一杯目
一人称視点の練習として書いてみました。
酒を呑みつつ読んでいただければ幸いです。
「先輩、付き合って下さい」
がやがやと喧騒が木崎咲真こと俺の耳に届く、自慢話や近況報告、愚痴、恋愛、多様な内容の会話が絶えることなく続いている。ここは所謂、大衆酒場と呼ばれる居酒屋である。
定義はいろいろが有るが、ここは短冊の様な紙にメニューが書いてあり、やや小汚い店構えとなっている。とはいえそれは言い換えれば味が有るといも言えるだろう。
「……ぇ」
喧騒を肴に俺はビールを含み喉へと流し込む。各社いろんなビールが有るが、俺はのどごしよりもコクやホップの味を重視する傾向にある。のどごし系のビールは飲み初めにはいいが、つまみによっては完全に味が殺されてしまい面白くない。ちなみにここビールはコクがあるタイプだ。
「……ます?」
なにか聞こえたな。まぁいい。
サンチュで包まれたマグロの炙りを口に含む、サンチュがバリバリと音を立て、塩だれとマグロの味が一気に口内を満たしていく、そして塩だれの酢が最高潮に達した瞬間、一気にビールを流し込む。
「くあぁぁ!染みる!」
「木崎さん!聞いてます!?」
人が人生でも指折りに幸せを感じる瞬間にややハスキーな女の声が俺の耳に飛び込んでくる。
「……聞いてるよ。はぁ……」
「溜息を吐かないで下さいよ。地味に傷つきますよ?」
そう言って、焼酎を呷るこの女は俺の高校時代の後輩である。名前は蒲生ひたち。陸上部で互いに長距離選手だったことから比較的仲が良かったのを覚えている。
しかし、それは高校時代の話で卒業してからはほぼ無縁、専門の頃に部活の同窓会めいたもので顔を合わせた程度だ。
「しっかし、まさか今日出会えるとは!運命ってやつを感じますね」
店に入る前からこのテンションだ。しかし現状は分かっただろう。分かりたくもないが、何の偶然だろうかいつもの電車の帰り道。居酒屋が多い駅で途中下車して夕食がてら軽く飲んで帰ろうとした矢先に、駅内に居た蒲生に話しかけられたのだ。
最初は誰かは分からなかったが、名前を聞いてようやく思い出した。
「偶然ってすげぇな」
「偶然じゃなくて運命ですよ」
「いや、まぁ県外だが別段、運命というほどではないだろ?」
蒲生は妙にはしゃいでいるが、世界に誇る大都市東京。地方出身者など掃いて捨てるほど居る。現に俺の職場の同僚で東京出身者は二人しかいない。
一千万以上が軽く住むここで出会うのは確かに偶然にしては出来すぎてるが、それを認めるのは少々癪だ。
「でも酷くないですか?私のことを忘れてるなんて」
「忘れては……ねぇよ。ただ見た目が全然違うだろ……」
俺は二十六、お前は二十五だ。卒業後に会ったの六年前だ。小学生一年生が卒業しているぞ。
そんなことを内心で思いながら俺は蒲生をまじまじと見つめた。目自体は大きいが黒目が少ない三白眼、今はメガネで大半が隠れており、鼻梁が整った小さめの鼻は変わらないが、薄く形の良い唇は口紅で塗り隠され、陸上少女故の小麦色の肌は白くなり、そしてファンデーションが塗されている。髪だってそうだ。ベリーショートの黒髪はうなじが隠れる茶髪へと変貌している。
これだけでも分からんのにスーツを着られたら誰なのか分かるわけあるか!成長じゃない進化だぞもはや。
「ふぅん。まぁ見た目は確かに……というか忘れてなかったんですね」
と言いながら蒲生はにやにやと笑っている。
