皇弟は乾パンを試食する
通された面談室で、三人は小さな丸テーブルを挟んで向かい合った。
貴族女性を男性と三人だけにする訳にはいかないため、シアの侍女が部屋の隅に控え、護衛たちには席を外してもらった。
これで気兼ねなく相手の近況について尋ね合う事ができる。
「それにしても、こんなところで会えるとは思わなかった。今は皇都に住んでいるの?」
無難なところから、ケインはまずそう尋ねかけた。
シアは自分たちと同年代なので、もう十八、九になっている筈だった。おそらくは結婚しているのだろうと思い、聞いてみたのだが、シアは「いいえ」と首を振った。
「用事があってこちらに出向いて来ただけですわ」
「……少し立ち入ったことを聞いて申し訳ないけど、結婚は?」
躊躇いがちに口を開いたのはセルティスだった。マナーに反する質問だが、どうしても気になったのだろう。
「まだなんです。婚約のまま、引き延ばされていて」
ややトーンを落としたシアの言葉に、セルティスは僅かに目を細めた。
「何か理由でもあるの?」
シアは小さく首を振った。
「理由と言えるような理由はないんです。まだ結婚はしたくないとおっしゃるだけで」
それ以上シアは口にしなかったが、その様子からケインは凡その事情を把握した。
元々金目当ての婚約であれば、婚約が成立した時点で、シアの家は相当な額を相手側に渡している筈だった。
家格が低いと馬鹿にしている家の娘を妻に迎えたくはない。だが婚約解消ともなれば、これまでにもらった金は全額返金となり、それどころか多額の違約金が発生する。だから相手の男は決心がつかぬまま、ずるずると婚約を引き延ばしているのではないだろうか。
ケインは思わず眉を顰めたが、セルティスも同じように思ったらしく、不愉快そうに言い捨てた。
「幼い頃からの婚約だと言うのに、はっきりしない奴だな」
それを聞いたシアはちょっとだけ笑った。
「怒って下さってありがとう」
そして柔らかな笑みはそのままに、静かに言葉を続けた。
「このままの状態だと肩身が狭いから、はっきりして下さったらとわたくしも思いますわ。
……でも今は、相手の方を悪く思いたくないんです。いずれはその方に嫁ぐようになる訳ですし、温かな家庭を築いていくためにも、その方のいいところを見るようにしなくてはいけませんもの」
「シアは……強いね。それにとても前向きだ」
思わずといったようにセルティスが呟くと、「強がりもかなり入っていますわ」とシアは苦笑した。
「わたくしのためというより、父や母のためなんです。わたくしが幸せにならないと、二人が自分を責めてしまいそうで」
そう言えば寄り家の圧力に負けて結ばれた縁組だったなと、今更のようにケインは思い出した。
「それにわたくし、レイのお母様のお話を今も覚えているんです。
望まぬ人生を強いられたのに、人生を嘆く事なく、明るく逞しく未来を見つめて生きてこられた訳でしょう?
そんなお母さまをレイは誇りに思っていらして、そんな風に子どもから思われる人生は素敵だなって心から思えたんです」
その言葉に瞠目するセルティスに、シアは「ここだけの話ですよ」といたずらっぽく声を潜めてみせた。
「もしもですよ、もしもわたくしの夫が本当に最低な人間だったとしても、わたくしはちゃんと素敵な人生を送れる可能性がある訳です。
それってすごい事だと思いませんか?」
ケインは笑い出した。なかなかに朗らかで逞しい女性である。
「うん。確かに父は最低最悪だったな」
シアの話にそんな風に乗っかってきたのはセルティスである。
「シア、聞いてくれる?
