二杯目
「うわぁ、先輩のそれをやる日を見るとは……」
「うるせぇ」
蒲生と再会して二週間後、再び俺たちは飲み会を開いていた。
そして、こいつはおしぼりで顔を拭いている俺にドン引きしている。何が悪いというんだ!夏は涼しいし、二月という寒いこの時期はこの時期で暖かいおしぼりで顔を拭くのは何とも心地良いんだぞ!
「首なら良いんじゃないか」
「……なんで首なんです」
「いや、……その」
化粧が取れるから女は顔を拭かないと思い、そう提案したのだが、どうやら違うのか?じと目で俺を見つめる蒲生に俺は口ごもる。女性の化粧のうんぬんはデリカシーに欠けるのではと思ったからだ。
「化粧が取れるだろ」
だが、後輩たる蒲生には要らぬ配慮だと俺は僅かに逡巡し口する。
「はぁ、デリカシーが無いですね。だから振られるんですよ」
「おい!」
ちょいちょい連絡を取り合ったせいか、蒲生は蒲生で遠慮がない。俺としても気を使われる方が逆に堪えるので、ネタにする位が丁度良いのだが、ストレート過ぎだろ。
「浅倉先輩には最大限の気を配っていた……と思う」
「……ふぅん」
浅倉唯、俺の高校時代の先輩であり一年前まで付き合っていた人だ。細身のスポーツ体型でたれ目気味の優しい雰囲気を持つ女性で、
「トリップしないで下さい」
「痛っ!?」
朝倉先輩を思い浮かべていた俺の手背を蒲生の細い指が抓り、俺は思わず叫んでしまった。くそ、どんな握力だ。こいつ砲丸もやってたから割と筋力が有るんだよなぁ。
「生二つとナスの一本漬です」
そんなコントを繰り広げていると、店員がビールと頼んでいたつまみをテーブルへと置いた。
「じゃあ」
「「乾杯っ」」
中ジョッキ同士がぶつかり合う小気味の良い音が響き、間髪入れずに俺達はビールを呷る。
パチパチした炭酸の刺激と苦み、そして冷たさが口内を走り、それを喉を鳴らしながら飲む。ごくごくと間髪入れずに音が響き、体内へとそれは染みていくような感覚を覚える。
「「くぅ~!」」
全く同じタイミングで俺たちはテーブルへと中ジョッキを置く。やはり仕事終わりのビールはサイコーである。毎回それを再確認する。
「今日もお疲れ様です」
「おう、そっちもお疲れ様です」
向かい側の席に座る蒲生がそう言いながらいたずらっぽく笑い、俺も同じく返す。職場では幾度となく繰り返した光景だが、高校時代の後輩とやると中々に面白い。
「いやぁ先輩とこんな事をするとは」
「俺もそう思う」
「さて、ナスいただきます」
俺の隙を突くかのように蒲生はさっと箸でナスを捕獲する。
それを追うように俺もナスを掴むと口に放り込んだ。
ここのナスは浅漬けでナスの歯ごたえがしっかりしていておいしく、脇に添えたからしで味が変えられるため飽きが来づらく一品目としては最適なのだった。
「あーからし付け過ぎた!ぁ……ぅ」
蒲生はからしを多めに付けたのか鼻を押さえながらビールを流し込んでいた。ふ、まだまだ、小娘よ。
「それで、ここは串揚げのお店なんですよね」
「ん、あぁ」
「とりあえず、さっき頼んだ五品盛りってのが来るんですよね」
「だな。とりあえず他のメニューは今のうち、選らんどけ。五分くらいで来ると思うから」
からし事件を誤魔化す蒲生に俺は気付かなかったという優しさを見せることにした。俺も通った道だ。
ちなみに俺は居酒屋に付くとすぐに来るメニューと時間が掛かるメニューを頼むことしている。慣れた人なら誰でもやると思うが、これをやるやらないとでは、店でのロス時間は雲泥の差である。
「……うーん。とりあえず、これのロックと、ささみのしそ巻き串、おつまみチーズが気になります」
「オッケー」
二杯目からさらりと焼酎ロックか、この前のは酔っぱらった俺の幻覚ではないらしい。それ以外のメニューは当たり障りが無いな。
「いやぁ、まさか先輩から飲みのお誘いとは、この前のは社交辞令かと思ってましたよ」
「さすがにあれで終わると後味が悪すぎだろ」
会うのだけでも六、七年ぶり、まともに喋るのは九年ぶりくらいだ。割と気さくに話していたのに俺の一言で最後の空気が悪くなったのだ。飲み直し位はしておきたい。
「同郷の知り合いもこっちには少ないしな」
「あぁ、分かります。分かります」