忘れるわけあるか、こんな俺に。
『付き合って下さい』
などと好意を寄せてくれた相手を。
「先輩、付き合って下さい。先輩の事が私、好きなんです」
それを言われた時、俺は最初何を言ってるのか理解が及ばなかった。
練習を良く見ていた後輩が練習の最後に走り切った河川敷でそう告白してくれたのだ。
秋風が火照った体を程よく冷やしてくれたことを今でも覚えている。
「蒲生、悪い」
蒲生の事は普通に可愛いとは思っていた。しかし、それは妹みたいなもので、明確に恋愛対象としては見ていなかったと思う。
それに。
「俺、---先輩と付き合ってるんだ」
「……」
「だから、付き合えない。すまん」
そういって俺は当時刈り上げていた頭を下げた。当時俺は高校三年で一つ年上で卒業した先輩と付き合っていた。俺が二年の頃からの関係で、蒲生も知っていると思っていた。いや、知ってはいたのだろう。俺は半年も経たずに卒業してしまう。思いを伝えたい気持ちは良く分かる。まさに俺が先輩に告白したのも似たような感情だったから。
「やっぱり、そう、ですよね」
「蒲生……」
「残念です。でも言わなかったら、きっともっと後悔したと思うから……」
逆光の夕日で蒲生の顔は良く見えなかった。
こんな俺を好きになってくれた嬉しさとそれに応えることが出来ない申し訳無さがない混ぜになっていく。
「先に戻る……気を付けてな」
「……分かりました。……先に戻るだけに、良いのに」
俺の言葉に蒲生は少しだけ笑うと俺を促した。
今思えば、ここは少し突き放すべきだったと反省する。思い出してもこういった機微がいまいち配慮しきれない自分が情けない。
そんなんだから、俺は……。
「おでん六品盛りです!」
男の店員がそう言って皿を俺達の間に置いた。その声で物思いに陥りかけた俺の意識は再び現実へと引き戻された。
「木崎さんはどれ食べます?」
「んーまぁ好きなの食べて良いぞ」
素早く箸を取り、おでんを取ろうとした蒲生の手が止まる。どうやら俺に気を使ってるらしい。おでんの具で何が一番好きかと聞かれれば明日の夜まで悩めるが、それは裏を返せばどれも同じくらい好きだということでもある。
ん、そう言えばこいつ良く部活の合間にもおでん食べていたな。
「はんぺん、とか旨いぞ」
「……じゃあ、いただきますね」
俺の言葉に蒲生はメガネの奥の目を開くと嬉しそうな顔をしてはんぺんを口に放り込んだ。
「おぉだしが効いてて美味しいです!そして…………くぅ染みますねぇ!」
「分かる分かる。ちょっと濃い目で酒に合うんだこれが」
「あんまり熱くないですね」
「ここのはそうだな。おでん屋とかは割と熱々なとこも有るけど、でもすぐに食べられるのは嬉しい」
そう言いながら俺はちくわぶを摘まむ。これはこれで味が染みて美味い。
「それってなんです?」
「ちくわぶ」
「ちくわぶ?」
きょとんとする蒲生に暫くして俺は得心する。
「あぁそうか、関東ローカルなおでんの具だよ。少し食ってみるか?」
「食べます食べます!」
急かす蒲生に対し俺はマイペースにちくわぶを二つに割る。
「では!……全然、ちくわって感じがしませんね。美味しいですけど」
「俺もそう思ったなぁ。ちなみに小麦粉を練ったものらしい。まぁすいとんの親戚だろう」
「はぁ」
もぐもぐと食べ進める蒲生をしり目に俺自身もちくわぶを食べる。うむ、汁を吸って美味い!
