茶トラの家は、招かざる客を迎え入れる
ラヴィエ卿はぽかんと口を開けた。
「侍女、ですか?」
「はい」とケインは頷いた。
「シア嬢を守るにあたり、皇后のお傍以上に安全な場所はありません。
現在、ラヴィエの乾パンを軍部に周知させている段階ですが、軍食の改善に力を尽くした功績でシア嬢をご自分の侍女に迎え入れたいと皇后はおっしゃっています。
実を言いますと、この侍女の職は未婚の貴族女性に大層人気がありましてね」
「そ、そうなのですか?」
「ええ。と言いますのも、皇后の侍女をしていた貴族女性は、皆が皆、玉の輿と呼ばれるような良縁を結んでいるのです。そのせいで希望者が殺到している訳ですが、現在は皇后のご希望で既婚女性しか傍に置いておられません。
もしシア嬢が皇后の侍女として皇宮に上がれば、それだけで注目を集める事になるでしょう。何と言っても良縁が約束されたようなものですから」
ケインは一旦、言葉を切り、表情を改めてラヴィエ卿を見た。
「お見かけしたところ、シア嬢のマナーも知識量も貴族令嬢としては申し分ない。
皇弟妃となるのであれば、相応の教育を更に受けていただくようになりますが、それについては皇后が責任をもってご指導なさる事でしょう。
まずは侍女として皇宮に上がり、宮廷の雰囲気に慣れていただくのが肝要かと思います。
その上で、どうしても皇弟妃になる覚悟がつかないと言うのであれば、皇后はシア嬢の気持ちを尊重して下さいます。ご結婚についても、責任を以って良縁を探される事でしょう。
そしてもし、シア嬢が殿下と共に歩む覚悟が定まった場合ですが、その時はラヴィエの名前は捨てていただくようになります。
相応の家の養女となり、その家の後ろ盾を得て立妃されるという流れになる」
その言葉にシアが僅かに息を呑み、
「父や母ともう二度と会えなくなるという事ですか?」
と、小さな声で聞いてきた。
ケインは慌てて首を振った。
「名義上の後見人を作るという意味で、ラヴィエ家と一切縁を切るという事ではない。
家族と会えなくなる寂しさを殿下は誰よりもわかっていらっしゃる。会いたい時にご両親に来ていただけばいいと思う」
と、ラヴィエ卿は静かな眼差しで娘を見た。
「シア。貴族の女性は、嫁げばそう簡単には親と会えなくなるものだ。
それよりもお前は、この話についてどう思っている?
余りにも思いがけない話で私も未だ混乱しているが、もしお前が殿下との縁を切りたくないのなら、カルセウス卿のお話を受けるのが一番いいだろう。
……あるいはきちんとこの話をお断りし、このまま二度と殿下とお会いしないか、だ」
シアは狼狽えたように視線を揺らがせた。
レイと会えなくなるのは嫌だと強く思った。けれどレイと生きていくという事は、自分が皇族の一員となるというのと同義だった。
どちらを選んでいいのかがわからない。というより、今のシアにはどちらも選べなかった。
共に生きる以上、レイの足手まといにはなりたくない。けれど、皇弟妃になると考えただけで今は身が竦んでしまう。こんな自分が嫁いだとして、果たしてレイを幸せにできるものだろうか。
どちらの答えも口にできぬまま、ただ両の手を握り合わせて俯く娘に、ラヴィエ卿が声をかけようとした時だった。
何やら玄関口の辺りが騒がしくなり、居丈高な男の怒鳴り声と、それを押しとどめようとする者たちの声が響いてきた。
どうやら招かれざる客がやって来たものらしい。
「性懲りもなく、また押し掛けてきたのか……」
ラヴィエ卿は我知らず小さく舌打ちした。
このところ、三日にあけず、カリアリ卿やアントがラヴィエ家を訪れている。いつも玄関先で追い散らしているのだが、ひとしきり家の前で騒ぎ立てるため、妻やシアがその怒声に怯えるようになっていた。
とその時、扉が慌ただしくノックされて一人の使用人が姿を現わした。
「お館様、申し訳ございません。ダキアーノ卿とカリアリ卿がかなりの数の護衛を連れて怒鳴り込んで来られました。