居ないことは無いが、中間地点で互いに一時間以上掛かるとどうにも誘いにくくなってしまう。
「お、来たぞ」
「五品盛りになりまーす」
お互いの前に串揚げ五品盛りがどんと置かれる。衣が上がった匂いが香ばしく、まだパチパチと小さく跳ねる油がなんとも食欲を刺激する。
「ちょっと待てよ、えっとこれが豚串、さつま芋、うずら、チーズ、しいたけだな」
「ほうほう。あ、注文お願いしまーす。……忘れてましたね」
「だな」
蒲生に串揚げの説明をしなければと思っていたので、すっかり注文を忘れていた。
さきほどの注文にビールのおかわりを足して俺たちは目の前の串揚げに視線を移す。
「えっと二度づけ禁止でしたよね」
「なんだ、知ってるんじゃないか」
「いや、お店の注意書きにでかでかと書いてましたよ」
そう言って豚串をソースに浸す蒲生を尻目に俺はソース入れに入ったスプーンでさつまいも以外の串揚げにソースを垂らす。人によってはソースに直付けするが俺はこっちの方が好みだった。
「あれ?直接漬けないんです?……間違ってないですよね?」
俺が違う行動をしたことで、蒲生は慌てふためき辺りをキョロキョロと見渡している。そして今、まさに串揚げを食わんとしている人を目をカッと開いて凝視しだす。
「く……くく、間違ってない間違ってない」
「え?どういうことです?」
「俺はこういう食べ方をするってだけだよ」
そう言って俺はしいたけの串揚げを頬張る。ソースの味、衣が砕ける音、そしてしいたけの旨み。数度咀嚼すると、それは俺の口の中で一時の調和を見せる。そして、その調和が砕けるその前に――――。
「くぅ~旨いねぇ!」
旨みをビールをもって流し込む。仕事終わりの最初の一杯も格別だが、つまみにあった酒はそれに勝るとも劣らない。
「ちょっと!どういうことですか!?」
豚串を片手で遊ばせながら蒲生はぷりぷりと怒っている。やれやれ、せっかくの飲みだというのに、勿体無い奴よ。
「それ、さっさと食えよ。ソースで冷めちゃうから」
「あ、忘れてました。……うん、美味しいです」
そういって、さきほどの俺と同じ表情をしようとするが、なんとか怒りを維持しようと言葉尻は上がらない。……口角は上がっているがな。
「スプーンが付いてないのが大半なんだが、ここは珍しくスプーンが付いてるんだよ。まぁ本来は一度漬けた後に、追加したい人がスプーンで追いソースするんだろうけど、俺は敢えて最初からスプーンで掛ける派なんだ」
「その心は?」
「全部ソース味になるから」
そう、俺が串ごとソースに漬けないのは、ソースが全面に漬き過ぎるからだ。かといって少量漬けるのは構造上、ほぼ無理である。串を突っ込むので加減しようとしたら先端だけソースが漬いた状態になってしまう。そして、万遍なく漬けようとすれば全てがソースに沈む。そうなってしまえば肉も魚も野菜も等しくソース味だ。そりゃあ素材の味もするがどうしたってソースが強すぎる。
「その点、スプーンで掛ければ量の調整はばっちりだ」
「なるほど、なるほど」
感心したかのように蒲生は仕切りに頷いている。いや、こんなんで感心されても逆に恥ずかしいのだが。
「私もそっちの方が良いかもです」
「……さつまいもは掛けない方が良いぞ?」
「分かってますよ。ではでは……」
そう言って、ソースを掛ける蒲生に俺は懐疑的な視線を送っていた。焼酎のロックが好きなら、肴は味が濃い方が良いのではと思ったからだ。
「焼酎ロックとビールおかわりでーす」
そう思うとまるで見透かしたかのように新たな燃料が投下された。
俺は無言で自分の目の前に置かれた焼酎ロックと蒲生の眼前のビールを交換する。小柄なこいつが焼酎ロックだとは普通な思わんだろうからな。
「お、丁度良いですねえ。さてさて焼酎ちゃんとの相性は……」
蒲生は嬉しそうにグラスを持つと、迷わずうずらの串揚げを齧る。
「焼酎に合う!……うーん、でも私的にはソースが多い方が良いです」
「だろうな」
スプーンでうずらの卵に追いソースをしながらの蒲生の感想は俺にとって予想通りだった。やはり濃い目が好みか。ちなみに俺はわりかし何でも食うが、燻製やチーズは特に好きである。IPA系のクラフトビールは特に好きだ。そう思うとIPA欲がこんこんと湧いてくる。癖のあるチーズをIPAで流し込みてぇ!
