四杯目
『ちなみに人数とどんな店が良いか教えてくれ、詳しいほど良いぞ』
『四人です。居酒屋って感じのお店は今回は無しで、明るい感じで飲み会ってよりは食事メインです。値段は五千円いかない位でお願いします』
『―――駅でも大丈夫か?』
『大丈夫です』
『イタリアンでも良い?』
『全然OKです』
『なら……だな』
「ここですか……結構明るめですね」
幾つか店の候補を蒲生に送信した俺は、蒲生は希望する店に一緒に来ていた。未だ途切れない飲み会の流れはまだまだ続くらしい。
「じゃあさっさと入るか」
「そうですね。まだまだ寒いですし」
三月とはいえ、気候によってはまだまだ寒い日は終わりを迎えてはいない。首や手首から入る冷気は油断にならない。
「いらっしゃいませー」
「二名で」
蒲生はVサインを作ると店員に促されるままに二人席へと移動する。
店内は赤や緑といった明るめの色が多い、カウンター席とテーブル席が五つ程置いてある。
「よっこいしょ」
「おっさんか」
掛け声を口にしながら座る蒲生に俺は軽口を叩く、蒲生は無言の講義を俺に向けるが、俺は無視してハンガーを手に取ると蒲生に余った左手を伸ばした。蒲生は一瞬きょとんとしていたが、俺の意図に気付いてもそもそとコートを脱ぐと俺に渡す。
「あ、ありがとうございます」
「おう、っとほれ」
俺は二つグラスを取ると、テーブルに置かれたジャスミンティーを注ぐ。
「あ、すいません」
「おう、ほらメニュー」
「どうぞー」
蒲生がメニューを開くと同時に店員のおしぼりを受け取った。すかさず俺はおしぼりで顔を拭く。少し熱いくらいのおしぼりが顔に触れ実に心地良い。そして蒲生の視線は相変わらず呆れが混ざっている。
「見るなよ。ったく、ほらどうよ何か気になるの有るか?」
「んーと言っても、ラーメンばっかですよ?」
「サイドメニューを開いてみ」
基本ラーメン屋で有るここはラーメンやちょっとした丼もののメニューが多い。居酒屋で取り扱っているつまみ系のメニューは少ない、だが再度メニューは非常に豊富である。
「あ、ここですね。唐揚げ、水餃子、アヒージョ、鴨ロースト、生ハム。結構種類有りますね」
「だろ?〆はこのままラーメン食べれば良いしな」
「ですね。……焼酎無い」
「……偶には良いだろ」
焼酎が無いことに蒲生は項垂れる。基本がラーメン屋なのだ、さすがに焼酎が無いことは我慢してほしいところだ。俺もここはビールかサワーで我慢する。というかイタリアンを主とする変わり種のこのラーメン屋で、日本酒、焼酎は流石に無理がある。
「まぁ、次は焼酎が多い店に連れてってやるよ」
「ホントですね!是非お願いします。九州系で!」
あまりの食いつきに思わず苦笑し、九州の焼酎が多い店ってどこだろうと俺は内心で困惑した。焼酎は詳しくはない。焼酎が多い店は知ってるがどこの焼酎とかは分からん。……後で確認しとこ。
「とりあえず頼むか、すいませーん」
とりあえず問題は先送りにして俺は、店員を呼ぶ。メニューはぶっちゃけ適当だ。
「水餃子、トマト水餃子、キノコのアヒージョ、生ハムとウーロンハイを二つで」
「分かりました。少々、お待ちください」
注文が終わった後も蒲生はメニューを眺めていく。友人を連れてくるのでどうやら真剣になっているようだった。こうやって友人を気に掛けるのは高校時代と変わらないなと俺は少し微笑ましい気持ちになっていた。
「そういえば」
言うなり蒲生は顔を上げて俺と視線を合わせた。
「どーした」
「いや、先輩と呑むときに唐揚げを頼んでないなぁと思いまして、ほら男の人って唐揚げ好きじゃないですか?」