「ちなみに地方ローカルなおでんのネタは色々有るらしい。蛸とか牛くしとうずらの卵もローカルみたいだな」
「へーちなみうちらでローカルなのとかは有るんです?」
「おでんでは無いみたいだな」
そんな他愛の無い会話をしながら俺と木崎の再会の時間は過ぎていく。
酒の力か、はたまた時の流れか、こいつの性格かは分からないが、俺が勝手に抱いていた木崎への後ろ目たさは薄れていった。
振られた相手がそれを気にして距離を置く、それは辛いことだ。俺自身もそれは理解していた。普段から親しいなら尚更だろう。
「しかし、随分きついの飲むんだなお前」
「?そうですか?このくらいじゃないと飲んだ気にならなくないですか?」
焼酎のロックを指さしながら俺はあきれた声を漏らした。こいつと酒を飲んだのは今日が初めてだが、俺の中で十代で止まっていたこいつの印象からはあまりにもかけ離れていて軽く引くレベルである。
「いやぁ、男の前で軽い酒で酔っちゃったーとかむかつきません?」
「まぁ分かる。すげぇ面倒だよな。あれ」
こっちは普通に飲みたいんだよ。カウンター席とかだと店員とか他の客の迷惑になるし。
「人に迷惑をかけるの飲み方はダメっす!あ、おかわり下さーい」
「あ、すいません。あとネギメンマと肉豆腐お願いします」
「はーい!」
テンションは高いがそこまで酔ってるわけではなさそうだな。というか俺より飲んでいるんだが、こいつ酒に強かったのか。
「ん」
そんな時、俺のスマホにメッセージが入る。相手は飲み仲間の今日の晩酌の様子だった。つまみはサンマの南蛮漬けか、日本酒分かってるじゃないか。
「お仕事関係ですか?」
「いや、飲み仲間だよ。今日の晩酌らしい」
「へー、美味しそうですねぇ」
スマホの画面を傾けると蒲生がそれを覗き込む。おい、近づきすぎて髪が当たるのが煩わしいぞ。
「……そうだ。せんぱ、木崎さん」
「うん?」
蒲生は少し躊躇したように言葉を詰まらせた。これで頬が赤くなっていたらそれなりに可愛いと思うのだろうが、焼酎のロックを数杯たやすく飲んでも変わらない顔色では恐ろしさしか覚えない。
「あの、スマホの番号……教えて、もらえます……か?」
「いいぞ」
「あれー、良いんですか?めっちゃ軽いんですけど!」
何故か蒲生はすさまじいリアクションで驚いている。そして俺を睨む。やめろ睨むな。
「驚きすぎだろ?別に隠しちゃいないし」
「えーあれー?ん、……?」
蒲生は一人で頭を悩ませていた。なぜ、俺がメアドとかを教えない系の人に認定されているかは甚だ不思議である。そもそも高校時代も普通に知っていただろうに……あ。
「……あの、卒業後ちょっと経ってからメアドとか番号とか変えませんでした?」
「……あー、変えたというか、なんというか」
「先輩?」
不安そうに蒲生を俺を見てくる。そして先輩呼びに戻っている。自分を振った相手が番号を変える。それを前向きに捉えられる人物がいたら、そいつの神経は太すぎて世界樹レベルだろう。
「専門時代にな」
「はい」
「急に携帯のバッテリーが膨張した事が有ったんだよ」
「……」
沈黙がマジで怖い。
「ショップに持って言ったんだが、バッテリー液が漏れているとかなんとかでシムカードとかメモリとかもダメになったんだ。い、一応ある程度の人には事情を説明して番号を教えといてくれって言ったんだけど」
蒲生はぴたりと動きを止めている。顔は俯き、その表情は窺い知れない。高校時代から怒ったところは見たことはないが、逆にそれが怖い。どんな怒り方をするか分かったものではない。
「蒲生?……蒲生さーん?」
「よ」
「よ?」
「良かったぁ……」
蒲生は顔を上げるとふにゃりと笑っている。そして焼酎を呷る。
「あぁホントに良かったぁ……だからか、里村くんは普通に連絡できるって言うのに私には教えてないからてっきり……」