私の父はとにかく女癖が悪くてね。正妻の他に愛人が数人いて、そのすべてに母親の違う子を産ませているんだ。とんでもない男だろ?」
「え、じゃあレイには、母親の違う兄弟がたくさんいるのですか?」
目を丸くするシアに、「兄が一人に姉が三人、後、弟妹が一人ずつ。他に異父姉も一人いるけど」とセルティスは軽く肩を竦めた。
「今思い返しても、父は人間のクズだったと心底思う。目に留まった女性に次々と手を出して、妊娠してお腹が大きくなったら、興が削がれたとか言ってそのまま捨てるんだ」
すでに故人とはいえ、これは不敬罪にあたらないんだろうかと、隣で聞いていたケインは遠い目をする。
まあ、ここにはシアと侍女しかいないし、セルティスの身元がバレない限りセーフだろう。
「まあレイは、家絡みでいろいろあるからね」
ケインがそう口を挟めば、シアはふと、何か腑に落ちたように大きく頷いた。
あっこれ、円形ハゲと関連付けて考えたなとケインはすぐに気付いたが、幸いにもセルティスは気付かなかったようだ。
まあ気付かない方が本人の精神衛生上いいだろう。
と、その時軽くノックの音がして、セルティスの護衛騎士が室内に入ってきた。見れば、両手に盆のようなものを持っている。
「厨房をお借りして、私が淹れました」
ぎこちない手つきでお茶を勧めてくる騎士に、ケインは「ありがとう」と頷いた。
つまり、この飲み物なら口をつけていいという事なのだろう。
「こちらは?」
テーブル中央に置かれた蓋つきの菓子器を見て、セルティスが不思議そうに尋ねかけた。
「ラヴィエ嬢が持ってこられたお菓子だそうです。司祭様がお出しするようにと」
「さっきシアが持ってきた箱ってお菓子だったんだ」
騎士が部屋から下がった後、セルティスがそう尋ねると、シアはふわりと微笑んだ。
「ええ。うちの領地で作った乾パンですわ」
「乾パン!?」
ケインとセルティスの声が思わず重なった。
行軍時の携帯食として持たされる乾パン。訓練の時に何度か食べさせられたが、歯が立たないくらい硬いし、クソまずい。
アントーレ騎士団に入ってくるような人間はいずれも出自がいいので、これほどまずい食べものは初めてだと、みんなやけくそになって奥歯で乾パンを噛み砕き、必死に飲み込んでいた。仕上げに水嚢の水をがぶ飲みして、口中の味を頭から追い払ったのはいい経験だ。
「うちはマルセイ騎士団に軍食としての乾パンを納品しているんです。
余った乾パンは保存がきくので領地に備蓄しているんですけど、年に一回、備蓄を新しいものに変える時に古い分が余るでしょう?
まだ十分に食べられるものなので、近くの窮児院に持って行ったり、ミダスに来た時にこちらに寄付したりしているんです。
いざという時の食料として役立ちますし、ちょっとしたおやつ代わりもなりますわ」
これがおやつになるか?
セルティスとケインは顔を見合わせた。
シアが菓子器の蓋を取ってくれたので、二人は中を覗き込んだ。盛り付けられた乾パンはどこかいい匂いがして、二人は首を傾げた。
触ると確かに固く焼き上げてあるが、色といい、香りといい、普通に食べ物に見える。
一応毒見した方がいいのかなと、その一つを口に運んだケインだが、食べ終わった瞬間に思わず叫んでいた。
「何これ、うますぎる!」
ちゃんと歯で噛めるし、普通に美味しい。
「えっ、マルセイ騎士団って、こんな美味しい携帯食持たされてるの?」
ケインの反応を見たセルティスが待ちきれないように乾パンに手を伸ばし、味わうように何度か咀嚼して目を丸くした。
「すごい……。ちゃんと人間の食べ物になっている」
ひどい感想である。
「えっ、これをシアのところで作ってるの?」
驚きを隠せずに尋ねれば、「この乾パンのレシピを考えたの、私なんです」と、シアはちょっと恥ずかしそうにそう答えた。
「うちは領地収入のほとんどが小麦の売り上げなんです。
領地を豊かにしようと先代が小麦の品種改良を始めて、今ではそこそこの収入をはじき出せるようになっているんですけど、どうせならこの小麦で美味しいお菓子が作れないかなと思って。
皇都に住まわれるような貴族令嬢はお菓子作りなんてなされないのでしょうけど、わたくしの辺りは田舎なので、こういうのが許されるんです。
小麦粉の配合を変えたり、発酵の時間を変えたり、焼き上げる温度や時間を調整したり、試行錯誤してようやく出来上がったのがこちらですわ。
マルセイ騎士団に所属している兄に食べさせたら兄もすっかり気に入って、いつの間にか軍食として買い上げていただけるようになりましたの」
セルティスとケインは呆然として手の中の乾パンを見つめた。
アンシェーゼの三大騎士団があのクソまずい乾パンで、辺境のマルセイ騎士団がこんな美味な乾パンを食べていただなんて、衝撃の事実である。
「あと、味に飽きるといけないので、ゴマの入ったものもあるんです。ゴマは栄養価も高いから、栄養のバランスもとれますでしょう?
他にも、黒糖を使って砂糖とは違う風味を楽しめるようにしたものとか、少し塩気をきかせたものもあって、そちらも納品していますわ」
シアの言葉に、二人は弾かれたように顔を上げた。
美味しい上に味にも種類があり、かつ栄養バランスまで考えられているとは、まさに夢の行軍食ではないか!