「……ぶふ、く、くく」
「何、笑ってるんですか」
蒲生の質問に思わず俺は笑ってしまった。
「まぁ好きだな。かなり偏見が入ってると思うが」
確かに男は唐揚げが好きだ。いや、好きと意識してるかも怪しい。とりあえず日替わりの弁当、手作り弁当に唐揚げが入っていれば他の中身がなんであれ、ある程度は満足するというのが男だ。
「なんですか、それ……。でも唐揚げって飲みの時に頼んだこと無いですよね」
「確かに、ってかそれを言ったらお前もサラダ頼んでないだろ。女子ってサラダ頼むじゃん」
唐揚げの問いに対して、俺は俺で疑問に思っていたことを聞いてみる。それこそ偏見かもしれんが女子は女子でサラダを頼むイメージを持っていた。
とは言っても、健康志向かどうかは知らんが、飲みに来てわざわざサラダを頼むのは俺としては勘弁してほしい。なんでサラダで腹を膨らませなければならんのか。
「あーいますね」
蒲生は顔を顰めながら答えた。
「あれ、ほんと止めてほしいですね。とりあえずサラダは皆、食べるだろ的な考え」
「あれってそうなの?」
「そうですよ。それに男子が居た場合、よそってあげて好感度アップ的な事を考えてるみたいです」
「はー、でもよそってもらっても何も思わんし、ってか俺は俺で盛るよ」
蒲生は肩を竦めて、冷めた目で俺を見つめてきやがった。
「分かってませんね。よそってあげたい女子の気持ちを……はぁ」
「おかんかよ。というかお前がサラダを頼まない理由なんなんだよ」
「ん、単純に食べたかったらコンビニで買いますし、それに二人でサラダは多すぎです」
「まぁな」
五人六人でも割とな量が割り当てられるのだ。二人で頼もうものならサラダ祭りの始まりである。
「それで、先輩がからあげを頼まないのは何故ですか?」
「あれは争いの元になるからだ……」
「生ハムとウーロンハイです」
女性の店員さんが俺の言葉と同時に注文した品を置いた。そのタイミングに俺は思わず言葉を濁してしまう。よりによってこの台詞の時に来ますか。恥ずかしい。
「じゃあ、とりあえず」
「「乾杯!」……」
いつものテンションの蒲生とは対照的に俺のテンションは急降下してしまう。言葉尻が小さいのは勘弁してくれ。
「で、争いってなんです」
「……っ、はぁ」
胸の内で未だに悶える俺を知ってか知らず、いや知ってる顔だわ。で俺を見つめる蒲生に俺は溜息を一つ吐く。少しばかり心を癒す時間を下さい。
「からあげって、レモン掛ける派?掛けない派?」
「あーなるほど。それで揉めるのが嫌なんです?」
「違う」
蒲生の言葉を俺は食い気味に否定する。そんな事で揉めるほどガキではない。
「俺は、まぁ掛けない派なんだが、ぶっちゃけどっちでも食える。問題なのはだ」
「はい」
「掛けるのが当たり前だってんで、聞きもせずにレモンを掛ける奴が居るってことだよ。せめて聞けよ。レモンが掛かってない状態で来るってことは二つの選択肢が有るってことだろ?」
「まぁ、言わんとしていることは分かります」
熱が籠る俺の言葉とは裏腹に蒲生の返事は適当だった。
「……まぁいい」
俺は喋りまくったことで乾いた喉をウーロンハイで潤す。アルコールは感じるがビールほどではない。俺としてはやや物足りないが、女性には丁度いいかもしれない。
「生ハムは正義ですねぇ」
「だな」
蒲生は目を細めて美味しそうに生ハムを頬張っている。
生ハムは味や香り、食感は文句はない。だが、どこの店も量が少ないのが難点だと俺は思う。生ハムメロンはハムの塩見をメロンで打ち消すというが、俺は懐疑的だ。両方そこそこの値段がするのに挑戦する勇気はない。
「うぅ焼酎が飲みたい」