このままでは護衛同士の乱闘となりかねません」
シアが怯えたように妻のドレスの袖辺りを握り締めるのを視界の片隅に入れながら、ラヴィエ卿はどうしたものかと唇を噛みしめた。
相手をしてやってもいいのだが、今は客人が来られている。家格の高さを思えば、待たせるべきはあの二人の方だろう。
と、それを見ていたケインが静かに声をかけた。
「お相手をして差し上げたらいかがです。どちらにせよ、こうも騒がしくされてはゆっくり話もできませんから」
あの二家がまるで嫌がらせのようにラヴィエ家を訪問している事をケインは把握していた。
ブロウ卿から強い抗議はしているのだが、二家は全く聞く耳を持たず、ラヴィエ家だけを標的にしてしつこい訪問を繰り返しているのだという。
このままでは音を上げたラヴィエ家が意に添わぬ和解を選んでしまうかもしれないとブロウ卿は案じており、ケインもその事は気にかかっていた。
少なくとも招かれざる訪問を続けている限り、ダキアーノ家側は違約金を支払う意思はあるのだと周囲に見せつける事ができる。
長丁場となれば、せめて元本だけは取り返したいという焦りがラヴィエ家の方に出て来るだろうし、そうなれば彼らの思うつぼだった。
「しかし……」
カルセウス家への非礼にならないかとラヴィエ卿は躊躇ったが、ケインは「二人を通してください」と再び言葉を重ねた。
「決着をつけてしまいましょう。この件を長引かせれば、ラヴィエ家がなめられるだけだ。
この際ですから、ラヴィエ卿もあの二人に言いたい事をすべて言ってしまわれるといい。
どう話がこじれようと、私が何とかしますから」
その言葉に、ラヴィエ卿は覚悟を決めた。
顔を合わせてもいい事にはならないといつも追い返させていたが、確かにこの状況が続けば、こちらが疲弊するばかりだ。
「確かにあの二人に言ってやりたい事は山のようにあります。
お言葉に甘え、カルセウス卿のお力をお借りする事に致しましょう」
やがて使用人に案内されたアントとカリアリ卿が応接の間に姿を見せた。
因みに、夫人とシアはすでに館の奥深くに遠ざけてある。あの二人がどのような暴言を吐いてくるかわからないからだ。
案の定、顔を見るなり、カリアリ卿はラヴィエ卿に食って掛かってきた。
「この私に何度も無駄足を運ばせて、一体どういうつもりだ!」
身勝手な言い分にラヴィエ卿はうんざりしたが、一応、儀礼的に二人に椅子を勧めた。
「無駄足を運ばせたも何も、私は来ていただきたいとは一言も言ってはおりません」
一方のアントは、ラヴィエ卿の横に見知らぬ若い男性が座っているのを見咎め、「貴公は誰だ?」と尊大な口調でケインに聞いてきた。
関係がない者は出ていけと言わんばかりの物言いだったが、ケインはそ知らぬふりで、「こちらにはお構いなく」と薄い笑みを浮かべた。
「ラヴィエ卿の知り合いの遠縁です。卿と話をしていたところに、ちょうど貴方がたが来られましてね。
話があるのでしたらどうぞ先に済ませて下さい。
お譲りしましょう」
人を食ったような態度にアントは思わずかっとしたが、このような男に時間を割くのももったいないとすぐに思い直したようだ。
ラヴィエ卿に向き直り、怒りのままに喚き散らした。
「話があるからこんな田舎にまで足を運んでやったんだ! 何度来ても玄関払いして一体何様のつもりだ! 今日こそは話をつけてもらうぞ!」
そちらこそ何様のつもりだとラヴィエ卿は思い、煩わしげに肩を竦めた。
「話をつけるも何も、すでにこの件はブロウ家の預かりとなっています。
話があるのでしたら、ブロウ家にお行き下さい。我が家に来られても迷惑なだけです」
「ブロウ家は関係ないだろう!」
横からカリアリ卿が喚いてきた。
「そもそもダキアーノ家との婚約は、私が取り持ってやったんだ。この三者で話をつけるべきだろう!
それを金欲しさに、他所の寄り親まで引っ張り出しおって!
