水底から見た空
「クッシッシッシ! ウヒッ! ウヒッ! クッシッシッシッシッシ!」
翌日、僕はリドに呼び出されて宮殿に来ていた。
「はー! さっっっぱりしたデス。ここの女中は体を洗うのが上手上手。あんのエロ親父。普段なにやらせてるのやら。クッシッシッシッシ!」
僕は彼女に対する扱いを図りかねていた。名目上は捕虜だけど、扱いは僕の元仲間、と言う事で通ってる。
「それで? 何の用なの?」
「それはこっちのセリフデス。一体何の目的で私を生かしてるデスか? しかもこんな好待遇で」
「それは…………」
なんのためだろう。と、思ったらリドは声も高らかに大笑いしだした。
「クッシッシ! ヒーッヒッヒッヒ! やっぱりそうじゃないかなぁと思ったら……お前、何にも考えてなかったんデスね」
リドは笑い過ぎてちょっと涙が出かかってる。
「お前が昨日の会談のあと「どうする? ウチ来る?」って聞いてきた時は正気を疑ったデスよ。まぁ、お前と同伴してフィーネのアホ面拝んでやるのも悪くなかったデスがね。クッシッシッシ」
「ねぇ、用がないなら帰るけど?」
なんだよもう。せっかく来てやったのに。僕が踵を返して帰ろうとすると、手足の無い彼女は奇妙な提案をしてきた。
「ねぇ、アルフ……ちょっと……場所、変えないデスか?」
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そしてその日の昼下がり。僕たちは近くの山の方にある綺麗な川辺に来ていた。
「あ~~~ん♪ デスっ♪」
ガブッ ガブッ……チュパッ!
「あ、コラッ! 指を舐めるんじゃない!」
リドが指に舌を這わせてきたので、ビックリして手を引っ込める。
「まったくもう! ルーだってこんな事しないのに」
「クッシッシ。ちょっとしたジョークデスよ。……お前のサンドウィッチ食べるのもなんだか久しぶりデスね」
「……そうだね……」
時間にしてみたらそんなに長い間じゃない。でも、この一か月は色々あったと思う。それにしたってリドのこの変わり様は……
「ねぇ……なにがあったの?」
「なにがって? そのまんまデスよ。上司にお前の悪口言いまくってたら、もっと上の人間から怒られたデス。我ながらしまらないデスね~。クッシッシ」
可哀想って言うのはちょっと違うと思う。もし決闘の場に、ガイの代わりにリドが立っていたら……僕は彼女を殺していたか、殺されていたかもしれないのだから。
するとリドが僕の顔色を読んできた。なんで人の名前とか固有名詞まで読まれるんだよ! これってもうなんかのユニークスキルなんじゃないの?
「……ガイはまだ生きてるデスよ。でもドラゴンの角を体内まで突き刺されたせいで、呪いに汚染された血液が全身にまわってしまったみたいで……今は全身に鱗が生えた化け物みたいになって生死の境を彷徨ってるらしいデス。まぁどのみちお前と敵対してる時点で、生きて施設から出てくることはないから安心するデスよ」
そう言って彼女はちょっと寂しそうに笑った。
僕には……到底、これがガイ達の望んだ結末だとは思えない。
フィーネを助ける時。そして、ルーが僕のために手を汚してくれた時。何があっても後悔しないって決めたし、今だって後悔はしてない。
でも……それでもなんで、僕たちはいつもいつも奪い合いながらじゃないと生きていけないんだろう。
「ところでアルフ。ちょっと汗かいちゃったんで拭いてもらっていいデスか?」
「あ、うん」
川でタオルを濡らしてからリドを拭こうとすると……
「バカっ! 汗拭いてって言われて服の上から拭くやつがどこにいるデスか! あぁ、もう湿っちゃって。この、バカッ! バカッ! バカッ!」
「えぇっ!? じゃあどうすんのさ!」
「脱がして拭くに決まってるデス! そんな事もわかんないデスか?」
いやいやいや、リドこそ何を言ってるんだ!