「どっちがおっさんなんだか」
ウーロンハイを凄まじいスピードで給油しながら焼酎欠乏症に苦しむ俺は先ほどの意趣返しとばかりに突っ込みを入れた。
「焼酎がおっさんとか、差別ですよ!大体、最近のはフルーティーなのも多くて女性向けのも多いんです!」
「そ、そうか」
「そうです。キリっとした口当たりに鼻に抜ける芋や麦の香り、そして喉を焼くあの度数!まさに万能です。芋なら使っているものにもよりますが、フルーツのような甘さを感じますよ。なにより気分によってロックや水割り、ストレートと同じ焼酎でも飲み方次第で違う表情を見せてくれるんですよ!」
「へぇ」
「わたしも最初は苦手でしたけど、自分と相性が良いのに出会うと急に飲めるようになるんですよ」
よほど焼酎が好きなのだろう。蒲生の口はいつも以上によく回っている。ここまで熱く語られると、久しぶりに飲んでみようという気がしてくる。俺が最初は苦手だったクラフトビールのIPAに今は惚れ込んでいるのと似たような感じなのだろう。
「ふうん。なら、今度おすすめを頼むわ」
「!……任せてください!」
「水餃子って美味しいですよね」
「だな。女子が好きなイメージが有る」
アヒージョをはじめとした残りのメニューを食べながら俺たちは益体の無い会話を続けていた。これが気になる女子とかだったら気の利いたセリフの一つでも言うのだろうが、相手が蒲生だと余りそんな気にはならない。
「モテない人みたいなセリフですよ」
「なんでだよ」
蒲生の言葉はグサリと俺の胸に突き刺さる。普通に凹むぞ、おい。
「女子はこれ好きとかあれ好きとか、女子を画一的に考えちゃ駄目ですよ。甘いものが苦手な女子も居ます。牛丼、焼肉が好きな女子も居ます」
「うん」
「柿ピーが好きな女子も居ます」
「うん」
「ビントロ丼が好きな女子も居ます」
「……うん?」
「焼酎が、大好きな女子も居ます」
「それは お ま え だ」
そんな馬鹿な会話をしながら俺たちは目の前の肴と酒を片付けていく。酎ハイやサワーが系は飲みやすいが呑んだ気が薄いのが難点だ。実は普通にビールは置いているのだが、焼酎が置いていないこの店で俺だけビールを飲むのは気が引けるので頼んではいない。
とはいえ、トマトハイやトマト酒は偶に飲むと面白い。口内の油の除去率はウーロンハイに匹敵するかもしれない。
「さて〆るか」
「お、そうでした。そうでした」
腹が半分ほど収まったところで俺は蒲生を促した。ラーメンが本来メインであるこの店は居酒屋に比べてつまみや酒の種類が少ない。しかし、逆に言えば〆のラーメンを店を変えることなく食べられるという利点もある。
店員を呼ぶと俺たちは飲みながら選んでいたメニューをさくっと注文する。
蒲生はトマトスープのラーメンの半量、俺は並だ。そして、
「あと、ごはんをお願いします」
「はい、かしこまりました」
「……ごはん?」
もうおかずになりそうなつまみが無いのにご飯を頼んだ俺に蒲生は首を傾げていた。まぁこの店が初めてなら仕方ないだろう。
ここの麺は細麺だ。湯で時間も少なく程なく運ばれてくるだろう。
「ここなら入り易いんでまた来れると思います」
「なら良かった」
「ラーメン屋ですら呑みに使うとは……盲点でした」
眼鏡を外して眼鏡を拭きながら蒲生は感心したといった体で俺の方に視線を向けてくる。
眼鏡を掛けている時は大人になったなと思っていたが、外すとそこまで昔と変わらない。
「ん、なんです?」
「いや、こうやって顔を見るのは久しぶりだと思って」
「……そ、そうですね。そういえば、いや、サワーとか炭酸ってシュワシュワが眼鏡に飛んでくるんですよ」