大体あの金額はどういうつもりだ。持参金の二・五倍を払えだと? ラヴィエ程度の家格のくせに、我がカリアリ家に歯向う気か!」
「歯向かうも何も……」
ラヴィエ卿は不愉快そうにカリアリ卿を見た。
「我々が交わした契約書には、最低でも二倍の違約金が支払われると明記されています。
まして様々な事情を鑑みれば、三倍でもおかしくないと寄り親のブロウ卿も言われました。
それを二・五倍に下げて差し上げているのです。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いではありませんが」
「寄り親を勝手に替えるなど、この私は了承しておらん! この家の寄り親はまだ私の筈だ!」
顔を真っ赤にして喚いてきたカリアリ卿に、ラヴィエ卿は、「はて」と薄い笑いを浮かべた。
「寄り親とは寄り子を守ってくれる家の事です。
貴方は当家に何をなさって下さいましたかな。
理由にもならない理由で婚約を解消し、違約金まで勝手に減額してくる家に、文句の一つも言おうとなさらない。
貴方が当家の寄り親というのでしたら、そこの男からきちんと金を取り立てて下さるべきでしたな」
「オルテンシアには新しい縁をいくらでも用意してやると言っただろうが!」
カリアリ卿がそう反論してくるのへ、ラヴィエ卿は話にならないとばかりに首を振った。
「これ以上ない悪縁を持ってきた貴方に二度と関わって欲しくないと私も申し上げた筈だ」
「悪縁だと?」
プライドだけは山のように高いアントが、その言葉に食いついてきた。
「下級貴族の分際で、我が家を馬鹿にする気か!」
「では、どう言えばよろしいのです」
ラヴィエ卿は怖じる事なく応じた。
「九つの時から十年以上も婚約者としてシアを縛り付けておきながら、他にもっと条件のいい娘が見つかったからと、何の説明も謝罪もなく婚約を解消してくる。これを悪縁と言わず何と言うのですかな」
「そもそもが家格の違う縁組だろうが!」
アントはどんとテーブルを叩いた。
「こんな田舎貴族の、とりえ一つない娘と婚約してやっていたんだ。遡れば皇家の血を引く我が家と縁を結べただけでも娘の箔になった筈だぞ!」
「その田舎貴族との縁組を喉から手が出るほどに欲しがって、無理やり婚約を結んだ方の言う事ではありませんな」
ラヴィエ卿の返事は素っ気なかった。
「ただ一つ有り難い事は、このように我が家を見下すような家に娘を嫁がせずに済んだ事です。
できれば縁を繋ぐ前に戻りたいが、それができないのならば仕方ない。契約に基づいて相応の違約金をお支払い下さい。我が家が望むのはただそれだけです」
「ふざけるな……!」
アントはぎりぎりと奥歯を噛みしめた。二・五倍もの金なんてある筈がない。
そもそもアントが新たに婚約を結んだレオン家は、つい最近領地に鉱山が見つかって急激に収益を伸ばしてきた貴族だった。
持参金という名目のダキアーノ家の借財の額を聞き、二倍額はとても払えないというレオン家に、一・五倍にしたらどうだと話を持ち掛けたのが義兄のカリアリ卿だ。
違約金の金額など寄り親の力で何とでもなるし、寄り親に逆らうような寄り子はまずいない。
そう言われたレオン家は金が惜しくなり、ならば一・二倍に減額できないかとカリアリ卿に相談してきた。
払う額が少なければ少ないほど、その分を娘の持参金に足してやれるし、踏みつけにする格下の貴族の事情など、レオン家にはどうでも良かったからだ。
カリアリ卿も、それはいい案だと笑っていた。ラヴィエ家は文句を言ってくるだろうが、そんなものは力でねじ伏せればいい。新しい縁組でも見繕ってやれば気も済むだろうと、そんな風に三人で話し合っていたのだ。
「一・二倍でも、ラヴィエ家は十分に利益が出るではないか」
アントは訳の分からぬ理屈を持ち出し、その後、妙案を思いついたようにそうだ! と手を打った。
「で、では一・五倍額を支払おう。それで手を打とう。それがいい!」
カリアリ卿もいい案だと言わんばかりに話に乗ってくる。
