酔いどれのシモン
「決闘に臨むのは、俺じゃなくてこの。アルフだからだ!」
シモンさんの宣言に、度肝を抜かれる。
「……本気なの?」
奴隷商のおじさんが眉間にしわを寄せて僕を見る。でもそうだ。あの時僕は逃げてしまった。これは僕の戦いだ。今度こそ僕がやらなきゃいけない。
「……はい」
おじさんの目を真っ直ぐ見つめ返す。衛兵さん達の戦いを見て僕だって少しは成長したんだ。もう死ぬ事は恐くない。
きっとフィーネの事はルーやシモンさんがなんとかしてくれるはず。それでも僕は戦わないといけないんだ!
ふぅ。と、奴隷商のおじさんが息をため息をついて天井を見上げた。
「わかった。まぁ私が口を挟む問題じゃないわね。アルフちゃんを倒せば白金貨3枚タダでプレゼントか…………逆においしすぎない? 罠を警戒されないかしら?」
「まぁ、その辺は本人達と会ってからその場で考えるよ。とりあえず交渉したいから会いたいって事だけ伝えてくれ。出来るだけ俺とアルフの存在はボカしてな。連絡ついたら宿屋の方に使いをよこしてくれ。さて、そろそろお暇しようか」
僕たちは椅子から立ち上がって机の下にしまい、部屋を出ていこうとすると奴隷商のおじさんに呼び止められた。
「あ、そうだアルフちゃん。今回はお客様だから、ちょっとだけならフィーネちゃんに会っていくことが出来るけど……どうする?」
奴隷商のおじさんの言葉に後ろ髪をひかれる。そうか、もし殺されちゃったら、これが最後になるかもしれないのか……だけど、だけど僕は。
「いえ……今日はやめときます」
今はどんな顔をすればいいのかわからない。そして僕たちは宿屋に向かった……
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「ンっふっふ~。シチューおいシぃのダー♪」
「ほらほら。もう、口のまわりべったりじゃないか……」
口のまわりを拭いてあげると、ルーが小首をかしげる。
「布で拭くともったイなくなイカ? なんでペロペロしてくれなイのダ?」
「人間は人の顔をペロペロしないんだよ……」
僕が君の口のまわりベロベロ嘗め回してたら絵面的にまずいからね。ついでに目の前の人お巡りさんだからね。
「おーい、お姉さん。ビールおかわり~」
シモンさんは早くも一杯空けていた。ペース早いな。
「あの、シモンさん……すいません、大変な事に巻き込んじゃって」
「ん? なにが?」
「決闘の事です。もし殺されちゃったらあなた達に物凄い迷惑をかけちゃう事になる。生きていたとしても、一生かかっても返せるような金額じゃないし……」
「……え。何を言ってんだお前? どこからツッコんでいいのかわからんが、あれは別に貸してる訳じゃないぞ。必要になったら使ってくれって言われて首長から預かったものだ」
「……え?」
「え?じゃない。当たり前だろうが。俺の仕事はルーの協力を得るためにお前らと仲良くする事。外交投資だよ外交投資。まさかお前、俺のポケットマネーかなんかだと思ったのか?」
シモンさんがフォークにベーコンを突き刺したまま、口を開けて僕を見つめる。「お前は何を言ってるんだ?」と言う表情をありありとのっけて。
僕は絶句した。だって白金貨だよ? 今更だけど、とんでもない世界に首を突っ込んでしまった気がする。そうか、世の中にはドラゴンに対抗するためなら白金貨を何枚も出す人達もいるのか……
「え、じゃああのお金って僕じゃなくてルーに向けたお金ですよね……ルーはそれでいいの?」
「はムはム♪ ……エッ? ナにガ?」
隣を見るとルーがまた口のまわりに白いおヒゲを生やしていた。あ、ごめん。邪魔して悪かったね……
僕がなんでもない、気にしないでと言うと、ルーは再びニコニコ顔で食べ始めた。
え~っと、まだ少し混乱してる。
え、じゃあなに? 僕の名前を出さずにシモンさんに代理でフィーネを買い取ってもらえばそれで終わりって事?