「そうだな」
裸眼故に気付かなかったが、言われてみればそうだ。何故か顔を赤くして顔を少し俯かせながら眼鏡を拭く蒲生を俺は眺めていた。
「そう言えば、コンタクトにしないのか?」
「何言ってんですか!目に異物を入れるんですよ!怖くて出来ませんよ」
眼鏡を再度装着しながら蒲生は怒りすら込めるように喚く。余程、コンタクトを入れるのが怖いのだろう。その気持ちは分からんでもない。睫毛が入っただけでも痛いのにあんなデカいものを入れて目は大丈夫なのかといつも思っていた。
「それに……眼鏡が無いと高校生とかって呼ばれるので」
「ぶっふ……」
ぶつぶつと呟く蒲生の言葉に俺は思わず吹き出してしまった。確かにさっき眼鏡を外した姿は高校時代を思い出させるほどに変わっていなかった。当時も中学生と間違われていて、怒り心頭とばかりに腕を振り回していたのを思いだす。
「ちょっと!?何を笑ってんです?おだってんですか?」
「方言出てんぞ、お、来た来た」
更に喚こうする蒲生だが注文が来たことで渋々と引き下がる。さて、食べている間に頭を冷やしてくれれば良いのだが……。
頬を膨らませる蒲生と俺の目の前にラーメンが置かれる。トマトの酸味を含んだ香りが鼻孔を擽る。先ほどまでのやや落ち着いていた食欲が見る見るうちに刺激されていく。
「ほぅ……寒い日のラーメンは美味しいですけど……トマトだと一塩ですねぇ」
蒲生は目を細めながらラーメンを掻き込んでいた。
ここの店はトマトをベースにしたトマトラーメンが売りの店だ。ラーメンと聞くと違和感を覚えるだろうが、ラーメンというよりはスープパスタに非常に近い。麺は余りコシが無いがちぢれが強くスープによく絡む。加水率が高いラーメンと言えば分かりやすいだろうか?……まぁ喜多方ラーメンを思い浮かべてくれれば良い。
「だろ?余り出してるとこ少ないから貴重なんだよなぁ」
「ですねぇ」
徐々に言葉が少なくなっていく。つまみならともかくどうしても麺系は冷めてしまうのを考えると喋っている暇は少ない。
「麺もですけど、スープが旨いっ」
ズズーと蓮華も使わずに蒲生は男前にスープを啜っていく。
「おっとスープは半分は残しておけよ」
「え……どーしてです?」
見るからににんにくや油が売りのラーメンの様に体に悪そうな感じがしないトマトラーメンのスープを飲むのを止めたことで蒲生は首を傾げていた。言わなかったら全て飲み干していたのだろうが、それでここのメニューの真髄を知った気になってはこっちが困るのだ。何せ、こっちにはまだ秘策が残っているのだから。
「ふふふ、蒲生よ。これが何に見える?」
「白飯にしか見えませんけど……はっ!ま、まさか先輩」
「そのまさかよ!」
芝居がかった様な感じで俺は白飯の半分を麺を全て食べスープのみとなった器に放り込んだ。白米は突然の事態にも驚くことなく、トマトスープをその身に取り込みあっという間に残りのスープは〆のトマトリゾット擬きへと変貌していた。
「ほら半分やるよ」
「ず、ずるいって……ん?良いんです?」
蒲生が俺への非難を開始する前に俺は残しておいた白飯を蒲生へと渡す。蒲生が一瞬呆然とした様子を見せやがる。……俺がそんなケチに見えるのか、この野郎。
「ラーメン半分にしてたからな、割と腹が一杯じゃないかと思ってな」
「う、なんかすいません。……でも、ありがとうございます」
申し訳なさそうにしながらも、どこか嬉しそうに蒲生は〆を啜る。
「美味しいっ」
一口入れれば後は早い。蒲生は欠食児童もかくやと勢いで残りの流し込むような勢いで食べ進んでいった。
おだってる⇒ふざけるなという意味です。