「確かに、一・五倍額なら文句はあるまい! 元々ラヴィエ家は裕福な家だ。それで十分だな」
何がそれで十分だな、だ。余りに人を馬鹿にした言葉に、ラヴィエ卿は腸が煮え返る思いだった。
「寝言を言ってもらっては困ります。当家が裕福であるかどうかなどこの場では関係ない。
これほどの侮辱を当家に与えたのだ。違約金はきちんと支払っていただく。
邸宅を売るなり爵位を売るなり、取るべき方法はいくらでもあるでしょう!」
「な……!」
アントが顔を真っ赤にして言い返そうとした時、楽しそうな笑い声がそれに被さってきた。
「これは大変ですな」
まるで喜劇を見ているようだとケインは続け、おかしそうに肩を震わせた。
「関係ない者は黙ってろ!」
鬼の形相をしたアントが唾を飛ばして怒鳴ってきたが、ケインとしてはもうこれ以上聞くに堪えなかったのだから仕方がない。
「残念ながら、関係はあるのですよ」
ようやく笑いを収めて、ケインは二人に視線を向けた。
「この度私がこちらに来ましたのは、畏れ多くも皇后陛下からあるご提案を承ったからです。
ダキアーノ卿。
貴方が婚約を解消したオルテンシア嬢についてです」
部屋はしんと静まり返った。
「こ、皇后陛下からのご提案……?」
しわがれた声でそう聞いてきたのはカリアリ卿だった。
「し、失礼ですが、貴公のお名前は……」
ケインは微笑みを崩さぬまま、静かに答えた。
「ケイン・リュセ・カルセウスです。こちらの寄り親であるブロウ卿とは遠い親戚となります」
カルセウスという名に、カリアリ卿とアントは青ざめた。
田舎貴族のラヴィエ卿と違い、上昇志向の強い二人は、国内の有力貴族の名前くらいは当然頭に入れている。
カルセウス家と言えば、その家格の高さから過去には皇弟妃も輩出している家だ。名門中の名門といっていいだろう。
「カルセウス卿が何でこちらに……、い、いや、皇后陛下からのご提案とは一体……」
「実はこちらのオルテンシア嬢を、皇后陛下が侍女の一人に望まれましてね。その旨を伝えるべくこちらに来ました」
「皇后陛下の侍女……」
二人にとっては青天の霹靂である。
「な、なんでオルテンシアなんかを……」
そう言いかけたカリアリ卿は、ケインから不快そうな視線を向けられて慌てて言い直した。
「どうしてオルテンシア嬢にそのような話が……」
「こちらのラヴィエ家がマルセイ騎士団に卸している軍食が、三大騎士団で採用される事になったのです。その軍食の考案者がオルテンシア嬢だとお知りになった皇后陛下が、是非オルテンシア嬢を侍女に迎えたいと」
「軍食を考案した? そんな話は一度も私は聞いていないぞ!」
聞き捨てならないとばかりに声を荒らげるアントを煩わしそうに眺め、ラヴィエ卿はゆっくりと口を開いた。
「では逆にお聞きしますが、貴方はシアがどんな事に興味を持ち、何が得意で、好きな色は何か、どこまでご存知なのですかな?」
「そんな事、今はどうだっていいだろう!」
「どうだっていい……ですか」
ラヴィエ卿は苦々しさを噛み殺した。
「貴方はとことんシアに興味がありませんでしたからな。
最低限の社交にしかシアを誘おうともせず、一緒に参加しても最初の一曲だけを義務のように踊り、シアの事はそのまま壁の花にしていた。
話し掛けても低俗な話をしてくるなと言い、折に触れて家柄の低さを貶めてくるので、自分の話など何もできないとシアは言っておりましたよ」
妻からその話を聞かされた時の口惜しさを思い出し、ラヴィエ卿は膝の上の拳を握り締めた。
「所詮、貴方にとってシアは体のいい金蔓でしかなかった。
……家格の劣る卑しい娘と結婚しなければならないと貴方は散々身の不幸を嘆いておられたようだが、この際、その言葉はそっくり貴方に返させていただく。
当家はダキアーノ家との縁を望んだ事は一度もありません。散々嫌がったのに、そこのクズ親に無理やり押し付けられたのだ。よろしいか! 嫌がっても嫌がっても押し付けられたのだ!