「お、次のが来ましたよ」
む、来たか。ここのささみのしそ巻きが旨いんだよなぁ。
「そういえば先輩はこの辺で良く飲むんですか?」
「まぁな」
「家、近いんです?」
「んにゃ、でも六駅先だ。ここは飲み屋街だから店が多くて良く寄るんだよ」
「へぇ」
最寄りの駅は商店街も無いベッドタウンだ。コンビニやスーパーは有るが飲み屋は少ない。いや、無いことは無いが、初見で入るには中々勇気が居る店が多いのだ。その点、ここは店の数が多く入りやすい店を見つけやすい。
「わたしも四十分くらいの距離ですね。乗り換えで改札から出るのでついでに買い物したりします」
「大体のもんが揃うしな」
「うわ、このささみのしそ巻、美味っ」
蒲生はすかさず焼酎を流し込んで唸っている。実におっさん臭い。と失礼なことを考えながら俺もささみのしそ巻を口にする。ささみの餅の様な感触に程よい塩加減のしそ巻が実にうまい。咀嚼するほど旨い。ビールにも合う。神に感謝である。
「わたし、鳥好きなんですよねぇ。って言っても焼き鳥じゃなくてとりわさとか鳥刺しとかなんですけど」
「あぁ、分かる分かる。上手いのに当たるとほんとにヤバいよな」
「そうなんですよ。まえに出張先の人に紹介されたレバーペーストがほんとに美味しくて……!」
右手を握りしめて蒲生は鳥の良さについて力説している。そして、出張先で出会ったが故にそうそう食べに行けないことを心底悔しそうにしていた。その悔しさたるや、部活で選手に選ばれなかった時でも見せなかった程である。
「ふぅん。ここの近くに俺のおすすめの鳥専門店が有るぞ」
「……え?」
「レバーペストも有るし、刺しも部位で喰える。おすすめは、とりのなめろうだ」
「……ちょっと、良いですか先輩」
頭に手を当てて蒲生は瞳を閉じ、静かに息をする。そして徐に焼酎を呷り飲み干した。……やめろ、泥酔しても俺はお前の家は分からんのだぞ?
「なんでその店にしないんですかー」
どん、とグラスを空にして蒲生は顔を近づけて俺を睨む。一瞬、香水であろう香りが俺の鼻孔を擽るが、それでどうにかなるほど俺もガキではない。というか吐く息が酒臭いので色気もなにもねぇ。
「お前が鳥好きとか知らんからだよ。あと息が酒くせぇ」
「---------っ!?」
「大体、串揚げが良いって言ったのは蒲生だろ?ん?」
やれやれと肩を竦める俺に蒲生は口を押えて顔を赤く染めている。ヤバいこれは怒らせたか?後輩とは言え年頃の女性に息が臭いとは、考えなくてもデリカシーも何も有ったもんじゃない。
「……」
「……」
半目で睨む蒲生に俺は気圧され無言になってしまう。そしてその互いが無言の空間が更なる圧迫感を俺に与えるというスパイラルに陥る。逃げ場は無かった。
「ごめん。流石にデリカシーが無かった」
「……」
「う、……ここは俺が払うっていうのはどうだ?」
「……」
鋭い視線に耐えかね全額奢ることも提案するが、それでも蒲生からのプレッシャーは留まることを知らない。
「とりレバ―食べたいです」
「……ん?」
「とりレバーのお店に連れてってくれたら勘弁したげます」
「お、おう」
真っ直ぐな瞳に見入ってしまいどもるように返事を俺は返した。先ほどの会話の流れでいつか連れて行こうと考えていたので、別段デメリットは無いに等しい。
「今日じゃないよな」
「ん――、そうですね別日が良いです。色んなメニュー食べたいですし、ちなみに他にはどんなのが有るんです?」
メニューか。あそこは行ってみないと無いメニューが割とあるんだよなぁ。そうだな。
「もみじってのが珍しいかな」
「もみじ?にんじんのおろしじゃないですよね?」
「鶏の足だよ足、っても腿より先の足先だけどな」
蒲生は怪訝な顔をした。それはそうだろう。鳥の足とくれば普通は腿肉を思い浮かべるはずだ。しかし、ここのお店は足先が食べられるのだ。ちなみに名前の由来は紅葉の葉と似ているからもみじである。
「はーあそこって食べられるんですか。知らなかった。……これは期待が高まりますなぁ」
蒲生はにやにやしながら、肴と酒を呷り始めた。ふぅ、どうやら機嫌は直ったようだ。
「ふぅ、そろそろですか?」
「だな、明日も仕事だし」
良い具合に酔っ払い、腹も満たされどちらともなくお開きという流れになった。今日は二時間ほどが、このぐらいで終わるのが一番良い。個人的に。
「じゃあ、会計は」
そう言って俺は蒲生の分も払おうとするが、それは蒲生自身によって阻まれる形となった。
「割り勘ですよ割り勘」
「別に良いぞ」
「ダメです。高校では先輩でしたが、今は別の職場で働く社会人同士です。奢りだと思い切り呑めなくなっちゃいますんで、払います!」
きっぱりと蒲生は奢られるのを拒否した。先ほどの件も有るし、全然安い店なので気にもしないが、蒲生はそういうなら止めておこう。
「そのかわり、今度は例のお店に誘ってください。空いてる日はまた連絡しますね」
「分かったよ。気ぃつけて帰れよー」
蒲生は軽く腕を振るとしっかりとした足取りで去っていく。まだまだ余裕そうだなあいつ。
そんな蒲生の後姿を見ながら、俺は自分のシフトで都合が良い日を幾つか思い浮かべ、帰路へと着くのであった。