……そんな僕の考えはきっと顔に出ていたんだろう。
シモンさんが、信じられないものを見たって顔でしばらく停止する。フォークからベーコンがポトリと落ちて、彼は顔を手で覆って天を仰いだ。
「は~~~~~~~~~~~~~~~~~~~? うっそだろお前。どうやって相手をぶちのめしてやろうか考えてるのかと思ってたのに。そこ!? 今更そっからか!?
そりゃ確かにお前らにグリーンヒルから離れて欲しくなかったから俺が代理に買い取って云々は言ったよ。街にとってはドラゴンの事がなによりも優先だからな。けど角の件のついでとは言え、ここまで来たんだ。そりゃねぇだろ今更よぉ!」
why? why? why?
シモンさんは大仰なジェスチャーを交えながら体を乗り出してきた。
若干気圧されてしまう僕を、シモンさんが畳みかける。
「バッカだなお前! そんなやり方したらフィーネちゃんと再会する時どんな顔して会いにいくんだよ? その子がなんのために自分の奴隷堕ちを賭けてまで戦ったと思ってんだ? お前の分け前を増やすためか? 違うだろうが」
グビッ、グビッ、グビッ、プハー
シモンさんがエールを一気に飲み干す。
「ったく、お前は……あ、すいません。ビールお代わりお願いしまーす。こいつにも同じやつを」
「え、あの、僕あんまり飲めなくて」
「いいから!」
ドンッ!
シモンさんが机を叩いた。
「いいかラ!」
トンッ!
ルーがいきなり机を叩いてこっちに振り向いた。
僕がビックリして振り向くと、ルーは「ムフー」と満足気な鼻息を漏らしてから自分の食事に戻っていった。
なんか仕草が気にいったらしい。
「いいから聞け! 今からお前に人生で一番大事な事を教えてやる。 いいか? 酔っ払いってのはな。酒飲んで人に説教するのがだいっすきなんだ!! だから、酔っ払いが説教か武勇伝をはじめたら絶対に聞け。わかったか!?」
「は、はい……」
僕が渋々返事をすると、シモンさんは腕を組んで満面の笑みで頷いた。顔が赤い。この人のこんな赤い顔を見るのは初めてだ……
「よし、その事は絶対忘れるなよ。いいか、酔っぱらいは説教が大好きなんだ。それは忘れるなよ。え~っと、なんの話だったか」
そして伝説の酔っ払いは語りだした。
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「ゲッフ。いいか、アルフ。きっとお前はこう考える人間だ。もし俺が今からお前に殴りかかったら、お前は身を守るために殴り返す事を認めるだろう。だが、もしこの食堂で誰かがお前をバカにしてクスクス笑ったとしても、お前はそいつらに殴りかかる事を良しとしない。衛兵に連れていかれちまうからな」
「はい」
「それがもう間違えだ。バカにされたらぶん殴れ。そして衛兵に保釈金払って出てこい。少なくとも今はそれが許される時代だ」
「はい……は? え?」
え、いきなり何を言い出すんだこの酔っ払いは? 酔っているのか?
