不幸な接触
「止まれそこのロリコン! 直ちに性癖を捨てて対象年齢を上にあげなさい」
両腕を包帯に巻いて首から下げたシモンが、静止するように通告してくる。
なんと言う事だ。調査対象だけでなく、こいつの接近にも気付けなかったのか。
ドラゴンバスターに何度か撒かれてしまっていたせいで、無意識のうちに冷静さを欠いていたのかもしれない。
「武器を捨てて両手を上げろ!」
更には衛兵達がゾロゾロと集まってきた。完全に囲まれている。
「いいか。お前は3つの罪を犯した。1つ、幼女を付け回した事案。1つ、幼女に指を差された事案。そしてぇ……ノーパンの幼女が四つん這いで壁の隙間に入っていくのを、後ろから覗き込んだ事案で逮捕だぁ!」
「隊長。ややこしくなるんで黙っててください!」
「貴様が我がグリーンヒルの来賓を付け回していた事は調べがついている! 拘束し、どこの回し者か吐いてもらうぞ!」
衛兵達が剣と盾を構えてにじり寄る。だが、そんなプレッシャーなど些細な事だ。先ほどの動揺に比べれば。
「クックック……」
突如、顔無しの顔がグニャリと曲がった。彼は薬品を使用した特殊な訓練によって、表情筋を自在に操る事が出来る。
その異様な風貌に衛兵達の注意をひいてから、パチンと指を鳴らす。次の瞬間。
フッ
「き、消えた!?」
音も無く顔無しは消えた。主を失ったローブだけがトサッとその場に崩れ落ちる。だが
ドゴッ!
「グッ!?」
何もない空間に放ったように見えるシモンの蹴りが顔無しを捉え、彼は咄嗟に腕を十字に防御してあとずさった。
「瞬間移動なんざある訳ねーだろバーカ。直前の変顔は腹話術の仕込み。不自然に大きな音の指慣らしに紛れて高速詠唱しただけの、ただの透明化魔法だ」
片足を宙に突き出したままの姿勢でシモンがネタばらしをする。
全く動揺を見せない隊長の立ち振る舞いを見て、衛兵達も落ち着きを取り戻す。
「訓練された動きで肩の筋肉だけを使い、一瞬でローブを脱いで本体が消えたように見せかけるその手口……テメェ、影の戦士だな? アドモールの諜報員がウチのシマで何やってやがる」
図星……顔無しは内心舌打ちをした。これが酔いどれのシモン……なるほど、厄介な男だ。
だが、この程度の軌道修正はどうと言う事もない。顔無しは即座に思考を切り替えて不気味な笑みを浮かべた。
「ふーっ。やれやれ、ついてないな」
「いや、ついてるぜ。うちの取調室はピザが頼み放題なんだよ」
「ついてないのは……おまえらがだ!」
そう、何も問題など発生していないのだ。
顔無しの戦闘力は徒党を組んだA級の冒険者パーティーのそれを遥かに上回る。
ドラゴンバスターの戦闘力は未知数だが、囲んでいる衛兵の一角を刺し殺して突破するなど訳もない事。
勿論、視線など一瞥もくれたりはしない。匂いと音だけで完璧に相手の位置を把握し、記憶の中の地図と照らし合わせて逃走ルートを計算する。
体内の筋組織を動かして重心を移動させる。膝の屈伸すら見せない完全な予備動作無しの跳躍で一気に跳び出せ……なかった。
トンッ……
随分とゆっくり世界が回った。尻餅をついたのに気付いたは、視界に空の青が飛び込んできてからだ。
下を向くと曲がった自分の両膝の間に、こちらへ掌を突き出した幼女が見える。
ドラゴン……バスター……
彼女は眉毛を八の字に寄せて、静かに顔を横に振った。
明らかに手加減されているのだ。この自分が。
交錯したのは一瞬。だがその一瞬で悟ってしまった。
彼女はきっと最高速に達した自分の貫手をもたやすく捉える事が出来るのだろう。
でも、それをすると相手の腕を引きちぎってしまうから……
ゆえに彼女は最も相手を傷つけない優しい方法を選んだのだ。
体内の重心移動などと言う、ほんの僅かな動きを完璧に見切ったうえで。
「ふっ……くっくっく。アーッハッハッハ!」
仮面のような作り物の顔の下、顔無しは笑った。
作り笑いじゃない本物の笑顔など何年ぶりの事だろう。
組織に報告しなければならない。竜の伝説は本物だったのだ。そしてそれを退けた獣も……
「化け物め」
カチッ ドパァンッ!
顔無しの腹の中で何かが鳴り、まるで水風船のように彼は内部から破れて弾け飛んだ。
「な、なんだぁ!?」
粒の細かな赤い血しぶきが衛兵達に降り注ぐ。飛散した死体からは赤い狼煙に混じって、少しだけ紫の狼煙が上がっていた。
直ちに現場検証班が呼び出されたが、得られた情報は何もない。なにせ彼には顔が無かったから……
------------------------
グリーンヒルの外壁の周辺。
避難民に偽装して野営を組んでいたリド達、結社の構成員は上げられた狼煙の色を見て驚愕した。
「バカな!?」
「顔無しがやられただと!?」
赤い狼煙は作戦失敗の合図。そして紫の狼煙は警告を意味する。
「ドラゴンバスターの戦力は想定を上回る。以後、組織はこの件から手をひくべし」と言う意味の。
「そんな……そんな、アルフごときに!」
他の構成員の手前、顔に出す事は出来ない。
作戦の立案者であるにも関わらず、彼女の目的はドラゴンバスターそのものではなかったからだ。
ほんの一か月前まで、いいように小ばかにしていた相手になんてザマだろう。
だが今はこれが現実。指一本触れる事すら出来ない。
待機していた後衛組は即座に撤収し、組織に報告するために帰路につくこととなった。
それでもリドは納得のいかない悔しさのあまり、歯を噛みしめる。
「見ていろアルフ……必ず、必ず後悔させてやるデスよ……」
道中でリドは何度も後ろを振り返った。
自身が成り上がるために何もかもを踏み台にしてきた彼女。
そんな自分が今、己の利害関係を無視した執着心の沼に沈み込んでいっている事に、彼女はまだ気づいていない……