我が家の援助のお陰で何とか貴族の体面が保てているというのに、当の相手はそれを感謝するどころか、我が家の家格の低さをあげつらい、娘までを蔑ろにする。
下種の極みとも言える家にここまで付き合って差し上げたのです。せめて違約金くらいはまともに払ってはいかがですかな」
おおー、下種の極み……。ここまで言っちゃうんだと、傍で聞いていたケインは大きく目を見開いた。
言葉としては知っていても、会話の中ではあまり使われない言葉だ。
この言葉をわざわざ選ぶなんて、ラヴィエ卿は余程腹に据えかねていたものがあったのだろう。
言われたアントの方は頭から湯気が出そうなくらい怒りまくっている。カリアリ卿も参戦してなかなか賑やかな事になっているが、もうこの辺で終わりにしていいかなとケインは心に呟いた。
これ以上続けてもどうせ罵倒の応酬だし、はっきり言って時間の無駄である。
ラヴィエ卿も言いたい事は言って気も済んだだろうから、そろそろ次の段階に進む事にしよう。
という事で、ケインはわざとらしく大きく咳払いした。
怒鳴り合っていた三人がはっとしたように動きを止め、ケインの方を窺ってくる。
皇后の使者の前で怒鳴り合うなど、貴族としてはあってはならない失態だった。
「貴族としての誠意を見せればそれで済む話なのに、お二人はどうやらその決心がつかぬようですな」
ケインは苦笑混じりにそう呟き、「ラヴィエ卿」と、静かに名を呼んだ。
「この一件を長引かせないためにも、シア嬢を皇后陛下の侍女とされる事を改めてお勧めします。
このまま醜聞の中にシア嬢を置かれていては、名誉が傷付くだけだ。皇后付きの侍女ともなれば箔もつきますし、悪い話ではないと思いますよ」
話し掛けられたラヴィエ卿の方は、ここでこの話を蒸し返すか! と思わず心の中で突っ込んでいた。
何だか前門の虎、後門の狼という気分である。
確かにこのまま金を払う払わないで揉め続けると、風評被害を一番被るのは可愛いシアだが、果たしてこんな簡単に皇宮行きを決めていいものだろうか。
と、躊躇うラヴィエ卿に対し、ケインは更に言葉を続けた。
「侍女ともなれば、皇后陛下の庇護下に入ります。
こちらでは、何か良からぬ考えを持つ男がシア嬢に近付いたとしても守り切れるとはとても思えません。まずは、シア嬢の安全を一番に考えられるべきです」
ラヴィエ卿は惑うような視線を床に這わせた。
「……おっしゃる通りかもしれませんな」
人を踏みつけにした上に、嫌がらせ紛いの訪問を平気で繰り返してくるような二人だ。ラヴィエ家が屈しないと知れば、今度はシアにその矛先が向いてくるかもしれない。
ここらあたりが潮時だと、ラヴィエ卿は覚悟を決めた。
「謹んでこの話をお受け致します。どうぞ皇后陛下に良しなにお伝えいただきたい」
ひっと声を漏らしたのは、二人のどちらであったのか。
ラヴィエ卿の返事にケインは満足そうに頷き、それから今や言葉もなく座り込んでいるアントとカリアリ卿の二人にゆっくりと視線を向けた。
「さて今回の一件ですが、皇后陛下はすでに、レオン家を含めた三家の名前をご存知です」
「え」
「ですので、一刻も早く貴族としての誠意をラヴィエ家に示されるべきでしょう。
陛下が三家への不快を示された後では、取り返しがつかない。そうなる前に、金をかき集めてでも、清算を済まされておく事をお勧めします」
「そ、そんな……」
カリアリ卿はぱくぱくと口を開けた。
一・五倍ならレオン家は悠々支払えた。二倍ならば、借財はしても今までとほぼ同じ生活が可能であっただろう。だが、二・五倍額となると、話はまるで違ってくる。
レオン家が収益を生む鉱山を含む領地すべてを売り払ったとしても、支払いきれるかどうか。
アントは唯一の財産であった家を手放すようになるだろうし、カリアリ家もまた、相応の代償を求められる筈だった。
おそらく家名だけは残せるが、落ち目となったカリアリ家から寄り子たちは離れていくだろう。
寄り子からの収入は途絶え、僅かばかりの領地を残すために多額の借財をし、これからは爪に火を点す様な生活が延々と続く事となる。
「それとあと一つ」
ケインはそれまでの笑みを消し、青ざめたままの二人に向き直った。
「金の返済はブロウ家を通じて行い、今後は一切、ラヴィエ家には近付かぬように。
もし今後、お二方がラヴィエ家に付きまとう事があれば、我がカルセウス家から相応の報復をさせていただく」