「大損だよな? 何の意味もない。きっとお前はそう考えるはずだ。じゃあ無視して立ち去った時、お前は本当に無傷でいられるか? いいや、出来ないね。お前が弱いからだ。どうしてそうなった? 目に見えるメリットばかり追いかけてきたからだ」
そう……かもしれない。でも、そんな事でいちいち牢屋に入ってたら……
「毎度毎度そんな事してられないって? まぁ、流石にこれは例えが極端だったな。だが、一度痛い目を見れば「どうしてこうなった」ってのを考えるようになる。人生は積み重ねだ。そしてバランスが大事だ。
いいか、正しい答えはこうだ。最初から喧嘩を売られなきゃいい。そういう人間になれ。自分に無理のない範囲でな。お前は別に努力をしない人間じゃない。それはなんとなくわかる。だがそういう方面には注意を払ってこなかっただろ?」
「う、えぇっと……」
……ちょっとだけ図星かもしれない。かもしれない、けど……今関係ある? その話。
「山賊の出る街道を護衛もつけずに1人で歩くな。金持ちのパーティーにボロボロの服でいくな。意味もなく喧嘩を売ってくる人間と付き合うな。ただし、決して1人にはなるな。
もし、お前と出会うのがもっと早かったら、ぶん殴ってでも悪い友達と付き合うのをやめさせたと思うぜ。だがお前はもうとっくに喧嘩を売られちまってる。無傷で立ち去れる段階には見えねぇぞ」
僕が何も言い返せずにいると、シモンさんがゴトリとジョッキを置いた。
「お前が今回傷を受けたのは体じゃない、プライドだ。その事を過大も過小もなしでちゃんと理解しろ。無視してもいいが、会計を済ませずには立ち去れねぇぞ。跡は残るからな。
いつもいつもやり返す手段が暴力じゃなくても構わない。だが、決して楽な方に流れようとするな。面倒くさいという感情は、時に恐怖よりも恐ろしい」
「でも、そんなの……そんなの強い人達の理屈で……」
あぁ、ダメだ。何を言いたいのか段々わかってきた。この人達は違う。生まれつき才能に恵まれて、仲間に恵まれて。きっと僕の事なんかわかってくれない。
だけど、そんな考えも見透かされてしまう。僕はそんなに顔に出るんだろうか。
「違う違う! 勘違いすんな。いつどこで誰にでもこう言える訳じゃないぜ。当然、勝つ側がいれば負ける側もいるからな。世の中は不公平だ。だからそれを受け入れて身の丈に合った生活をしなきゃいけない。
だが、俺が今話してんのは一般論じゃねぇ。お前を見て、お前と向き合って、「お前の今」について話している」
「えぇっと、あの、まさか……」
「あのな、アルフ。俺達はお前が勝つと思って話をしてるのさ。なら、せっかくここまで来たんだから、ぶん殴ってスッキリしてからおさらばしねぇと酒がまずくなるじゃねぇか。
ただ、お前は優しいからな。もしその後で罪悪感が残ったらまた酒飲みながら話聞いてやるよ。俺は説教するのも好きだが愚痴を聞くのも好きって言う、世にも珍しいユニーク酔っ払いなんだ!」
そこまで言われて、ようやく僕は話が噛み合わない理由に気がついた。
そうだ、最初っから全部そこでズレてる。
なんで? なんでこの人は……僕が勝てる前提で話をしてるんだ?
「いや、あの、僕弱いですよ。それに、ガイはこの街で一番の冒険者で……」
「大丈夫、大丈夫!」
「ダイジョーブ!」
ルーが背中をポンポンと叩いてくる。ルーは食べ終わってご馳走さまをした後、お皿を全部ペロペロしていた。新品のお皿みたいにピッカピカになってる。
「なぁ、ちょっと考えてみろよ。奴隷商のオカマにはもう話をつけてあるから、別に今日明日中に決闘しなきゃいけない理由はないんだ。まぁ一週間後くらいで考えとけばいいだろう。あんまり帰りが遅くなると首長が血尿になるかもしれんが、そんな事はどうでもいい。
たった一週間って思うか? 甘い甘い。なんたってお前には今、世にも不思議な最強のネコミミ少女と、世にも素敵な百戦錬磨のダンディおじさんがついてんだ。
行こうぜ、レベル上げ。流石にドラゴン退治……とはいかねぇが、お前の知らない世界を見せてやるよ」
そう言ってシモンさんは長いゲップを吐き出し、ニヤリと笑った。
酔いどれのシモン……僕はのちに、とある吟遊詩人から彼の事を謳った歌を耳にする事になる。
彼がどれほどの人々から愛され、そしてどれほどお節介な酔っ払いだったのかを……