三大騎士団にも欲しい……! とセルティスは切実に思った。
たかが行軍食、されど行軍食である。ただでさえ劣悪な条件下で、飯までもまずいというのは、ぶっちゃけやる気が削がれる。
行軍食は絶対に改善されるべきだろう。
「ねえ、これをもらって帰りたいんだけど、他にないだろうか? 食べさせたい人がいるんだ」
シアはちょっと考えた。
「箱詰めされたものは全部、窮児院に寄付してしまいましたけど、訳あり乾パンなら少し手持ちにありますわ」
「訳あり?」
「ええ、端が焦げたり、形が崩れたりしたものです。売り物にならないので、おやつ代わりに少し持参してきているんです」
そう言ってシアが侍女の方を見ると、「ええ、馬車にございますわ」と侍女が頷いた。
「シア。私を助けると思って、それをもらえないだろうか」
「勿論構いませんけど」
シアは小さく笑った。
「でも、よろしいんですの? 焼け焦げてたり、形も悪かったりしますのよ」
「大丈夫、大丈夫。兄とかに食べさせるだけだから」
えっ皇帝に食べさせるんだとケインはちょっと驚いたが、シアの方は、「こんなのでよろしければどうぞ」とにこやかに答えている。
真実を知らないって幸せだ。
「ああ、そうだ。家族と言えば、シアに伝えたい事があったんだ」
「何ですの?」
「あれから姉に会えたんだ」
「まあ!」
と、シアは我が事のように喜んだ。
「きっとレイが強く願い続けておられたからですわね。本当におめでとうございます。
お姉様はお元気でいらっしゃいました?」
「うん。幸せな結婚をして、今はもう三人の子どもに恵まれているんだ。甥っ子や姪っ子が、姉上に似てまた可愛らしくて……」
「相変わらず、お姉様が大好きでいらっしゃるのですね」
シアは楽しそうに言い、
「そう言えば、宮廷では姉上至上主義という言葉が流行っているのですって。レイはご存じですか?」
ご存じも何も、その言葉を流行らせた張本人が目の前にいるんだけどと、ケインは心に呟いた。
「勿論だとも。あんな素敵な言葉は他にないな」
セルティスは胸を張って答え、それを聞いたシアは思わず笑い出した。
「それでこそレイですわ! その言葉を聞いた時、わたくしも真っ先にレイを思い浮かべましたのよ」
さてそんな風に非常に楽しい時間をシアと共に過ごしたセルティスだったが、皇宮に帰るや、もらったお土産を引っ掴んで兄皇帝の執務室を突撃した。
「今日は下町を駆け回らなかったか?」とからかうように尋ねてくる兄に、「走りたかったけど今日は自制しました」としれっと答え、それよりも……と手に持った乾パンの包みを差し出した。
「……何だ?」
「お土産の乾パンです。兄上に食べてもらおうと思って」
「乾パン?」
アレクはものすごく嫌そうな顔をした。
同席していたグルークが、「今更、何で乾パンなんかを?」と問いかけてくるのへ、
「マルセイ騎士団に納品されている乾パンなんだ。アントーレで支給されているものと味を食べ比べて欲しくて」
セルティスが引かないので二人は渋々と手を伸ばし、義務のようにそれを口に放り込んだが、咀嚼して飲み込んだ時の彼らの顔は見ものだった。
「何だ、これは……!」
日持ちを重視する余り、石のように固く焼きあげ、そしてロクに味もしないような乾パンしか知らなかった二人は、やや固めだが噛めば焼き菓子独特の美味しさが口に広がってくるこの乾パンに大きな衝撃を受けていた。
呆然と顔を見合わせているアレクとグルークに、セルティスは一歩詰め寄った。
「兄上。辺境の騎士団が質のいいこの乾パンで、アンシェーゼの三大騎士団があのクソまずい非常食ってどこかおかしくないですか」
戦ともなれば、セルティスは皇族の一人として戦地に赴く覚悟はできているが、今の乾パン持参で行くのは悲し過ぎる。
「乾パンはあと残り十六個あります。因みに味は四種類で、普通タイプ、黒糖入り、塩味が効いたものとゴマ入りです」
ところどころ焼け焦げて端が欠けた歪な乾パンの包みをセルティスは高々と手に掲げた。
その乾パンに、皇帝とその側近の物欲しげな視線が向けられる。
味が違うやつをもう一つ試食させてくれないかなという視線を軽く無視して、セルティスは重々しく皇帝に奏上した。
「三大騎士団の団長と幹部を呼び、これを試食させて下さい。
行軍中の兵士らの士気向上のためにも、軍食の改善についてご検討下さる事を提案致します」