「ぼ、僕男の子なんだけど!?」
「お前がこんな体にしちゃったんだから責任とるデス」
「ひ、人聞きの悪い事言わないでよ! …………ほ、本当にやるの……?」
「早くするデス」
…………
少し大き目のチェニックを一気にまくる。
彼女は背が小さいくせに、フィーネより胸が大きい。
…………
顔、首、肩、脇、お腹と拭いていってあげたあと、体を起こして背中を拭いてあげる。
「それとアルフ……」
「ん?」
「おしっこもしたいのデスが……」
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僕はリドの用を済ませてから綺麗に拭いてあげたあとで、近くの原っぱに移動した。
大きな岩の上に厚手のタオルを敷いて、リドの頭を膝にのせてあげる。
空は雲一つない青。少し乾いた草の匂い。ちょっぴり気温は低いけど、穏やかな日差しが心地よい。
「クッシッシ。あんまり気持ち良くなかったけど、初めてだったから許してやるデス」
「ちぇ。偉そうに」
「でもここは気持ち良いデスね……なんだか、心が洗われるみたいデスよ。私は汚れてるデスからね……」
「そんなの……誰だってそうじゃない?」
僕はフィーネに守られていた。綺麗なままでいられるのは保護された人間だけなんだ。
自分で戦う事を少しだけ学んだ今なら、それもまたしょうがない事なんだってのがよくわかる。
だって、この景色を見て心が洗われるような気がするのは。
きっと、強い人も弱い人も持てる人も持てない人も。みんな、みんな一緒だと思うから……
「……なんでだろう、けちょんけちょんに完敗したのに。今はなんだか気分が良いんデスよ……豪華な家で、召使いに体を洗ってもらって、美味しいものを口に運んでもらう。あれ? こんなとこで夢、叶っちゃいましたデスね」
「なんだよその夢は」
変な夢だと思ったけど、なんだかリドっぽくて僕は笑ってしまった。
風が、頬を撫でる。
なんだか僕は背を向けるリドの横顔に吸い込まれそうになっていたから、彼女が不意に顔を向けてきた時に少しドキっとしたんだ。
「アルフ……私を、抱いてくれないデスか?」
「……え?」
リドは僕の顔を見つめて言った。
「私ね……貧しかったんデスよ。幼い頃に父が事業に失敗して、母は私を置いて出ていってしまって……そんな私を父は性のはけ口にしたのデス。苦痛と恐怖にまみれた日々。でも、当時の私にはそれぐらいしか利用価値がなかったから……」
リドは唇を震わせて。けど、決して視線をそらさずに言った。
「私はもう何も出来ないデス。ましてまわりは敵だらけで、すがれるのはお前の温情だけ。お前がどう思おうと関係ないデスよ。私もお前が大嫌いデスから。でも、抱いてくれればその間……私は「求められている」って思って安心出来る。それは……ちょっとだけ幸せな勘違いじゃないデスか?」
甘やかされて生きてきた僕には何も声をかけてあげる事が出来ない。
僕は自分に才能がない事をなんて不幸なヤツだろうと思っていた。でも、違う。みんな、みんな奪われながら生きているんだ……
目に涙を浮かべて訴える彼女の顔を直視出来なくて、弱虫な僕は彼女をそっと抱きしめた。
いつかルーが僕にしてくれたように、背中をポンポンと叩く。
「バカ。女に抱いてって言われて本当に抱っこするヤツがどこにいるデスか」
「うん……ごめん……」
「まったく、この。バカ。バカ。バカ……」
どのくらいの時間。僕たちはそうしていただろう。
西の空が茜色に染まりだして、僕たちは帰り支度を始めた。
彼女を紐でおぶって歩きだすと、リドが喋り出した。
「ふぅ。まぁギリギリ及第点ってとこデスね。頑張ったご褒美に貸しを1つ。それと、良い事教えてやるデス」
「え?」
「これ…………デートデスよ?」
「…………えっ!?」
クッシッシ。と、リドが笑う。
「ち、違うでしょ!?」
「いや、デートデス。もう1つ言うとお前とフィーネは今、同棲中です」
「違うって! 一緒に住んでるだけじゃないか!」
クッシッシッシッシ
「それを……同棲って言うんデスよ……」
そしてリドが首筋に頭を預けてくる。
なんなんだよコイツは。相変わらず何考えてるのかわかんないヤツだ。
それから僕たちは黙って高原を下り続けた。
虫の音が、いつまでも耳に残っていた……
第5章完です。ここまで読んで頂き、ありがとうございました!
次回より第6章「古き獣の意志」編突入。よろしくお願いします!