「あの告白のせいかと思ってましたよ」
触れずにいた話題にあっさりと蒲生が触れたたため、俺は動きを止めてしまう。ビールに伸ばしかけた手は中途半端なところで静止した。
「あ、せん、じゃなかった。木崎さん、気使わなくて良いですよ。もう八?七?年ぐらい前の話しですよ」
「ん……まぁお前がそう言うなら」
「木崎さんだって、自分が好きになるくらいの相手に、振った事を気にされて距離を置かれた辛いとおもいません?」
その言葉は未だにどこか後輩だからと上から目線で蒲生を見ていた俺の心を揺さぶった。それは確かに人生経験を積み、彼女が蛹から大人になったと感じるに十分な言葉であった。
「あぁ……分かる。まさに今の俺だからな」
そう言って俺は残りのビールを飲み干した。酔いも腹も八分目がちょうど良い。このくらいで止めるのが一番気持ち良い。これ以上飲むと大体次の日に死にそうになる。
「勘定するぞ」
「え……先輩、あの」
蒲生は口ごもる。それを聞いていいのか、いけないのか、葛藤しているのだろう。俺も言う気はさらさらなかったのだが、酒か、はたまたこいつの思いがけない成長のせいか、ついつい口にしてしまったのだ。
「あ、ごちそうさまでした……」
「別に全部出したわけじゃないから気にすんな」
全額出しても良かったのだが、こいつは気にするタイプだ。少し沈んだ気分で隣を歩く蒲生にペースを合わせ、俺は歩き出した。
「……やっぱり距離あるのは辛いんだとさ。ちゃんとご飯を食べてるかとか、元気かと不安になってしまうみたいだ」
「……」
「まったく、ままならないよなぁ」
専門を卒業して直ぐに地元へと戻るという選択肢も有った。しかし、経験を積むなら関東だと俺は数年こちらで経験を積むことにしたのだ。
先輩にもちゃんと話したし、理解してくれていると思った。
でも、現実は甘かった。職場は慢性的な人で不足で止めることは憚られた。現場の仕事をほぼ任される位なのが逆に辞め辛さを助長させていた。仕事は楽しく待遇面に不満は無かった。
だからこそ、俺は容易に今の仕事を辞められなかった。俺をここまで育ててくれた上司や、慕ってくれる後輩を無下に出来なかったのだ。
俺に……先輩を責める気はない。むしろ戻る戻ると行って一向に戻らない俺の方に非が有る。
「先輩……」
「無理にさん付けじゃなくて良いぞ」
「……分かりました」
む、飲んでる時はまぁまぁ空気が良かったのだが、妙の空気になったな。俺のせいだが。
さて、時間は二十一時前だがそろそろ帰るか。
「じゃあ、今日はお開きで、またな」
「はい……ん?えっと、誘って良いんです?」
「あー、あぁ、飲みならな」
こいつとの飲みが妙に楽しくて思わず、またと言ってしまったが、一度言ったことは引っ込めることが出来るわけもなく、俺は頭を掻きながら了承する。
蒲生は口の端をもじもじさせている。
「分かりました。でも、私あんまりお店詳しくないんで、先輩のおすすめのお店を紹介してくださいね」
「はいはい、じゃあまたな。飲めそうな日を連絡するから喰いたいもんをそれまでに決めといてくれ。……送って言ったほうが良いか?」
「んーー、いや大丈夫です。そんなに遅くもないですし」
一応、送ろうかと聞くが本人曰く大丈夫らしい。
二人で駅へ向かう。路線は別々なので改札で別れる。
「じゃあ、また飲みに行きましょう」
そう言って蒲生は手を軽く振ると去っていった。その足取りは多少陽気だが、しっかりとしていた。
それを確認すると、俺もいつもの路線へと足を向けた。いつもは気が滅入る人の多さも今日はあまり気にならなかった。
一応、お酒の銘柄は明記しませんが、気になる方が居れば後々あとがき等や設定等で紹介しようかと思います。