を受けた翌日、筆頭侍女のレナル夫人をはじめとした七名の侍女を集め、にこやかに宣言した。


「ひと月後、新しい侍女を皇后宮に迎えます。名前は、オルテンシア・ベル・ラヴィエ。

 いずれ、セルティスに見初められる予定の子です。

 皆でどうか可愛がってあげて」


 ヴィアの言葉に、事情を知る侍女たちは笑いを堪えながら深々と頭を下げた。


 セルティス殿下が皇后の侍女を見初める手筈はすでに整っている。侍女とは名ばかりで、この先、皇族となるための教育が皇后主導で行われていく事も。


 すでに軍部では、軍食の救世主である令嬢が皇后の侍女に抜擢されるようだと専らの噂になっており、いずれ貴族社会にもその噂が少しずつ浸透していく事だろう。

   



 ラヴィエ卿令嬢が皇后の侍女に抜擢されて五日目、皇弟殿下が偶然、皇后の許を訪れ、新しい侍女にお言葉を掛けられた。(本当はもう少し先の予定だったが、セルティスが『待て』をできなかった)

 その後、皇弟殿下は日を空けず、皇后の許に来られるようになり、皇后の許しを得て二人で仲睦まじく会話される姿が見かけられるようになる。

 

 半年後、その侍女は突然職を辞し、皇弟殿下の側近中の側近と言われるケイン・リュセ・カルセウスの家に養女に迎え入れられた。

 カルセウス家は、養女となったオルテンシアのために大々的な祝賀の宴を催し、その五日後、衝撃的なニュースが宮廷を駆け抜けた。皇弟セルティス・レイ殿下と名門カルセウス家の令嬢オルテンシアの婚約が発表されたのである。




 『皇后の侍女となった未婚女性は皆、玉の輿と言われるような良縁を繋ぐ』と言われた皇后ヴィアの神話は、この皇弟妃オルテンシアを以って完結する。

 以降、皇后が未婚女性を侍女に迎える事はついになく、その皇弟妃殿下と言えば、かつての主人であり、義理の姉君となった皇后に傾倒し、皇家の一員としてよく仕えたと史書には記されている。


 皇弟殿下との間に三男四女をもうけ、朗らかで優しく賢明な妃として夫君から生涯愛された皇弟妃殿下であったが、実は、『皇后を称える会』の会員番号、一万二千三百四十九番を持っていた事は余り世に知られていない。







ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

紫玉宮にずっと閉じ込められ、社会から隔絶されて育った世間知らずのセルティスが成長していく過程やその恋の物語を、側近のケイン視点で楽しんでいただけたら幸いです。

またどこかでお会いできますように。

ありがとうございました。


レビューをいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。



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[良い点] シアが幸せになったこととセルティスが好きな人と結婚できてとてもよかったです。 [気になる点] シアは軍部から壮大な支持を得たそうですが、そうなると元婚約者のことは当然シアの地元の人たちは知…
[一言] 確かコミカル?すぎて寵妃〜のどこかで、別の話で〜とかあったの分かりました〜 まぁ寵妃も端々楽しいのですが、かなりにやにや笑わせてもらった話でした♪
[気になる点] 完結からしばらく経っていますが、どうしても気になることがあります。 ハゲの誤解は、解けたんですかね?
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